第8話 種族の境は、匂いと皿で越える
交易町は、人と獣人の宴を床の線で分けていた。線の中心に、共同井戸。夜になると井戸が呪いを吐く、そう言って互いに責任を押し付けている。
夜菜「線は一番簡単で、一番愚かな解決」
私は鍋を二つ置いた。骨と香草。獣人の舌に馴染む脂を生かす鍋と、人の胃に優しい滋味の鍋。湯気は境界をまたぐ。
ゲンボウは屋根に、霧と風向きを読む。ハヤブサは井戸の吐出量を測り、分配の水尺を作る。アジサシは仮運河で水桶の往復を効率化。カケスは水面に灯を跳ね返し、広場を明るくした。
夜菜「味の前では、私たちはただの舌。どう?」
獣人の少年「……うまい」
人の商人「認めたくは、ある」
零雅「剣より難しい和平も、匙でできる」
エイリク「君はやっぱり魔女だ」
“魔女”の語感が、不気味より頼もしいへと重心を移していくのがわかる。
問題の井戸は、夜になると笑い声の形をした水音を返してきた。
夜菜「……古い誓いが水に残ってる。どちらの祖も、独占を願ったんだ」
私は井戸の底から濡れた誓紙を引き上げる。字は滲み、けれど拭っても消えない。
夜菜「新しい誓いを、両方の手で書いて、再び沈める。水は記憶する。なら、記憶の中身を更新させる」
ハヤブサ「分配を数式に。昼は人、夜は獣人……では不公平だ。用途で枠を切る」
トキ「汲む前に手を清め、声を荒げないと誓う。声と水は、同じ道具だから」
皆で紙に名を連ね、私が【環廻の龍脈】で井戸の水脈をまっすぐに通す。封印は閉じたまま。
夜菜「祈り、返す。記憶は、今に合わせて」
井戸は一度だけ深く呼吸し、笑い声は吐息に変わった。
エイリク「やった!」
カケス「灯りが綺麗に映る……」
線は消えない。けれど、線の意味が変わる。鍋は空になり、誰かが小さく音頭をとった。
零雅「君のやり方は、刀より減りが少ない」
夜菜「減らすのは、私の怒り」
私は井戸の縁に触れる。水は覚えている。だから忘れさせることも、設計だ。




