その3
夏世は一人暮らしだ。
高校1年ではちょっと早い気もするが、夏世は実のところ一人暮らしが肌にあっていると思っている。
というのも、実家はかなりの資産を持った家なのだが、厳格でワンマンな父親と、夏世のことを見下している兄がいて、家の中には居場所がないとずっと感じていたからだ。
高校にあがるまでは実家に暮らしていたが、家庭に感じる寂しさから繰り返していた夜遊びを理由に、父が夏世に「落伍者」とレッテルを貼ってしまった。高校にあがると同時に、父は夏世にマンションを1室与え、そこで暮らすようにと「命令」したのだった。
ひとりを寂しく感じることもある。だが、その部屋は確かに自分の「居場所」だった。
だから、実家よりはましだと思っている。
だからといって夜遊びが収まったわけじゃない。
ただし、回数はかなり、減った。
しかし、ここ数日は連夜繁華街に足を運んでいる。それには理由があった。
夏世は、繁華街中心の広場が見えるコーヒーショップの窓際に陣取り、雑誌をめくりながら外を見ている。
平日だというのに、夜の繁華街は人で溢れている。
その人並みを見ながら、時折思い出したようにコーヒーを飲む。まだ6割がたはのこっているのに、すっかり冷めてしまっている。
夏世の視線の先には、カラオケ屋と居酒屋に挟まれた、あまり目立たない小さな雑居ビルがあった。人の出入りはあまりない。
そちらをみながら冷めたコーヒーに口をつけようとしたとき。
「隣、いいですか?」
声をかけられた。
「どうぞ」
といいながらそちらを見ると。
小学生くらいの男の子だった。
肩からかけていた有名進学塾のお仕着せのバッグをおろし、手に持っていたコーヒーのカップをカウンターに置き席に着いた。それから夏世の顔をみてにっこりした。
(こんな夜に、何やってんだこの子?)
そう思ったとき。
「こんな時間になんでこどもがいるんだって思ってるんでしょ」
男の子はそういってにやっと笑った。
「いま、塾のかえりなんだよ。小学生だってさ、一息入れたいときくらいあるんだぜ」
「なっまいき」
男の子は、湯気のたったカップから甘そうな香りのするフレーバーコーヒーを飲んでいる。
夏世も、視線をさっきのビルに戻した。
(今日はもう現れないんだろうか・・・)
そう思ったとき。
「!!」
雑居ビルに入っていく若い男の人影をみつけた。
ばっと立ち上がって、雑居ビルめざして走り出す。後ろから男の子の呼ぶ声がしたような気がしたが、構っていられない。
ここ数日、あの男が現れるのを待っていたのだ。
コーヒーショップを出て、人ごみを掻き分けて雑居ビルに向かう。しかし、ビルの入り口には目当ての男はもういない。ビルの中の、どこかのテナントへ入ったのだろう。
夏世は入り口脇にある階数表示をみた。社名を見ただけじゃ何の会社かわからない「○○興業」だの「××企画」だのばかりが入っている。ワンフロアにひとつのテナントが入っている方式で、ビルは5階まである。
少し考えて、入り口で待ってみることにした。他のフロアを探しているうちにビルを出て行かれては元も子もないからだ。
(真奈美)
親友の顔を思い出す。
内気でおとなしい性格なのに、夏世の生活が荒れ始めてからもそばにいてくれた。本当は、芯の強い、やさしい子。
なのに・・・・・
「おい、姉ちゃん、何の用だ」
武骨な声がした。ビルの中から、いかにもその筋な男がでてきて、夏世に声をかけたのだ。
「人を待ってんだよ。迷惑はかけないよ」
ぶっきらぼうに答えると、男はじろじろと夏世を眺めた。
「へえ、そうかい。それにしても姉ちゃん、いい女じゃねえか・・・ちょっとオレの事務所に顔ださねえか」
「人を待ってるんだってば」
「いいからいいから」
有無を言わさず、男は夏世の腕を取った。
「ちょ、ちょっとやめてよ!」
男の手を振り解こうとしたとき。
「お姉さん!」
声がした。さっきの小学生だ。
「あ、あんた」
男の子はにっこり笑って、さっきまで夏世が読んでいた雑誌を差し出した。
「お姉さん、忘れ物だよ」
「あ、ありがと」
自由になっているほうの手で、雑誌を受け取る。そのとき、
「あたたたっ!」
男が、突然夏世の手を離した。離した自分の手をしきりにさすりながらうずくまってしまう。
「お姉さん、帰ろう」
今度は男の子が夏世の手をとった。夏世がわけがわからないうちに、ぱっと走り出して、ビルから離れ、人ごみに紛れてしまった。後ろから怒鳴り声が聞こえた気もしたが、男の子に引っ張られるまま全速力で走り、すぐに聞こえなくなった。
しばらく行ったところで、男の子は走るのをやめた。
「も、大丈夫でしょ」
にっこりと笑って手を離す。夏世はいまだになにがなんだかわかっていない。
「だめだよ、お姉さん、あのビルはやくざの会社ばっかりだから入っちゃだめなんだよ」
「そ、そう・・・って、何でそんなこと知ってるの」
「トモダチにきいた。結構、このへん知り合いがいるんだよ、オレ」
「小学生でしょ?どーいうトモダチよ」
「や、それはおいといて」
「どーでもいいけど、あたし、本当にあそこに入ってった人に用があったのよ。もう一回いかなきゃ」
「だから、だめだって言ってるでしょ?あぶないよ。大体、あのビルに用のある人なんて、結局そっち方面のやつじゃん」
「・・・・・」
それはそうだ。
「関わらないほうがいいよ。・・・オレ、もう帰るからさ、一緒に帰ろうよ」
夏世はこの男の子の生意気な口ぶりに、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「パパに~、知らない人についてっちゃいけないって~、いわれてるの~!」
べ~っと舌を出す。しかし男の子はそんな嫌味などどこ吹く風だ。
「あ、そっか、オレ一平って言うんだ」
「一平?」
「そ。これで知らない人じゃないだろ?夏世ねーちゃん」
心底びっくりした。なんで、この子は私の名前を知っているんだろう?
「な・・・なんで、名前しってるのよ」
「あ、いけね」
余裕しゃくしゃくだった一平が、あわてて口元を隠した。
次の瞬間、誰かが一平の頭をごつん、とはたいた。
「いて!」
「おまえ、遅いと思ったらこんなところで油売ってたのか」
夏世は相手を見てさらにびっくりした。蘇芳だった。
「すみません、井原さん、弟が失礼なことしませんでしたか?」
「が・・・・外人さん?!」
「だから日本人ですってば」
それから一平に向き直った。
「おまえ、小学生がこんな時間に繁華街なんかでなにやってるんだ」
「いや、だからさ、塾帰りの憩いのひと時で・・・」
「いい加減にしろ」
ふたりはわいわいと言い合いをしている。夏世の頭に、ゆるゆるとその意味が理解できてきた。
「なんで外人さんがこんなところに・・・え、弟?この子が?え?え?」
しかし、頭の中は相当こんがらがっている。
そんな夏世を見て、蘇芳はふっと笑った。
「混乱させちゃいましたね・・・どこか、店入りましょう。ほら、一平もおいで」
蘇芳は成人だが、後の二人は未成年。
この時間に入りやすい居酒屋ではいまいちよろしくない。
当然、喫茶店に入ることになる。
なんとなく選んだ店は、コーヒーよりも紅茶の充実した喫茶店だった。
そこで、一平はコーラ、夏世はアッサムのアイスティー、蘇芳はアールグレイをホットで注文した。
「アールグレイのホットかあ」
夏世がちょっと意外そうな顔で蘇芳のカップを覗き込む。
「僕、これ好きなんですよ」
蘇芳がそういって香りを楽しむようにカップを傾ける。
「そういえばいっつも紅茶だよな、蘇芳」
「うん、コーヒーも嫌いじゃないけどね」
「いっつも・・・って、そういえば、兄弟だって、本当?」
夏世が本題に戻す。
「そだよ」
「まあ、見ての通り、血はつながってないですけどね、本当の弟だと僕は思ってます」
「ふうん・・・じゃ、何で今日もここにいたの」
「だから、オレは塾のかえりだって」
「本当ですよ、僕も一平を迎えに来たんです。ちょっと早めに来たらいつものところにいなかったから・・・」
じろっと一平をにらむ。一平はストローを咥えてわざとらしくあっちのほうを向いた。
「で、井原さんは?」
突然蘇芳が夏世に振った。
「え」
「夏世ねーちゃん、人を探してるんだって」
一平が横から補足する。
「人探し、ですか?」
「でもさ、やめたほうがいいって、あのビルの関係だったら」
「あのビル?」
「うん、ほら・・・あのビル。カラオケ屋のとなりの」
蘇芳の表情が少し曇った。蘇芳も、あのビルの内情を大なり小なり知っているようだ。
「なんでまた」
「・・・・・・」
「ひょっとして、初めて会ったとき追いかけられてたのも、それが原因?」
「・・・・・・」
夏世は答えなかった。答えないで、視線をそらし、窓の外を見た。
窓の外は、平日だというのにかなりの人ごみだ。店の前を右へ左へ、人の波が流れていく。
「!」
その中のひとりに目が留まった。
(あれは・・・・真奈美が見せてくれた写真の・・・・)
あわてて席を立つ。蘇芳と一平がなにかを言っていたが、耳にいれている余裕はない。
あのビルを訪ねた理由の男が、まさに夏世たちのいる店の前を通りかかったのだ。
夏世は喫茶店を飛び出すと、男の向かった方向へ走り出した。
「ちょ、ちょっとどいて!!」
人ごみの中、ぶつからないように掻き分けて走ったので、気がついたときにはもう見失っていた。
少しあたりを探したが、結局見つからなかったので、繁華街のはずれで立ち止まった。息を軽く整えていると、
「井原さん!」
蘇芳が追いかけてきた。夏世のバッグを持っている。
どうやら、あわてて忘れてきたらしい。
「どうしたんですか、急に」
夏世はむっつりと押し黙ってしまった。
「ひょっとして、探してる人を見かけたんですね?」
蘇芳が繁華街の向こうをみやった。遠くを見るように、すっと目を細めた。
夏世は蘇芳を見て、ふと思った。
(外人さんが言ってたみたいに、本当に超能力でもあればいいのに。)
そうして蘇芳の持ってきたバッグを受け取って、そのとき軽く蘇芳の手に触れた。
・・・と。
急激に、なにかが夏世の頭に響いてきた。
人の声。
ざわめき。
近くに?
遠くに?
楽しそうに笑う声。
ひどく悲しそうな泣き声。
怒り。
嫉妬。
荒んだ町そのもののような、感情のるつぼ。
ぐるぐる回って。
混ざって。
どんどん大きくなって。
頭の中に、爆発的に・・・・
「うあああ!」
何が何だかわからない。わからなくて、ひどく頭が痛い。
頭をおさえて、夏世はその場に崩れるように膝を折ってしまった。
けれど、気がつくと、もうその混沌とした声はきこえない。夏世は自分がひどく息を乱して、汗をどっとかいているのに気がついた。
「な・・・何・・・・今の・・・」
頭の痛みはピークを通り越してはいるが、まだ痛みの余韻が残っている。
そして、ふと見ると、蘇芳が心配そうに自分を覗き込んでいた。
「井原さん・・・大丈夫ですか」
だが、そう訊いている蘇芳のほうも、ちょっとキツそうな顔をしている。
「外人さん・・・・」
「日本人ですってば」
「今の・・・何?」
そうきいて、蘇芳の目をじっと見た。蘇芳は当惑した表情で、夏世の目を見返している。
「どうしたんだよ、二人とも」
一平だけが、うしろで呆然としている。この1瞬になにがあったか、まったくわからなかったのだろう。
「・・・・力が爆発的に増幅された感じだった。突然だから、ちょっとガツンときちゃったな」
一平にそう答えて、もう一度夏世を見た。
夏世も蘇芳を見た。
「すみません・・・井原さんのほうに、オーバーフローしちゃったみたいですね。頭、痛かったでしょ?あとには残りませんから安心してください」
「・・・・」
「多分、井原さんの超能力は他人の能力を増幅するんだと思います。今までにこんなことはなかったでしょ?」
夏世は無言でうなずいた。
「だったら」
蘇芳が夏世の手を取って立たせた。今度は、触れてもあのカオスは起きない。
「もう、こんなことは起こらないから。さっきは、たまたま僕と井原さんが同じように人を探そうとしていたから、僕の使っていたテレパシー能力に共鳴しちゃったんでしょう。今は僕も能力をセーブしてるから、大丈夫。
井原さん一人では力は発動できないから、僕のような人間がそばにいなければ、こんな能力のことなんて考えずに普通に生活できますよ」
夏世はまだ頭が相当混乱している。呆然とただ蘇芳の顔を見るだけの夏世に、ちょっと寂しそうに微笑みかけて、
「本当に、こんなつもりじゃなかったんです。たぶん、同じような力を持った仲間を見つけて有頂天になっちゃったんですよね。だから、井原さんが自分の能力を自覚しているのかどうか知りたかった。自覚していないなら、井原さんに知らせるつもりはなかったんです・・・すみません。怖がらせちゃいましたね。でも、もう近づきませんから安心してください」
握っていた手を離し、一平のほうへ振り向く。
「一平、帰るぞ」
「え、あ、でも」
「早くしろ」
蘇芳は夏世に背を向けて、駅のほうへ歩き始めた。一平はどうしようという風に蘇芳と夏世を見比べて、たたたっと夏世のそばに来た。
「蘇芳はさ、悪いやつじゃないよ。勝手に人の心を読むようなまねは絶対しないよ。それだけは信じてやって。」
「・・・うん」
「一平―――!なにやってんだ!」
蘇芳が向こうのほうから呼んでいる。
「オレ、行かなきゃ。あ、夏世ねーちゃん、あのビルにはもう近づくなよ。」
一平はそう言い置いて、蘇芳のほうへ走っていった。
夏世ははっと気がついて、あわてて二人を呼び止めた。
「あ・・・・待って!」
でもそのときには、二人の姿は人ごみに紛れてみえなくなっていた。
「超能力・・・・?なに・・・・それ?」
まだ、頭の中はぐるぐるしている。蘇芳のいったとおり、さっきの頭痛は波が引くようにすうっと消えていったが、それよりも蘇芳の言葉のショックが大きく残っていた。
はっきりいって、突然そんなことを言われても、信じろというほうが無理だろう。自分が超能力者だなんて、アニメやマンガの世界の話だ。
なのに、なぜだろう。
夏世は、心のどこかでそれを受け入れている。
さっきの「オーバーフロー」を体験したからか。それが、自分の能力に由来していることが体感的に分かったのかもしれない。
「私・・・そんな、普通じゃない・・・の?」
急に、恐ろしさが湧き上がってきた。まるで、自分の体が自分のものじゃないような、そんな恐怖感。
恐怖感に駆られて、叫びそうになった。
顔をあげたとき。
ふと、すぐ横にあった大きなガラス窓が目に入った。
窓の中は誰もいないのだろう、照明が消してあって真っ暗だ。
そしてその真っ暗なガラスの中に、自分が映っていた。
「あたし・・・?」
いつもどおりの自分だ。表情はこわばっているが、ふだんとまるで変わらない、いつもの自分が映っている。手には、さっき渡されたバッグを持っている。
それを見て、夏世はふっと落ち着きを取り戻した。
叫ぼうとして顔を押さえていた両手を下げる。
その手を、ふと見た。
さっき、手を取ってそっと起こしてくれたのは、誰?
(もう、こんなことは起こらないから)
蘇芳の言葉がふっと思いだされてきた。
(僕のような人間がそばにいなければ、こんな能力のことなんて考えずに普通に生活できますよ)
それと同時に、あのときの蘇芳のちょっと寂しそうな笑顔も。
夏世は、もう一度、蘇芳と一平が消えていった人ごみを眺めた。
駅について、バックのポケットからスイカを出しながら、恐る恐るといったかんじで一平が言った。
「蘇芳・・・・その、大丈夫?」
「大丈夫って?」
一平の背中を軽く叩いて改札口へ促す。
「だってさ、夏世ねーちゃん・・・」
そこまで言って一平も黙る。小学生の一平には、どう言葉をかければいいのかわからない。
ふたりで改札を入り、ホームに上がるエスカレーターに乗る。
ホームにあがり、通過電車を見送りながら、蘇芳がぽつりと言った。
「しょうがないよ、彼女には彼女の日常があるんだ。俺たちと同じだからって、一緒にいられるわけじゃない・・・」
一平が見上げると、蘇芳はずっと遠くを見つめている。今の言葉も、一平ではなく自分自身に言い聞かせている感じだ。
「蘇芳、夏世ねーちゃんのこと・・・」
「何?」
「・・・なんでもない。」
一平が複雑な顔をしている。
こんなに寂しく感じるのは、せっかくめぐり合えたお仲間とはなれてしまうからなのか、それとも。
いまは蘇芳自身にもわからなかった。
片手で一平の頭をぐしゃぐしゃっとかき回し、そのままホームへ滑り込んできた電車へふたりで乗り込んでいった。