献上品
「で、桃屋さんゆっくりしていってくださるのかしら?」
げげ・・・まだ奥様は諦めていなかった。
「いい加減にしてください母上!」
紫蘭が強めに母をたしなめる。
「お~怖い怖い、わかったわ・・・それじゃまた今度ゆっくりお話ししましょうね」
少しバツの悪そうな顔を浮かべる奥様だが諦めてくれたようだ。
紫蘭という男が、空気の読めるやつでよかった。
「はい、ぜひまたの機会に」
胡桃はぺこりとお辞儀をし屋敷を後にした。
それにしてもこんな山の中にあんな美しい方々が住んでいるとは、まるで狐に化かされていたようだ。
この山の狐の噂、あれはおおよそあの美しい奥様を見た男どもが心を奪われてしまうという色話が飛躍したものだったんだろう。
息子もすごい美貌だったものな・・・
顔を赤らめる胡桃
(いかんいかんあんな色気の塊のような人たちといると、その気はなくても色香にやられてしまいそうだ、さっさと店に帰ろう)
山を抜け店に帰ってきた胡桃。
(やっと着いた・・・結構遠かったな)
「兄さまー!今帰りました」
気だるそうに帰宅を伝える胡桃
店の奥から兄が出てきた
「遅かったな」
気づけばもう八つ時を過ぎている
「お茶をしていかないか、と引き留められたけど断ってきた」
「奥様はお喋り好きだからな、つかまると日が暮れてしまうぞ!アハハハ」
(先に教えといてくれよなバカ兄貴)
「なんか言ったか?」
「なんでもな~い。そういえば帝に献上する菓子はできたの?」
「おかげで完成したよ、今回は巷で流行っているものを取り入れてみたんだ。毎回見た目だけ美しく、代り映えのしないものを持っていっても、飽きられてしまうからな!なにより帝もその流行りものが、お好きらしい」
そういうと兄は店の奥の工房から菓子を一つ持ってきた。
灰色の餅に海苔がまいてあり、小鉢に入った醤油ダレが添えられていた。
この灰色は炭か?いや、ところどころ粒のようなものが混じっている・・・
これは何かの穀物の殻か?においをかぐと、青いトマトのような香り、どこか香ばしさもある。
何だこれは?わからない。こんなもの巷で本当に流行っているのか?
「これはいったい?」
「お前は分からんだろうな」
嘲る兄。
「これは蕎麦の実を使った菓子だ」
「蕎麦・・・」
「お前は扱うことができない代物だろう、だから今日は工房に立ち入らないようにと配達に使わせた」
蕎麦には苦い思い出がある。
あれは今から二年前わたしが十五の時、兄に連れられていった蕎麦屋で死にかけた。
一口食べた瞬間、猛烈な息苦しさと全身に無数の赤みが現れ私は気を失った。
目が覚めた時には、倒れた日から七日は過ぎていただろう。
わたしは運がよかったので、今はこうして元気にしている。
健康にいいと蕎麦を幼子に食わせた者もいたが、その幼子はわたしと同じ症状で亡くなったらしい。
人には好き嫌いではなく、体が受け付けない食べ物があると私は思い知らされた。
それ以来、蕎麦に触れることはおろか蕎麦を扱うときは工房にも立ち入らぬようにしている。
待て・・・匂いを嗅いでしまった・・・
「かゆっ!」
腕を見ると少し赤みが出ていた。
搔きむしる胡桃
匂いを嗅いだだけの極少量ならこの程度ですむのか・・・
「おっと、これはお前には毒だもんな」
そういうと兄はうまそうに食べていた。
わたしも食べてみたいな、さぞうまいんだろうな。
せめてどんな味か聞いてみたい
「兄さま、この菓子がどのような味なのか知りたい」
「そうだな~この餅には少し塩味を持たせている。そして蕎麦には刻み海苔がかかっているのが今の流行なんだ。だから餅に海苔をまいた。蕎麦の香りと海苔の香りが相乗効果でお互いをより高める、そこに甘く煮詰めた醬油ダレを付けることによって、塩味と甘味のバランスの取れた菓子になる。しかも蕎麦の実を殻ごとすり潰して餅粉に混ぜたことで、噛めば噛むほど蕎麦の豊潤な香りが口の中いっいぱい広がって、味覚も嗅覚も楽しませてくれる菓子になっているぞ」
兄の説明を聞きながら餅を見つめる胡桃
(それで餅の中に粒が混じっていたのか・・・これは何かに応用できそうだ)
「お前に食べさせてやれないのが残念だよ」
そういって兄は工房に戻っていった
きっと工房に私が入れるように今から掃除を始めるんだろう。
(あ~私も食べれないのが残念すぎる)
明日、兄とともに宮廷にあの菓子をもっていく。
きっと帝もお喜びになるに違いない。