目覚めればカエル
目覚めると私はカエルになっていた。
私の短い18年間の人生の中でもワースト3に入るぐらいの最悪の目覚めだ。
「おはよう。僕の可愛い妹。気分はどうだい?」
サラサラした金髪にきらめくエメラルドの瞳。彫りの深い彫刻のように整った顔立ちに、甘やかな笑みを浮かべているのは我が兄、ソレイユだった。
緑色のジャケットにベスト、膝丈のキュロット。
王都で流行している貴族男性用のスーツを纏った兄の立ち姿は、絵に描いたような美しさで、身内の贔屓目を差し引いても惚れ惚れするものだった。
アビと呼ばれる膝丈で裾が広がった形のジャケットには、ボタンや上衣の合わせ目、カフス、裾などに我が家の家紋であるカモミーユの花の刺繍が施されており、非常に凝った作りとなっている。
この貴族用スーツは貴族のみならず王族も国家行事等で正装として着用していた。
流行りのスーツをソツなく着こなす兄。王宮の侍女達が兄に向ける熱い視線が目に見えるようだ。
外見だけは天下一品だが中身は超変人。
兄の妹にさえ生まれなければ、この中身さえ知らなければ、夢を見ていられたのに。
残念な美形とはきっと兄のような人間のことを言うに違いない。
「言葉に表せないぐらい素敵な気分よ。お兄様。舌はゴムみたいに伸縮自在だし、驚異的な跳躍力に、水分がないと干からびる身体。主食はキンバエ。もう最高だわ」
「愛する妹よ。それは良かった」
気分はどうか、なんて聞くまでもない。最悪だ。
なのに随所に散りばめた嫌味に気付かず、兄は嬉しげに微笑んだ。
その表情を翻訳すると"妹のためにいいことした"である。
私が本来の身体であれば、女性が騒ぐこのお綺麗な顔面に蹴りを入れていただろう。
ああ口惜しい。
蹴りを入れたところで大したダメージを与えられないであろうカエルの我が身が口惜しい。
ところでここはどこなのだろう。
現状把握のため周囲を見回す。
私が入れられているのは銀製の鳥かご。
鳥かごはペティカ産の石で出来た白い天板の上に乗っている。
コルシア織りの絨毯の深い緑が落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
壁には兄が魂を捧げる勢いでお仕えしている第百八王子の肖像画がかかっている。
部屋の様子、家具等からここは間違いなく自室ではないと判断する。
「ここは王宮の中にある兄さんの部屋?」
「その通りさ。賢い妹よ」
賢いも何もちょっと洞察力を働かせればこれぐらい分かる。
しかし私がいくら洞察力を働かせても分からないことがあった。
「ところでお兄様。どうして私は今、こんな愉快な姿になっているのかしら。その理由を伺いたいんだけど」
事と次第によっては容赦しない。
王宮に住まう兄は、今でこそ我々家族とは別居状態だが、成人前までは一緒に暮らしていた。
当時は破天荒な事件ばかり起こして周囲をパニックの渦に巻き込む兄をよく鉄拳制裁したものだった。
山の位置が気に食わないと、別の場所に移動させたり、湖の水を干上がらせてしまったり。
我が家の直轄領地内で悪虐の限りを尽くしていた盗賊集団を全員ヤモリにしようとして領民も巻き込んでしまったり。
隕石を操って農地を荒らす野生の竜を農地ごと破壊したり。
数え上げたら枚挙にいとまがない。
いくら本人に悪気がなくとも、巻き添えになってヤモリにされたり、収穫間際だった農地を完膚無きまでに破壊された領民の被った被害を思うと、看過できなかった。
だから被害に遭った領民へは我が家からたっぷり賠償金を払わせて頂いた。
しかしそれだけでは収まらないのが人の恨みというもの。
いきり立つ領民の前で兄をサンドバッグにして、彼らをドン引きさせ、怒りを抑えるのが妹の私の役目だった。
兄がこれまで行ってきた数々の暴挙を思い出し、意識を遠い彼方まで飛ばしていると、兄が屈み込んで私と目線を合わせてきた。
「それはね。妹よ。話せば長くなるけど構わないかい?」
「私が途中で寝てしまわないように、百文字以内にまとめてくださらない?」
私の嫌味をさらっと流した兄は、全く翳りのない爽やかな笑顔で得意げに言い放つ。
「僕が心から敬愛する第百八王子殿下は人間の女性に多大なる嫌悪感を抱いていらっしゃる。
だから殿下に抵抗をなくしていただくために、婚約者候補のラナに人間をやめてカエルになってもらったというわけさ!」
「"だから"で話が繋がってないしなんで王子と婚約するために私がカエルにならなくちゃならないの第一私は人間やめていいと言った覚えはない人間は嫌だけどカエルならいいとか意味不明しかもなんですか婚約っていうのは初耳だし了承してませんけど!」
"私は心が海より広い""私は怒らない"と自己暗示をかけつつ、話を聞いていたが、数分ともたなかった。
怒りに任せてまくし立てる。
「さすがは僕のラナ。ノンブレスで一気に長いセリフを言い切ったね」
兄は私の怒りもどこ吹く風。のほほんと笑って拍手などしている。
「ラナにカエルになってもらったのは、殿下がカエルとなら結婚してもいいと思うぐらいカエルを溺愛されているからさ」
「この馬鹿兄貴! 今はカエルでも元は人間なんだから王子が納得するはずないでしょ! だったらいっそ王子を魔法でカエルにして、大好きなカエルの雌と番いにでもしなさいよ!」
喉も裂けよと絶叫する私。ん? 喉?
私はようやく違和感に気付いた。どうしてカエルなのに私は人間のように喋ることが出来るのだろう。
この目もそうだ。フルカラーで細部までよく見える。そして人間と全く同じように思考出来る脳。
「脳・目・耳・声帯なんかは人間と同じ機能を与えておいたよ。殿下と会話が出来ないと愛が育めないからね。もちろん人間の言葉だけじゃなくて、カエル語も分かるようにしておいたから。
あ、でも内臓はカエルのものだから、人間と同じ食事はとれないよ。キンバエを食べてね」
私の心を読んだかのように、否、実際に魔法で心を読んだ兄が美しい笑顔でのたまった。
「キンバエなんか誰が食べるか! そして許可なく人の心を読むな! ドタマカチ割ったろか! クソ兄貴!」
ついに私の忍耐と言葉使いが崩壊した。
叫んだ直後、激しい眩暈に襲われて私は突っ伏す。
「どうしたんだい!? ラナ!」
「か、身体が………干からびる。みず、水ちょうだい」
血相を変えて駆け寄って来た兄に向かって、私は力ない声で懇願したのだった。