その2
翌日の午後。
夏世は、5時間目の授業を受けている。
昨夜のファッションとはうってかわって、髪はしばってこそいないもののアメリカピンできちっと留め、セーラー服も規定どおりきちっと着ている。
5時間目は古典の授業。はっきりいって、昼食後に聞くには、目を開けておく努力が必要な授業だ。年配の男性教師が、特に抑揚もなく淡々と進めていく授業は、夏世はちょっと苦手だった。
気分転換を図って、窓の外に目をやる。
(ああ・・・失敗した)
昨日、繁華街を逃げ回っているうちになくしてしまったらしい生徒手帳のことが気にかかる。あのチンピラの一派に拾われていないだろうか、あるいは、関係のない第3者が拾って変なことにつかっていないだろうか。
素直に拾われて、学校に連絡が行くことも想像はしていたが、それはそれで夏世はかまわなかった。正直、決してうまくいっているとは言いがたい家庭環境なので、多少自暴自棄になっている側面もあるのかもしれない。
見るともなしに窓の外を見ていると、校門の向こうの大通りに、黒いセダンが止まるのが見えた。
車はそのまま校門の前に路駐するつもりらしく、ハザードランプをぴかぴかさせている。
そして運転手が降りてきた。ジャケットを着た、金髪の男性だ。
(あれ?あれは・・・・)
見覚えがある。ひょっとして、昨日の・・・
と考えていたら、クラスがざわついた。
「ねえねえ、なんかカッコイイ人が校門のところにいるよ!」
どうやら、眠気覚ましに外を眺めていた人は、予想以上に多かったらしい。窓際の席ではない生徒も、座ったまま首を伸ばして外をみようとしている。
「こらキミたち、授業中だよ」
教師の叱り声が終わる前に、終業のチャイムがなった。
とたんに一斉に女子生徒が窓際に殺到する。
きゃあきゃあいう声を尻目に、夏世は帰り支度を整えて外に出た。
校門に近づくと、それは確かに昨日の外人だ。
この外人が、自分に会いに来たという保証はない。だが、もしそうならば、ここで騒ぎは起こしたくない。
夏世は、知らんふりをすることにした。
なるべく彼と顔をあわせないように、他の生徒に紛れて門を出ることにする。
できるだけ自然に(でも見つからないように)校門から出ようとして・・・・
「井原さん!!」
声をかけられた。
夏世はそっとため息をついた。
学校に、自分の素行が知られるのは別にかまわないが、いろいろ小言を言われるのはやっかいなので、とりあえず学校にいる間はめだたない生徒になっているのだ。
なのに。
こんな、いかにも女生徒がさわぎそうな外人が校門の前で待っていたなんて、目立つことこのうえない。
案の定、周りにいた生徒たちがざわついている。同じクラスの女子も、とても意外そうな目で夏世をみている。
それでも気を取り直して、にっこりと笑ってみせる。
「あ、あら・・・何か御用ですか?」
すると蘇芳は、ジャケットの内ポケットに手を入れ、生徒手帳を出した。
「これ、昨日拾ったので。お困りじゃないかと思って」
「あたしの生徒手帳!!」
受け取るなり、ぱっと中を開く。
カバーの折り返しの部分に挟んである小さな写真を確認する。写っているのは、夏世と、もう一人、夏世の親友の女の子だ。
「あ・・・ありがとう」
「いえ、どういたしまして。学校で待ち伏せなんて派手な真似してすみません。住所がわからなかったので。」
蘇芳は軽く会釈する。それから、聞いた。
「ところで、井原さん、これからお帰りですか?」
「え?そうだけど・・・・」
「よかったら、お送りしますよ」
そういって、自分の車をぽんぽんと叩いた。
「え?!やだ!」
思わず率直に答えてしまう。知り合ったばかりの男の車に乗るほど、バカではない。
蘇芳は一瞬目を見開いて、それから大爆笑した。
「いや・・・素直な人ですねえ」
車にもたれかかって、腹の皮がよじれるほど笑っている。夏世はだんだん腹が立ってきた。
「帰る」
「あ、いや、井原さん・・・」
蘇芳はまだくすくす笑いながら夏世を引き止めた。夏世は蘇芳をきっとにらみつけて、小声で言った。
「あたしはね、目立ちたくないの。あんたみたいな派手な外人が待ち伏せしてるだけで目立ってんのに、そのうえ車になんか乗り込んだら、明日間違いなくうわさの的になっちゃう」
もはや、校門の周りでは、生徒が遠巻きに夏世たちをみている。
蘇芳は夏世の抗議には耳を貸さず、小声でささやいた。
「その手帳、いつどこで拾ったか知られてもいいんですか」
夏世の動きがぴたっと止まる。
「・・・脅すつもり?」
「いえいえ」
言いながら蘇芳は車の助手席のドアを開ける。
夏世は苦虫を噛み潰したような顔をしながらしぶしぶ乗った。
車は滑るように国道を走っている。交通量はそう多くはなく、天気も上々。普通なら、わくわくするようなドライブなのだろうが。
(・・・なんだか、得体が知れない)
夏世は警戒していた。横を見ると、蘇芳は柔和な表情でハンドルを握っている。
「どこへいくつもり?」
夏世は憮然として聞いた。
「心配しなくても、何にもしませんよ。本当にお送りするだけです」
蘇芳は前を見たまま返事をする。
「それにしても、昨日とずいぶん印象が違いますね。あそこには、よく行くんですか?」
「あんたには関係ないでしょ」
「やだなあ、そんなに警戒しなくても、ただの雑談ですって。・・・あ、そうか、自己紹介してませんでしたね。僕は蘇芳、古川蘇芳っていいます」
「?外人じゃないの?」
「一応日本人ですよ。生粋の、ではないですけど」
「ふうん・・・」
相槌の打ちようがなくて少し黙る。
「じゃ、話題を変えましょうか。そうだなあ・・・井原さん、超能力って信じます?」
「なによ、それ。んなわけないでしょ」
本当に変わった人だ。
「昨日もそんなこといってたね。SFが趣味なわけ?」
「いえいえ、高校生くらいの子って、そういう話題好きかと思って」
「外人さん、いくつよ一体」
「だから日本人ですって。僕は20歳です」
「20歳?!」
今度は夏世が笑い出した。
「な、何ですか?」
「や、やだ・・・信じらんない!もっと年上だと思ってた」
「・・・オヤジくさいってことですか」
返事をする代わりに、夏世は更に大笑いする。
ふと見ると、いつも使っている通学電車の乗換駅のそばを車が走っている。
「外人さん、ここでいいよ」
蘇芳は言われたとおり素直に車を止める。
「それじゃまた」
「んじゃね、送ってくれたのは感謝するよ」
車を振り返りもせず夏世は駅に向かって歩いていった。
(変な外人さん)
でも、いやな感じではない。
駅の改札を過ぎたところで、ちょっとだけ振り返ると、蘇芳の車が滑るように走り去っていくのが見えた。