第25話 避雷針の森、声の税を払う前に
北東の台地は避雷針林が規則正しい五線譜で、空の群青は軽く濡れ、鼻腔の奥に樟脳と焦げ砂糖の匂いがまとわりついた。針はみな天へ伸び、黙った指揮棒のように雲の腹を刺している。靴底に伝わる砂の粒立ちは乾いているのに、舌だけが薄く金属の味を拾う。その矛盾を、私は胸の冷たい空洞へ並べ替える。泣けない空洞は、観測の棚として有能だ。
私は新しい帳面を開く。雷帳。中扉に細い朱で三つの欄を引く。
「借りる電位」「返す放電」「危険の閾値」
夜菜「水帳の記法を継承。単位だけ“水量”から“電位差”へ」
トキ・ノクトウィンが頷き、私の手首に置いた指で脈を軽く数える。
トキ「呼吸は四拍、吐くほう長め。胸の圧は数字にすれば怖くない」
最初の塔に近づくほど、言葉が静電気に食われる気配が濃くなった。口を開くと喉に砂が入る——そんな錯覚が咳の形で喉頭に触れる。塔の裾に貼られた濡字が、風に薄く滲む。——返セ。声。
ハヤブサ・アステリオンは塔脚の鋲の配列を視線でなぞり、式に落とす。
ハヤブサ「“発声=微小放電”の課税装置。喋るほど徴電。税率は語尾で上がる」
エイリク・モルグストランドは半拍遅れて笑い、虹彩の金輪をすぐ沈める。
エイリク「じゃあ……短文で勝とう」
私は【霙綴】を喉の内面でひと刷毛、発声の行間に句点を増やす。意味は保ったまま、語尾を短く切る仕様変更だ。
夜菜「課税は“文の長さ”に来る。なら、短く支払わない」
ゲンボウ・デーメルが風筋を変え、塔と塔の間の空気の継ぎ目へ冷たい流れを滑り込ませる。
ゲンボウ「風、右から二。帯電抜ける」
鴇淵零雅は鞘口で湿りを削り、刃は出さない。
零雅「【乾刃】。空気中の握手だけほどく」
刃は見えず、ただ空気のきめだけが一段細かくなる。舌先の金属味がわずかに退き、呼気が楽になる。私は雷帳の『借りる電位』に仲間の名を一行ずつ書き、微少の“帯”を預かる形にする。
夜菜「預かり:笑いの静電、嫉妬の微電、軽率の残滓。返却期、後日」
塔脚の鋲列の一つが、反応したように微振動した。━━"ぱち"。
音は小さいのに、皮膚が先に聞く。
カケス・フェローは弓を持ち替え、矢羽根で自分の前髪を撫でつけてから、視線を上げた。
カケス「跳ね返し角、三段でいけます」
ハヤブサ「やり過ぎるな。過制御は破綻の母」
アジサシ・グラスフェザーが索を巡らせ、避雷線の影を地面に薄く引く。
アジサシ「逃がし路、先に」
私は塔の鋲へ指を添え、【氷継の環】を薄く重ねる。壊すのではなく“支える側”へ職替えさせる一筆だ。課税のための鋲は、逃がし路のための鋲にもなれるはず。
夜菜「仕様を変える。徴電から配電へ」
塔の濡字が一瞬だけ形を崩し、——返シテの文字が裏返って——返シタに近い影になる。私は指で確かに書き足す。返シタ。
台地の奥へ進むほど、空は軽く擦れ、雲の腹が低くなった。合図は三回、地面を蹴る音。皆の踵が砂を三度だけ叩き、沈黙の会話が署名される。
エイリク「短文、いいね。僕の冗談も、短く鋭く」
夜菜「予約制」
笑わないのに、胸の空洞の温度が一度だけ上がる。泣けない代わりに、体温を均す術は学んだ。避雷針林の出口で私は一度だけ振り返り、塔脚に残った濡字を見送る。——返シテ。
夜菜「返す。未払いは呪いに変わるから」
私たちは進む。雷の神殿の前口は、この先で“名”を待っている。




