第18話 第三試練:氷鎖の守番
鐘楼の間は、音の無人地帯だった。鳴らすべき鐘は凍り、吊るす鎖は音を食べて太っている。名乗れば名を奪い、歌えば肺から水蒸気を強奪して凍らせる。天井は高く、空気は薄い。薄さは敬語だが、時に脅しにもなる。
ハヤブサが鎖に指を近づけ、すぐ引っ込める。
ハヤブサ「固有振動が“声域”と重なっている。喋るほど相手の栄養になる」
エイリクが肩で笑い、金輪をわずかに揺らして見せる。
エイリク「じゃあ、無言のギャグで栄養失調にしよう」
カケスは弓を伏せ、弦に指を触れない。代わりに矢尻で床を一度だけ突く。━━"こと"。それで十分、空間の癖がわかる。
私は喉の奥で鍵氷を砕き、初めての術を展開する。【氷継の環】。
夜菜「壊すより先に“継ぐ”。敵の武器を足場へ転用」
鎖の節のうち、“切れかけ”の箇所だけを素早く凍らせ、断面の分子を整列させて接続する。切断を封じるのではなく、揺れを別のルートへ逃がす回路に変換する。
ゲンボウが風の筋を読み、私の環の上へ冷たい気流を落とす。
ゲンボウ「上からの荷重、いま三割減。今のうち」
アジサシは索で逃がし路を作り、仮の“潮路”を空中へ引く。鎖の振幅が潮路へ流れ、鐘楼全体の軋みが落ち着く。
トキは皆の喉元に手をかざす。
トキ「声を節約して。息は長く、吐くのを長く」
私は一番太い鎖の“節目”に指を触れる。冷たさが皮膚の記憶へ直通し、そこだけ青春の冬に戻る。学校の手すり、早朝の蛇口、凍ったハンコ——全部が一瞬に合流して、感情の行列が整然と並ぶ。
夜菜「この鎖の仕事は奪うこと。でも、もうひとつの仕事は支えること。支える方向へ“職種転換”」
【氷継の環】を重ねるたび、鎖は“切る武器”から“渡す足場”へと雇用形態を変える。
エイリクが無言で笑い、金輪を鎖の影へ投げ込む。錯視の楔が、鎖の節々の“揺れのタイミング”をわずかにずらし、共振を外す。
ハヤブサ「固有振動、崩れた。いまなら鐘芯へ」
零雅が前へ。鞘の口で鐘の芯に触れ、刃は出さずに乾きを流す。
零雅「【乾刃】」
見えない刃は、切断ではなく“水分の握手をやめさせる”方向へ働き、鐘芯の湿り核だけが静かに砕けた。
━━"ひび"。音はしないのに、耳が音を想像する。
鎖は鳴らず、鐘は鳴らず、間だけが鳴った。守番は肢体を静物へ戻し、食べていた音を吐き出す。吐き出された音は、ただの白い吐息になって空へ散る。
夜菜「攻撃で止めると、反動で世界が揺れる。機能停止で止めれば、揺れは局所に留まる」
私は最後の鎖へ【氷継の環】を一筆。鎖は足場としての自分を思い出し、天井からの重みをまっすぐ床へ渡す。
アジサシ「潮路、撤去開始。これで崩れない」
トキ「みんな、喉は無事。冷えも可逆範囲」
カケスが小さくガッツポーズを作り、すぐ解いて両手を温める。
カケス「僕、今回は外さなかった……はず」
夜菜「外さないことより、外した時に返すことのほうが訓練になる。けど、今日はその訓練はお休み」
エイリク「君がそう言うなら、僕はただ頷く」
鐘楼の間を出る前、私は天井の高みに一度だけ視線を投げる。氷の梁のどこかで、まだ小さな未払いが眠っている気がした。けれど、いまは触らない。
——合図は三回、地面を蹴る音。
次の空洞へ進む足取りは軽い。軽いのに、胸の空洞は重い。泣けない空洞が、言葉を凍らせて保存しているからだ。そこで私はうっすらと理解する。保存は、いつか解凍する予定があるという希望の別名だ、と。
そして、この後に来る氷梯で、私は初めて“音のしない危険”に足をかけることになる。心臓のあたりで薄い罅の気配が目覚めるのは、もう少し先の段落。そこへ向けて、私たちは体温を分け合い、呼吸の長さを合わせた。