第64話 半拍回収の手順、三冊の帳面で
夕刻の井戸は、昼の熱を石に畳んで保存していた。縁に指を置くと苔の湿りが爪の裏に移り、舌の奥に鉄の粉とわずかな桂皮が同居する。ここは名を軽くしない場。日常の中で決めた通り、貸し借りは仮名から始める。私は三冊——水・雷・火——を並べ、頁の角を指先でそろえた。静かな緊張が紙から指へ移り、呼吸は自然に四拍へ整う。
夜菜「第一段階、水帳。『半拍=呼気の遅延』で再定義。第二段階、雷帳。『同調=課金対象』の明示。第三段階、火帳。『怒りを燃料にしない』」
梟雪が小石に自分の仮名を丸い線で書き、井戸の縁へそっと置く。角は丸い——角が立つと、言葉も熱も集まって焦げるから。ハヤブサ・アステリオンは粉で式を引き、間隔を指で刻む。
ハヤブサ「Δを句点で離散化。長文禁止、間は多め」
トキ・ノクトウィンが私の手首に触れ、拍の位置を目で示す。吐く長め。私は頷き、エイリク・モルグストランドの肩甲骨の間へ掌を一拍だけ置く。胸の空洞で配合を組む——樟脳二、焦げ砂糖一、柑橘白皮〇・五。微量の【匂涙換算】を指先へ移し、彼の呼気に“遅れの椅子”を一脚だけ戻す。皮膚の温度が一度だけ落ち、すぐ戻る。
エイリク「……間に、座れた」
その声は湯気みたいに軽いのに、椅子は確かな重さを持って足元に現れる。鴇淵零雅は鞘口で空気の膜だけ撫でた。
零雅「刃は要らない。膜だけ剥げば、呼吸は勝手に揃う」
ゲンボウ・デーメルは風を“静か”へ寄せ、井戸口の音を薄くする。アジサシ・グラスフェザーは背後に索を張り、誰かが空白に足を滑らせたら上から引き上げられるよう結び目を増設した。カケス・フェローは矢を持たず、石縁の角を指の腹で磨いて丸める。角がないほど、焦げは起きにくい。
私は水帳に朱を引く——『定義変更:半拍=呼気の遅延(個人編集権の内側に属す)』。続けて雷帳の『返シタ』欄に書く——『同調の偏り/処理:匂いによる媒体置換・句点増加』。紙面の余白が吸い込むように白くなり、井戸の水面が一瞬だけ曇って、薄い濡字が灯る。——返シタ。礼儀の火花が石に触れて離れ、━━"ぱち"。
短い音が、意味を長く運ぶ。
夜菜(これは掲示の貼り替えではない。生活層の“運用変更”を身体の回路まで降ろす作業。日常の中の周知が届かない層には、仕様の差し替えを手首と匂いで行う)
ハヤブサが式の末尾を払う。
ハヤブサ「次は“口座名”。請求の名を剥がす。対象は仕組み、個人ではない」
私は三冊の余白に小さく、井戸の影に大きく、同じ言葉を書く。『半拍は売り物ではない/編集権は本人に属す』。名を軽くしない手順の追記だ。井戸の鏡は頷くように一度だけ震え、静まる。胸の空洞に句点を一つ置いて、私は次の段取り——広場の炭秤——を思い描く。集計の場所で、名乗りを引きずり出す。




