金蓮花の庭で
私がカエルにされてから二週間が経過した。
そんな頃、殿下が忙しい執務の合間をぬって私とアルジェントを庭園に連れて行ってくれた。
兄は護衛と称して着いてきたが、単にカエル姿の私をからかいたいだけのような気がする。
王宮の庭園には薔薇をはじめ様々な種類の花が植えられていたが、中でも大きくスペースを取って栽培されているのは、国花である金蓮花だった。
この花には薔薇のような威風堂々とした華やかさはないが、カラッと明るい夏空のような赤やオレンジが鮮やかで、ハーブとして使用したり、花を食用とすることも出来る。
非常に有用な花なのだ。
銀の鳥かごの中で、アルジェントと一緒に水を張った皿に浸かりながら、金蓮花の群生を眺める。
「ずいぶんと嬉しそうだ。花が好きなんだね。外に出てみるかい?」
「ぜひ出てみたいです。でも、いいんですか?」
「ラナには人間の言葉が通じるし、まるで人間のように賢いから、逃げる心配もないしね」
と言って殿下は私を芝生の上にそっと降ろしてくれた。
アルジェントも誘ってみたが、彼は外の世界に興味がないようだ。
人間のように賢いのではなく、私はれっきとした人間なのだが。
私は何度か殿下にそのことを伝えようとしたが、"人間"や"侯爵令嬢"やフルネームなど、私の正体に関わる単語の部分だけカエルのケロケロという鳴き声に置き換わってしまい、上手く伝わらない。
恐らくは私が自分の正体をバラさないようにと、兄がなにがしかの魔法をかけたのだろう。
殿下と婚約・結婚するという目的を達成する。
殿下に人間であることを暴露して、婚約の話をなかったことにしてもらい、人間に戻してもらう。
自力でカエルの魔法の解除方法を探す。
私が人間に戻るための方法をいくつか考えてみたが、自力で方法を探して解除するしかない、という結論となった。
カエルのまま殿下に嫌われるような振る舞いをする、という案も浮かんだのだが、人間に戻るどころか、邪魔なカエルだと判断されて"始末"されたり、カエルのまま捨てられて野垂れ死んだり、最悪のシナリオしか思い浮かばなかった。
この魔法は兄がかけたものだし、命は守ってもらえるかもしれない。だが、ラナはカエルが似合っているよ、なんて言って一生カエルのままで放置されてしまう、という可能性もなきにしもあらずだ。
本当に人間に戻れるのか。
一生このままだったらどうしよう、という嫌な想像が脳裏をよぎり、暗澹とした気持ちになる。
でも今はこのゆったりとした時間を満喫しよう。
ああ。
久しぶりの外はやっぱり気持ちがいい。
芝生に寝転んで瑞々しい草の香りを吸い込む。
庭園には噴水や苑池もあり、泳いでもいいと許可をもらったのだが、あいにく私が変えられたのはアマガエル。
アマガエルはカエルのくせに泳ぎがあまり得意ではないため、丁重にお断りさせて頂いた。
カエルなのに溺死とか間抜けすぎる。
「キャァァァァァ!」
私の頭上で絹を引き裂くような悲鳴がした。
微睡みかけていた私は叫び声に驚いて、飛び起きる。
心地良く降り注いでいた陽射しが私の前に立ち塞がった人影に遮られる。
見上げると、精緻なレースをあしらった淡い緑のドレスを身に纏った令嬢がハンカチを握りしめ、真っ青な顔色で私を見下ろしていた。
ああ。彼女カエル苦手なのね。
硬直して小刻みに震えていた彼女は、ふぅっと意識を飛ばし倒れた。
まぁ、深層の令嬢だったら当然の反応か。
繊細な神経をお持ちのようで羨ましい。
私も侯爵家令嬢という肩書きを持つが、残念ながらカエルを見て失神するようなデリケートさは全くない。
「カレンお嬢様!」
慌てて駆け寄った護衛の兵に抱き止められた令嬢はすぐに意識を取り戻し、蒼白な顔で兵士にしがみつきながら私を指差す。
「早くあの気持ち悪い生き物をどこかへ捨ててきなさい!」
兵士が私を捕らえようと迫ってくる。私は慌てて跳ね上がり、金蓮花の影に隠れようとした。
「ラナ!」
兄が叫び兵士に向かって人差し指を突き出すと、彼らの頭上に緑色の液体が降りかかる。
液体はまるでスライムのようにねっとりと、兵士たちの頭や顔、上半身にまとわりつく。
うわぁ。気持ち悪そう。
「だぁぁああ! なんだこれは! ベトベトしてるぞ!」
「目が! 目が見えない!」
「臭い! 臭い! 鼻がっ! 鼻が曲がる!」
あの液体の原料は何なのだろうか。
毒ではなさそうだが、知らない方が良さそうだ。
私の捕獲どころではなくなった兵士たちが、騒ぎ立てるのを見物していたら、ふわっと上から手が降ってきて私を包み、そのまま持ち上げられた。
「ラナ。大丈夫かい?」
「はい殿下。『兄』が助けてくれましたので」
「そう。良かった」
殿下の手が私の背中を優しく撫でた。
ちなみに私が発した兄という言葉のみ、翻訳不可能な鳴き声に置き換わっており、やっぱり肝心な情報は伝わらなかった。
「カレン・カレンナ・シャーロック公爵令嬢とお見受けいたします」
怒りと恐怖と動揺とで震えるカレン嬢の前に、兄が跪く。
なんと。彼女は公爵家令嬢だったか。我が家よりも格上だ。
兄を見ると、カレン嬢は表情を改めた。
「貴方は………そしてあちらにいらっしゃる方は、もしかして」
「名乗りが遅れ大変失礼いたしました。私は侯爵家子息のソレイユ・ウィリディス・フォルティス。
あちらの御方は第百八王子リュヌ殿下にあらせられます」
中身は変態………もとい変人だが殿下と兄。金と銀の色を持つ二人の主従はまるで絵の中から抜け出してきたような美しさだったから、カレン嬢は負の感情をすぐに忘れて、ポッと愛らしく頬を染めた。
「リュヌ殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう。わたくしはカレン・カレンナ・シャー」
ドレスの裾をつまみ、優雅な動作で挨拶をしたカレン嬢は、名乗りを遮る形で発された殿下の言葉に凍りつく。
「覚えるつもりはないから名乗りは必要ない。先ほどは僕のペットが失礼した。
あいにくだけど、僕は女性が大嫌いでね。
気分が悪くなってきたので、部屋に帰らせてもらうよ」
「まぁ。この不届きなカエルは殿下の………お待ちください! 殿下!」
「行くよ。ソレイユ」
「カレン様。御前失礼いたします」
リュヌ殿下は素早く私を鳥かごに入れるとカゴを兄に託し、カレン嬢の制止も聞かず、さっと踵を返した。
「それにしても殿下は随分と丸くなったな」
兄の呟きが耳に入ったので、私は首を傾げた。
「どういう意味?」
「いや、以前の殿下だったら場を立ち去るだけじゃすまなかっただろう。
殿下のお気に入りに害を加えようとしたんだ。
あの可愛らしいお嬢様にスライムをかけて差し上げるようにと命令していたよ」
「名前を覚えるつもりがないから名乗りは不要って言う言い草も充分にひどいと思うけどね」
あんな綺麗な令嬢よりもカエルを優先するなんて。
私はリュヌ殿下の変人ぶりをこうして目の当たりにしたのだった。
兄も変人で殿下も変人。
この二人は本当にお似合いの主従だと思う。