第51話 共同浴場、湯気で測る平和
共同浴場は桂皮の甘さと石の湿り。響きは柔らかく、湯の表面で小さな地震が往復している。
トキ・ノクトウィンが脈をとる。
トキ「深呼吸だ。平穏にも手順が居る」
カケス・フェローは矢を持たず、置けの縁を丸く磨く。
カケス「角が立つと、心も熱も集まりますから」
私は湯口に【雷環綴】の思想を熱へ転写した【熔環綴】を薄く置く。湯の落ち口に橋脚を立て、温度の段差を丸める。怒りを燃やすのではなく、位置を決め直すのと同じやり方で。
若い父親が赤子を抱えておろおろしている。
父「熱くないですか……?」
夜菜「“指の腹で読む”くらいの温度。温度は言語。嘘をつかないわ」
私は湯気の層を鼻で読み、指の腹で確かめ、湯口を半分だけ挟める。ゲンボウが風を“静か”の側へ寄せると、湯面の小さな地震が落ち着いた。━━"ことり"。
医師が一度だけ納得する音。
脱衣所の隅で、年配の女が古い札を見つけて眉をひそめる。『長話は課電』。規約だ。
夜菜「削除。短文推奨は“節電”のためであって、罰ではない」
私は張り紙の下に、“推奨:短く、間を多く(電位差の整流)”と追記する。条件文で暮らす。
湯気の向こうでエイリクが私を見る。金輪は灯さず、目だけで笑う。
エイリク「君がここにいると、湯が編集される」
夜菜「湯気は文字数が多いから、句点を増やすだけよ」
私はミズガルズ・リングの罅に触れる。わずかに軋むが、乾いた線が一本。非常口は灰になり、軽さだけが残った。
カイトが桶を抱えて入ってくる。
カイト「市場、二枚目の旧札も外せました」
夜菜「ありがとう。周知徹底の押しておいて」
梟雪が湯面を覗き込む。
雪「明日、“手紙の時間”だよね」
夜菜「黒板に最初の一行を欠く。『命令文、禁止。条件文で伝える』」
私は火帳に小さく記す——『返シタ:浴場の温度段差/処理:熔環綴・風・短文推奨掲示』。壁の濡字が薄く灯り、——返シタ。
夜風が入口で鉄の匂いを運ぶ。祝灯は白く小さい。平穏は、やることが多いからこそ平穏だ。合図は三回。床を小さく蹴る音が揃い、湯の表面に句点が一つ、静かに落ちた。明日は孤児宿で手紙稽古。命令形を捨てた使い方を、街の子どもたちと共有する。




