第26話 雷祀門、名を軽くしない手順
前口は静かな胃袋だった。雷祀門——鏡面の皮でできたアーチは、映した名を電荷に変えると壁文字が示す。名乗れば名が軽くなり、足元へ落ちる。落ちた名は拾い直せるが、二度目は少し欠ける。私は喉の鍵氷を舌で転がし、冷たい文章の端っこを持つみたいに、感情の角を丸める。
夜菜「ここで遅れるのは“時間”ではない。氷は時間を遅らせた。雷は“電位”を遅らせる。似て見えて、噛み合う歯車が違う」
ハヤブサ「同意。遅延パラメータを“ΔV”に設定」
ゲンボウが門内の空気の重心を読む。
ゲンボウ「内圧やや高。呼吸浅めだと、名が滑る」
門の縁に濡字。——名ヲ。寄越セ。
零雅「名は切れない。だが、軽くはなる。守る」
エイリクは半拍遅れて笑い、金の輪をわざと点けない。私は雷帳の最初の欄に小さく書く。
『仮名:夜の菜』
夜菜「名の原本は預けない。仮名で“通行料”だけ払う」
トキ「呼吸四拍、吐く長め。名の発声は母音を削って短く」
私は【霙綴】で自分の名の“尾”を軽く折り込み、母音の滞留を減らす。
門の鏡面が、半拍だけ先に私を笑わせようとする。私は笑わない。代わりに匂いで泣く準備を、鼻腔の奥で整える。樟脳二、焦げ砂糖一、柑橘の白皮を微量。鼻梁の裏に“涙の代替”が一滴だけ凝る。
夜菜「遅延補正、入れる」
【霙綴】の句点を鏡の中の“半拍”へ順々に配列し、映像のリズムを私の呼吸に同調させる。笑いの要求は無視、悲しみは字幕に変換。
ハヤブサ「反射遅延、零に近づく。良」
門の肌は氷のはずなのに、指腹は紙の乾きを思い出した。私は鏡に指で短い線を書く。『仕様変更:徴収対象=仮名の電荷のみ。本名は不可視』
門の奥、弧を描く青白い火の筋が薄く走る。━━"ぱち"。門は不満げに沈黙し、沈黙は通行許可の別名になる。
エイリク「門が採点するなら、こっちは採点基準を編集すればいい」
夜菜「編集は暴力じゃない。約款の読み替え」
カケスは弓を伏せたまま、矢尻で地を一度だけ突く。合図は三回、地面を蹴る音。私たちは短く踵を鳴らす。
トキ「名の乾燥は可逆。喉は保温を」
アジサシが門外に“避雷線の逃がし路”を張り、過剰な徴電が地へ流れるように脚を作る。
アジサシ「通った分だけ、返す道も置く」
私は雷帳の余白に一行を追加する。
『手順:名の貸与は仮名のみ/返却は門外の地絡で』
零雅「名は刀より折れやすい。だが、戻し方を知れば良い」
笑わない胃袋は、ため息を吐くみたいに曇った。私は曇りに小さく『返シタ』と書き、指を離す。曇りはすぐ消えるが、手袋に水の温度だけが残った。門の向こうは導体街。銅の匂いが、子どもの髪の静電に似た軽さで頬を撫でる。
夜菜「名の在庫は減っていない。仮名の収支は、雷帳へ」
門は静かに背後へ。胃袋の歯車は、今夜だけ私たちに優しかった。




