第12話 笑って、北へ。氷の神殿で待ち合わせ
朝。村はぎこちない笑いを練習していた。笑うたび、何人かは喉をそっとさすり、ちゃんと舌が水になっていないことを確かめる。私は御影に残った乾きの紋を指でなぞり、領収済みを確認した。
エイリク「次はどこへ?」
夜菜「北。流氷の神殿。怒りを凍らせる術を学ぶ」
ハヤブサ「学術的にも最高。氷は記憶の冷凍媒体だ」
ゲンボウ「道は悪いが、氷上の風は読める」
トキ「凍傷の予防は任せて。体液の塩分を調整する」
アジサシ「荷は軽く。運河はないが、橇路なら作れる」
カケス「……行かせてくれ。僕は次で返すって約束した」
零雅「護る」
私はミズガルズ・リングを撫でた。罅は一本。触れた指先に、銀の滴が落ちる前触れのような脈がある。
夜菜「氷の神殿は涙が鍵。一滴を凍らせて鍵氷にする。代償は、しばらく泣けなくなること」
エイリク「その代償、痛いね」
夜菜「痛いほうが、覚えやすい」
——それに。鍵氷に一滴を封じると、しばらく悲しみに湿度が乗らない。悲しみは乾いた刃みたいに、静かに刺さる。
私は皆を見回す。鳥の名の仲間たち、蛇の環の私。水は記憶、祈り、境界。その全部に私たちは触れて、少しずつ書き換えてきた。
夜菜「世界を壊す者は、世界を守る者。壊し方を選ぶ。守り方も」
風は冷たい。匂いは新しい。私の孤独は歩幅の音に混ざって薄くなる。
エイリク「合図は三回、地面を蹴る音」
夜菜「了解。息は大事に」
出発の前、村人の老女が水甕を差し出した。中で水面が半拍遅れで空を映す。
老女「これで喉を潤してお行き。水は昔の話も連れていく」
夜菜「返します。“返シテ”に、“返シタ”で」
私は甕を傾け、ひと口だけ飲む。常温の水が胸に落ち、昨夜の恐怖の温度差をならす。
地平の向こうに、氷の図書館の背表紙のような白い稜線が重なって見えた。そこにはきっと、凍った悲鳴も眠っている。
封印は閉じたまま。手の中の鼓動は確かに速い。次の縫い目はまだ遠い。だから歩く。歩きながら、選ぶ練習を続ける。