紫蘭
諸用を終え屋敷に帰るとそこには、自分と同じ年頃の小柄な娘がいた。
どこか見覚えのあるその顔は母の言葉で確信に変わる。
「紫蘭、桃屋から使いで来てくださった・・・えっと・・・あなたお名前なんて言うのかしら?」
「はい、胡桃と申します。以後お見知りおきを」
「はじめまして紫蘭だ、今後ともよろしくたのむ」
桃屋の娘!!・・・ついにこの日がやってきた。
何年待っただろう。
紫蘭は高鳴る鼓動を悟られぬよう冷静にふるまう。
ずっと会いたかった娘が、いま目の前にいる。
初めて会ったのではない、しかし娘は自分に気づくことはないのだ。
あれは10年前俺が八歳の時、ちょうどこの屋敷での生活が始まって一年が過ぎようという頃だった。
「紫蘭様!外を出歩いては、いけません!」
左衛門が山の中に行こうとする紫蘭をよびとめた。
「屋敷の中は、たいくつだ!外であそびたい」
「なりませぬ!あなた様は目立ちすぎる・・・さらわれでもしたら」
紫蘭の風貌は母の桔梗と同様ひときは美しく珍しい、それが枷となっていた。
「それならばこれを付けておいき」
「奥様・・・」
桔梗は息子の紫蘭に狐の面を被せた。
「この山には恐ろしい狐が出ると皆に触れ回っておこう、左衛門頼みましたよ」
「しかし奥様!」
「左衛門!この山を駆け回るのは恐ろしい狐であろう!?」
ギロッとにらみを利かせる桔梗
「急ぎ町のものに触れ回っておきます」
左衛門は気迫に負けた
「八つ時には戻るのですよ!可愛い私の狐さん」
「はい、母上!」
それ以降、紫蘭は狐の面を付けて山の中で自由に行動できるようになった。
そして春の穏やかな日、山の中で虫を探していた紫蘭はいつもと違う光景を目にする。
動物ではない生き物の気配・・・茂みの陰からそっと覗く紫蘭。
「あった!紅花」
赤い花を楽しそうに摘む少女がそこにいた。
「こっちにもありそうだな~」
少女が紫蘭のほうへ向かってくる
まずい・・・気づかれる!
少女は紫蘭がいる茂みをかき分けた
「狐・・・」
少女はぽつりとつぶやいた。
面越しに目が合い、呼吸が止まる。
初めて同じ年頃の子供と出会った紫蘭はどうしたらいいのかわからない。
「狐は、山の中詳しそうだね」
ニヤリと微笑む少女
「・・・」
うなずくことしかできなかった。
「この赤い花を探しているんだ。もし生えている場所をしっていたら教えてほしいんだけど」
少女のいう赤い花ならこのあたりには沢山ある。
屋敷の人間以外、ましてや同じ年頃の子と、こうして出会うなんて思ってもいなかった俺は、突然現れた少女に強く惹かれた。
とにかく気に入られたいと、赤い花が咲いている場所を手あたり次第案内した。
少女はかごいっぱいに赤い花を入れて、満足そうに俺にこう言った。
「狐ありがとう、お礼に私が作ったお菓子をわけてあげる」
そういって少女は包みから薄紅色の桃の花の形をした何かを俺にくれた。
「これね、練り切りっていう菓子なんだ、甘くておいしいよ、形はまだ練習中だから不格好だけど・・・」
少女に背を向け面の下から一口で食べた。
甘くて優しい味が口いっぱいに広がる、今まで食べたどんな菓子よりもおいしい。
「味は・・・まぁまぁだろ?」
不安そうに少女がつぶやく
「おいしいよ」
少女の顔が緩むのがわかった。
「狐あんたしゃべれるんだね!ちなみにその菓子のピンク色はこの紅花からできているんだ」
かごの中から赤い花を出して見せる少女
「そ・・・うなんだ」
「だからまた材料が必要になったらこの山に来ると思う、その時はまた案内してくれたら助かる」
「わかった・・・」
それから少女とは何度も紅花を集めたり菓子の材料になりそうなものを一緒に探した。
そのうち少女が胡桃という名前で、桃屋という甘味処の娘だと教えてくれたが、自分は名を教えることはおろか素性を一切明かさなかった。
それでも俺を対等な立場で扱ってくれ、気を使わないでありのままの自分を受け入れてくれる胡桃といる時間は俺にとって特別だった。
だがある日を境に胡桃は、ぱたりと山に来なくなった。
何かあったのだろうか?それとも嫌われたか?ほかに楽しいことを見つけたのかもしれない、答えもわからぬまま不安と心配が続き、しだいに山に入ることもなくなっていった。
知っているのは桃屋の娘で胡桃という名前ということ。
山の中で誰かと会っていたことが左衛門たちに知られるのもあまりよくないとわかっていた。
なにより当時の俺は街に降りることは許されておらず、どうしようもなかった。
何年かたって母が桃屋の菓子を気に入って頼むようになったのを機に、これはチャンスと桃の花の練り切りを毎週頼むようになった。
いつか胡桃にまた会えるかもしれない、胡桃が作った菓子かもしれないと期待していた。
期待もむなしく、いつも配達に来るのは胡桃の兄だった。
そしてついに今日、兄ではなく胡桃がこの屋敷にやってきたのだ。
歯がゆい・・・いっそ伝えたいが、見ず知らずの男に
(いつかまたお前にあえるとおもって毎週菓子を頼んでいたんだ)
なんて言ったら気持ち悪すぎる・・・無理だ!
まず忘れられていたらと思うと、とてもじゃないがこのまま冷静沈着な俺を装っておく方が得策
しかもさっき勢いで初めましてと言ってしまった・・・もう取り返しがつかない
完全に昔のことを話すタイミングを逃してしまった・・・
しかも母がせっかくお茶に誘っているのに!俺は望んでいることと逆のことをしている。
何をしているんだバカバカバカ!
ダメだ冷静になれ、取り乱すなここは落ち着かねば。