精霊憑き
「ラナ。お昼ご飯の時間だよ」
兄が生き餌の入ったガラスケースを手に入室してきた。
いつにも増して嬉しげだ。
リュヌ殿下は新しく発見された魔鉱石の鉱山の視察に出ていて一週間は戻らない予定だ。
兄も視察に同行すると聞いていたが、私とアルジェントの餌やりのために、残ったのだろうか。
アヴェラントの外交の要は魔鉱石を軸にした貿易だ。
魔鉱石より作られた武器、防具、兵器の強力さは、他の追随を許さないものであり、他国から輸出を望む声が多々ある。
アヴェラントは友好国である隣国の大国ペルグランデに兵器や武器などを優先的に輸出し、優先権と引き換えに強大な軍事力で我が国を守ってもらっているのだ。
魔鉱石ならば他国でも採れるが、アヴェラントの魔術師は秘術を用い、石を強力な兵器に作り替えることが出来る。
この秘術を持つ魔術師を多数抱え込んでいるため、ペルグランデは小国であるアヴェラントを潰すことなく、友好国として対等に扱っているのだ。
兄は魔鉱石の加工を行う魔術師達の管理と育成にも携わっている。
カエルのエサやりごときで、魔鉱石場の視察という重要な仕事を放棄するなどもっての他だ。
いくら変人でも許されない。
よし!
ここは兄の専属教育係である私が毅然とした態度で指導を………
「ラナ、ほらごらん。今日のハエは珍しいよ。胴体に銀と青の縞模様があるよ」
「いっただきまーす!」
水槽に投入されたハエに向かって飛びかかり、舌を伸ばして絡めとると、呑み込んだ。
う〜ん、このコクと酸っぱさが程良くブレンドされた味。たまに混ざる苦みがなんとも言えずトレヴィアーン………って違う!
『前から思ってたけど君……まるで何日も食事をとっていないかのようにハエを食べるよね。そんなに美味しいの』
冷めた視線で私を一瞥したアルジェントは、必要最低限の動作でハエを捕えて食べた。
その動作はあくまで機械的であり、食事を楽しんでいる様子は全く見られない。
「アルジェントはハエが嫌いなの? 不味い?」
彼の方から話しかけてきたのが嬉しくて、笑顔で聞き返す。
はじめの頃はこちらの存在を無視されていて、話しかけても返答もなかったのが、最近では彼の方からも話しかけてくれるようになった。
カエル暮らしをするようになり、はや一ヶ月。寝食をともにする内に心を開いてきたのかもしれない。
『別に何とも。必要だから摂取しているだけ。美味しいとか不味いとかない』
しかし彼の返事は相変わらずのそっけなさだった。
これが世間で言うところのツンデレというやつなのか。しかし彼にはツンは合ってもデレなど微塵もない。
しかもカエルのツンデレなんて誰得だし。
などと、つらつら考えながらも、次々と水槽に投げ入れられるハエを捕えては呑む。
ハエを食べたいわけではないのに、身体が条件反射で動くのが恐ろしい。
カランと音がしたので、見上げると、口を押さえて肩を小刻みに震わせる兄の姿が。
どうやら兄がハエの入ったケースを落とした音だったようだ。
「『兄さん?』 どうしたの? 具合悪い?」
例によって兄の魔法が発動して、兄さんという呼びかけが、意味不明な鳴き声に変換されたが、今は兄の体調が心配である。
私は兄の近くまで走り寄った。水槽の壁に張り付いて上に登ろうとするが、途中まで行ったところで手が滑り、背中から落ちた。
「いたたたた」
『それはさすがに無理だろう』
すっと私の隣に来て呆れた呟きをこぼしたのはアルジェントで、いつもの無関心はどこへいったのやら、じっと兄の挙動を見守っている。
「………っく。ふふふふ!もう駄目だ。我慢が出来ん!」
兄は床に転がると、腹を抱えて笑い出した。笑い過ぎて涙まで流し、呼吸困難に陥っている。
訝しげに兄を見守る私とアルジェントの前で兄の姿が金色の光に包まれた。
みるみる内に兄の姿が縮んでいき、やがて現れたのは、白髪に白く長い髭を垂らした翁だった。
ただし人間の手の平に乗るミニチュアサイズである。
「あーーーーっ! なんか挙動不審だと思った
らレミじぃ!」
「ふぉーっふぉっふぉっふぉっ。愉快な格好をしとるのぉ、ラナ」
ゆったりしたローブに身を包んだレミじぃは水槽の中にフワリと着地すると、にこにこ笑って………否。ニヤニヤとして私たちを見つつ豊かな髭をすいた。
「そんな姿にされて、泣きわめいているかと思いきや、むしろ嬉々としてハエを頬張っているとは! いやはや傑作! おぬしいっそ死ぬまでその姿でいたらどうじゃ」
「うるさいハエね!」
舌を伸ばして、老人を絡めとるとそのまま呑み込む。
「ぎゃーーー!」
すさまじい断末魔の声が聞こえたが、気にしないことにする。
この世は弱肉強食。私たちは弱い他の命を摂取しないと生きてはいけないのだ。
レミじぃには申し訳ないが、私の血肉となって………
「むぐっ!?」
私の口の中でレミじぃの身体が膨れ上がった。まずい。このままいくと容量オーバーでカエルの風船のように爆発してしまう。
慌てて口の中の内容物を吐き出すと、体液にまみれたレミじぃが転がり落ちた。
「ぶはっっっ。危うく死ぬところだったわ。ラナ! 自分の加護精霊を食おうとするとは、なんとバチ当たりな娘じゃ。煉獄に落ちるぞ!」
煉獄とは悪を働いた罪深い人間が、死後に送られる世界で、そこに落とされた人間は、死ぬことも許されずにこの世のあらゆる苦しみと痛みの責め苦を半永久的に受け続けなければならない。
そんな。たかだか食われそうになったぐらいで煉獄を持ち出すなんて大袈裟な。
ほんのジョークよ、と笑い飛ばしてあげたら、涙目で睨まれた。
なんか私、いじめっ子っぽいな。
レミじぃがブルブルッと水浴びをした犬のように身体を震わせると、体液まみれのじぃの身体や服はあっという間に綺麗になった。
なんかズルい。
人間にもこういう便利機能ついているといいのに。
『加護精霊? 精霊憑きか? やはり……は………』
アルジェントが何かをブツブツ呟いていたが気にしないことにする。
「今のは馬鹿にしたおじいちゃんがいけないわ。乙女が醜いカエルにされるなんて、天変地異よ。世界の一大危機よ」
鈴を振るような可愛らしい声がした。
「ミーファね」
ラベンダー色の髪をツインテールに結い、クリーム色のミニワンピースをまとった美少女が何もない空間からぱっと現れた。
サイズはレミじぃと同じく人形サイズ。
私の二人目の加護精霊のミーファだ。レミじぃとは祖父と孫の関係である。
「ラナ! 可哀想に! そんな汚らわしい姿にされてどんなにか辛いことでしょう!
でも大丈夫。わたしはあなたの味方よ! 元に戻るために力を合わせて頑張りましょう」
ミーファは姿を見せるなり、すっ飛んできて私に抱きつこうとし、寸前で思いとどまったようだった。
何度か私に触ろうとし、やっぱり触れないらしく、付かず離れずの距離でもじもじしている。
「………ミーファ、ひょっとして」
「ラナ。本当にごめんなさい。わたしっ、わたしっ」
美少女は上目遣いで目を潤ませた。
「カエルが苦手なのーーー!!」
大絶叫とともに遠ざかるミーファ。精霊のくせにカエルが苦手って。
生きとし生けるものや大自然を束ね、管理する存在じゃなかったっけ。精霊って。
いいのかそれで。
「ふんだ。わしゃもうラナなんか知らん。ミーファと二人で勝手にやっておれ」
だいぶ離れた場所から、フレーフレーラーナー! とエールを送っているミーファとすっかりヘソを曲げてそっぽを向いているレミじぃ。
アルジェントはアルジェントでミーファの『カエルは醜い』発言で気を悪くしていつも引きこもっているポトスの茂みに引っ込んでしまった。
はぁ。頼もしい味方が助けに来たと思ったけれど前途多難かも。
私はため息をつくと、水槽の真ん中にごろりと不貞寝した。
全く。こんな姿にされて元に戻れる方法も分からなくて一番拗ねたいのは私だってのよ。
元に戻ったら絶対に兄さんに顔面飛び蹴りしてやる。
私は途方に暮れつつも決意を新たにしたのだった。