第9話 口噤む村、笑わない影
さらに奥の村は、笑えば舌が水になるという迷信で口を閉ざしていた。迷信は、だいたい誰かの実験結果だ。
夜になると、井桁の|御影に封じられた面が泣く。けれどそれは、涙ではなく、水をこぼす口だった。
ハヤブサ「“哭面”の記述と違う。これは溺面だ。声は息を奪う呪具」
トキ「笑った途端、肺の水分が急増する症状が出てる」
ゲンボウ「霧の帯が村を輪にしている。外へ逃げられない」
アジサシ「なら、逃げ道の潮路を先に確保する」
私は【蛇影冥衣】を薄く展開し、銀の環で村の根をなでる。溺面は口から滴を垂らし続け、地面には小川のような笑い形の流路ができていた。
夜菜「面は声を貯めて、夜に吐く。誰かの“帰らない笑い”が、供物になってる」
エイリク「取り戻そう。二人で最強だから」
夜菜「皆で、ね」
私は溺面の前に膝をつき、【環廻の龍脈】を細く通す。
——返シテ。
まただ。濡字が縁に浮く。
夜菜「返す。だから、返して」
ハヤブサ「祈り回路、分岐できる」
カケス「反射角、いける……」
カケスは震えていた。面の口が、鏡のように私の指輪だけを明るく映す。
カケス「……それ、が……元凶なんじゃ……」
夜菜「違う。これは蓋。私の力は偏りを生む。蓋があるから調整できる」
カケス「でも、もし——」
彼は私の手からミズガルズ・リングを外そうとした。反射だったのだと思う。怖さに追われた反射。
私は彼の手首を軽く掴み、視線で止める。
夜菜「返して。これは私の暴走の蓋」
カケス「……ごめん。わかってる。わかったから……ごめん」
赦しは罰より重い。私は重い方を選ぶ。
夜菜「なら、息で返して。君の呼気を瓶に吐いて、面に貸す。誰かの“笑いの借金”を肩代わりして」
カケス「やる」
トキが瓶を渡し、カケスは長い息を注ぐ。私は瓶の口を溺面へ向け、環で回路をつなぐ。
ゲンボウ「今!」
氷の薄板が、面の口の前に立つ。反射で私の銀光を増幅、ハヤブサの分岐と同期する。
夜菜「【環咬】」
嚙み切らない。嚙み合わせる。面の口は静かに閉じ、滴は止まった。
村のどこかで、誰かが小さく笑い、咳を一つした。それは声の戻る音だった。
アジサシ「潮路、開いたままにしておく」
エイリクは私の背に手を置く。手の温度が、怖さの形を溶かす。
カケス「ほんとに……ごめん。僕、次で返す。必ず」
夜菜「生きて返して」
カケスは深く頷く。赦しは軽くない。だから、人は軽率をやめ方を覚える。
溺面は黙り、御影は乾いた。けれど、過去形の囁きはまだ村の湿りに残っている。私の仕事は、過去形を現在進行形へ戻すこと。次の夜が来る前に。




