第21話 契約式:氷譜に署す
祭壇に、譜面のような氷が展開される。氷譜。行間は微細な霜の繊維で、触れると指腹が『静電気の前の空気』みたいにざわつく。私は胸の空洞から“怒りの温度”を取り出し、凍版に写す。怒りは悪ではない。温度差として整形すれば、仕事になる。
トキ「体内の塩分調律、完了。涙腺はまだ抑制下。呼吸は四拍で維持」
ハヤブサ「単位の整合、良好。式は“温度×時間=記憶仕事”で置ける」
私はミズガルズの縁を指でなぞる。一本の罅は静かにそこにある。増えていない。ここで“強さ”を誤読しないように、私はわざと弱い言葉を選ぶ。
夜菜「私は、壊し方と守り方を一緒に学ぶ。だから、句点を置く権利がほしい」
白い影が私の前に滑る。スワンが翼を少しだけ広げる。
スワン「新名を与える。【霙綴じ】」
霙が降り出す前の水分をひと筆でまとめ、暴れる文章に句点を与える技。私は試しに空中へ短い線を書き、水の文から語尾だけを切り離して静物に変える。
零雅「良い名だ」
エイリクは私の横顔を見て、何も言わない。沈黙は護衛の一種。
ハヤブサ「脚注の実装を」
私は氷譜の余白に従属条を正式に追記する。
『緊急の一度に限り、スワンは夜菜の指示に随従』
その下にもう一行、私だけに聞こえる音量で書く。
『この一度を乱用しない』
スワンは白呼気で署名し、氷譜は静かに閉じた。
トキ「胸の圧は?」
夜菜「空洞は冷たいまま。でも、冷たい余白は悪くない。保存がきく」
エイリク「その余白、僕の冗談で埋めてもいい?」
夜菜「予約制で」
笑いの代わりに、私の喉で小さな句点が増える。【霙綴】が胸の内側で一度だけ脈打ち、祈りの文を安定させる。
私は皆を見渡す。鳥の名の仲間たち、白い主、そして一本の罅を抱えた指輪。契約は命令文ではなく、条件文で書かれた——けれど、非常時だけは命令形を許された。
夜菜「行こう。句読点を携えて。次は“雷”の文法で」
祭壇の空気に、氷砂糖と樟脳の匂いが薄く残る。私の胸の空洞は、今日も静かに保存を続けている。涙は出ない。代わりに、正しい句点がいくつか増えた。




