第53話 弓と包丁、道具は“刃の前”から
台所は午前の光で浅く白い。まな板の木目は細く、包丁は研ぎ立てではない——研ぎ過ぎは過制御だ。私は火帳を開き、『今日の目的:怒りを燃料にしない/温度差の橋脚化』と書き込む。
カケス・フェローが包丁を取り上げ、矢野構えへ置換して見せる。
カケス「狙うのは“切り口”じゃなく“戻しやすい線”。跳ねを抑えて、道を刺す」
鴇淵零雅は鞘口で野菜の表面を撫で、見えない湿り核だけを落とす。
零雅「【乾刃】は出さない。膜だけ剥ぐ」
ハヤブサ・アステリオンは粉で卓上に式を欠く。
ハヤブサ「ΔT(温度差)を分の句読点に割り当てる。短く刻め。渦制御は破綻だ」
鍋の湯が息を一つ吐き、━━"ことり"。
私は【雷環綴】の思想を転写した【熔環綴】で鍋縁の温度差に橋脚を立てる。火舌は性急をやめ、待てる火になる。
カイト・ウルフスパークが味見用の匙を持って覗く。
カイト「塩、どこで測ったの?」
夜菜「湯気。温度は嘘をつかないわ」
トキ・ノクトウィンが私の手首に触れ、指で数える。
トキ「手元は短く・多く」
孤児たちには包丁ではなくて箸を渡す。まず“刃の前”——切らずに並べる、角を丸める、戻しやすい線を見つける。切るのは最後。
梟雪は胡瓜の鎧を指で撫で、“曲がりやすい向き”を確かめる。
雪「ここなら、少し押すだけで曲がる」
夜菜「それが戻しやすい線。刃は、線の延長にだけ入れる」
エイリク・モルグストランドは少し遅れて台に肘を置き、低く囁く。
エイリク「君の料理、凄く優しいね」
夜菜「鍋の言い分を採点するだけよ」
ゲンボウ・デーメルが窓を少し開け、風を“静か”へ寄せる。香は桂皮が一匙、鉄が一筋、そこへ新しい湯気が足される。私は火帳に朱線——『返シタ:鍋の偏り/処理:熔環綴・風・短文手順』
昼餉を配る前、カケスが包丁の背でまな板をとん、と叩く。
カケス「道具は“刃の前”から。矢も、包丁も」
零雅が頷く。
零雅「刃は最後に出る。出さなくて済むなら、それが一番だな」
配膳が終わる。孤児たちの腕から湯気が一斉に立ち、祝灯が窓辺でいくつか灯る。
片付けの後、アジサシ・グラスフェザーが中庭を指す。
アジサシ「午後は物干し。索を張って“避雷線の練習台”にしよう」
夜菜「雷帳の脚注に冗句を足しておく」
明日の段取りが、静かに決まる。平穏は段取りの集合。私はミズガルズ・リングの罅に触れ、乾いた線が一本のままなのを確かめる。非常口は灰、軽さは残る。次は——診療所。




