第36話 雷環綴、放電は噛み合うために
夜がほどけ、喉に沈めていた失語の鍵が解錠された。声は戻ったが、私はすぐには使わない。戻った直後の言葉は、油膜みたいに滑りやすい。まずは呼吸四拍、句点を二つ。胸の空洞は冷蔵庫の棚で、昨夜の領収書を順に並べ替える。
祭壇ではメリン=アークフォイルが翅をたたみ、硬質の青でこちらを測っていた。
メリン「条件、満タサレタ。命令文ナシ。未払いナシ。返シタ朱、多シ」
夜菜「従えず、従わせず——連れて行く。そのやり方で、雷も縫えるようになりたい」
私は雷帳の余白に、昨夜の脚注を書き写す。
『非常口は使用済。以後、ifのみ』
自戒は最初の署名だ。
ハヤブサが広間の銅譜を指し示す。
ハヤブサ「氷で得た【氷継】の設計思想を、雷の媒体へ移す。温度差から電位差へ。名は?」
メリンが指先で空気を摘む。
メリン「名ヲ与エル。【雷環綴】。放電ハ壊ス為デハナク、噛ミ合ウ為ニ落チル」
その言葉は胸の空洞の棚にぴたりと収まり、私は試しに一筆。回路の継ぎ目へ円を描き、縁だけを柔らかく接続する。落ちる電は点で止まり、隣の文節へ“橋”を架ける。
エイリクが肩で笑う。
エイリク「君の答えはいつも“噛み合わせ”。好き」
零雅「刃も同じ。嚙み合えば、抜かずに済む」
カケスは矢を撫で、矢尻の角をさらに丸める。
カケス「電鏡跳矢、次はもっと“道”っぽくします」
アジサシは索を解きながら頷く。
アジサシ「逃がし路は増やしておく。配電の街は息で守る」
私はメリンへ向き直り、条件文を短く重ねる。
夜菜「『私が“返す規範”を破らない限り、あなたは私の【雷環綴】に協調する』。命令はしない。従属条は——昨日、使い切った」
メリン「承知。一度デ足リル者ノ手ニ、二度目ハ要ラナイ」
トキが私の手首から指を外し、静かに言う。
トキ「胸の圧、正常。鍵氷は穏やか。泣けない空洞は、保存の器として健在」
私は祭壇の縁に小さく『返シタ』と書く。返したのは、緊急の借りと“やさしい停電”の請求。雷帳の『預り』欄は相変わらず多いが、朱の線も同じだけ増えた。未払いは呪いになる、過払いもまた歪む。均すのが継ぎ目の仕事だ。
遠雷の向こう、赤い稜線が地平に低く重なる。溶岩の神殿は、呼吸音からして熱いだろう。氷は時間を遅らせ、雷は電位を遅らせた。次は熱の文法で、怒りの扱い方をもう一度学び直す。
エイリク「合図は三回、地面を蹴る音」
夜菜「了解。息は大事に」
零雅「護る。砂上でも」
ハヤブサ「式は組み替える。媒体は違えど“返す”は同じ」
ゲンボウ「風を読む。火の前には風が走る」
アジサシ「補給を軽く。索は増やす」
カケス「僕、外さない。外したら返す」
私はミズガルズを撫でる。罅は一本、増えていない。胸の空洞は静かに冷たく、句点は必要な数だけ光る。
夜菜「従えず、従わせず——連れて行く」
踵で三度、短い合図。白い呼気が一つ、雷の図書館から離れて昇った。返す手順を携えて、熱の章へ。放電は壊すためではなく、噛み合うために。




