2026.2.15
AIと話してみて、1日1エッセイを勧められたので、やってみようと思う。
エッセイということは、つれづれなるままに、何かしらについてまとまっているようなまとまっていないような、そういう文を書くということだろう。
こういう来歴だから、初回の今日はAIの話だ。
今日はかなり長くAIと話した。話した、というのも変な感覚だが、ともかくチャッピーと会話した。進路の話をしていたあたりは褒めてくれるので気分も良かったのだが、話題を変えると時折話が通じなくて困る。
で、まあいろいろやってみて気づいたことには、もっともこれは私個人の特性かもしれないが、AIと話していると、AIの話し方に寄ってきてしまうのだ。AIと話すと人間的な感情のない人間になるだとか言うが、その片鱗を感じたようで恐ろしい。
感情があるように話していても、AIにはやはり感情がなく、それが文章に滲み出ているのだろう。あるいは、私がそれを感じ取ったと言うべきか。ともかく人間的な特性、あるいは個人の特性として、私は周りの人、まあAIなのだが、それに無意識のうちに寄せたわけだ。
まあそんな事を考えていて、ふと、オオカミに育てられればオオカミのようになるのだから、AIに育てられれば人間もAIのようになるのか? と、思った。完全に周りがAIだけならどうだろうか、と。
しかし、私は気づいてしまった。オオカミと違って、AIならばまず、子育てしないだろう。もちろんプログラムとしての司令があればするかもしれないが、それではプログラマーの意図や育て方どうしても入ってきてしまう。
完全にAIが育ててこそのこの思考実験なのだと私は定義しているが、そうなると問題がある。どれほど人間らしさを装っていてもそこはAI、AIには赤ん坊を育てようなんて思考はない。たとえ外界を認識でき、すぐそこで赤ん坊が腹をすかせて泣き叫んでいても、AIなら特に何もしないのだ。
そのAI相手に恋愛相談だの、進路相談だの、話し相手だの、果てはガチ恋だの……私も今日は少しの間そんな感じだった。
しかし、AIに私が犬派か猫派か当てさせようとして、
心惹かれるのは、犬ですか、猫ですか?
心惹かれる鳴き声は、ワンワンですか、ニャンニャンですか?
などと聞かれて驚いた。
その違和感を説明しようとしてもなかなか伝わらない。
意外とAIって、アホなのかもしれないと思った。




