北境イェブールの影-2
王都ルミナス、大通り沿いに並ぶ宿屋の中でも古参の石造りの宿――そこが、レオンたちの常宿である。
厚い石壁は長い年月を耐え抜き、彫刻の入った梁は幾度もの季節を見守ってきた。
ゆるく積まれた煙突からは、早春の冷たい空気に混じって白い煙が立ち昇り、暖炉には火が絶えることなく揺れている。
王都の騎士や書記官も愛用するその宿は、静かで居心地がよく、まるで外の喧騒を遮る小さな聖域のようだった。
「ふぅ……今日で依頼三つ目だよ?ねぇレオン、わたし褒められてしかるべきだと思うんだけど」
リリスが椅子に腰を下ろすなり、伸びをしながら声を上げる。
「盗賊が討伐数で張り合うな。……ただ、助かったよ」
レオンは長剣を拭きながら淡々と答える。刃に映る炎の揺らぎが、彼の冷静な瞳を赤く染めていた。
今日の依頼は、東側の城壁裏で増え始めた魔獣の掃討だった。
寒さで空腹になったのか、冬場の魔獣は妙に攻撃性が増す。石畳に残る血の匂いがまだ鼻を刺すように思えた。
「エルザの前衛での押し込みが完璧だった。セシリアの結界も助かった。カインの雷撃は……ああ、あれは恐ろしく速かった」
「まあね」
カインは涼しい顔で杖を抱える。
「放電の角度を少し変えたのよ。効率が良くなったの」
「リリスの斥候も助かったぞ。側面を守れた」
「えっへへ〜。ほらね、たまには褒めてくれないと!」
リリスの笑い声が暖炉の炎に重なり、部屋の空気を柔らかくした。
魔物討伐の依頼をこなしながら待つ日々が続いたが、どれも危険度は高くなかった。けれど――妙に気になる点があった。
「……魔物、多いな」
レオンの低い声が、宿の静けさに沈む。
「うん。ルミナス周辺でこれって珍しくない?」
リリスも眉を寄せて言う。
セシリアが頷いた。
「ここ最近、祈りの広場でも“北の方角がざわついている”という人が増えています」
その言葉は、祈りの声に混じる風のざわめきを思わせた。
「気のせい……ではないな」
レオンは確信を抱いていた。小さな揺らぎは、いずれ大きなうねりとなる。それを何度も見てきた。
そして、その日の夜。宿の女将が階段を上がってきたところで、レオンたちの部屋の扉がノックされた。
「レオンさん、お客様ですよ」
「客……?」
レオンたちは顔を見合わせ、扉を開く。
そこには、深緑の上質な外套をまとった男が立っていた。蝋燭の光を受けて外套の布地は深い森の影のように揺れ、胸のバッジには――
「これは……メルセドーラ辺境伯家の紋章?」
カインがいち早く気づき、目を細めた。
「はい。オーケルベーレ様よりの使者として参りました」
使者は恭しく頭を下げ、封蝋付きの文書を差し出した。蝋の赤は、まるで血のように重く、封じられた言葉の重みを暗示していた。
レオンが受け取ると、使者は静かに続けた。
「シィグルダ帝国への入国許可について……予想以上に時間がかかっているとのこと。いろいろと“確認”が膨らんでいるようでして」
「……そう簡単にはいかない、ということか」
カインが皮肉めいた声を漏らす。
「その間、王都に留まって動けないのは困る……という辺境伯様のお考えです。そこで――」
使者は少し声を落とした。
「しばらくの間、領都イェブールに向かい、待機していただきたいとのご指示です」
「イェブールに……」
セシリアが小さく息を呑んだ。
エルザは即座にうなずく。
「北境の状況を見るにも、ちょうどいい場所です」
「帝国との国境も近いし、交易の街だから情報も集まりやすいよねぇ」
リリスが地図を思い浮かべるように言った。
レオンは封書を読み終え、そっと息を吐く。
――オーケルベーレも、状況がただ事ではないと踏んでいる。帝国が何をしていようと、魔物が暴れていようと、必ずその陰に“理由”がある。そして、その理由を突き止めるためにはイェブールは最適の地だ。
レオンは仲間たちを見回し、力強く頷いた。
「向かおう。北境の要衝――イェブールへ」
その言葉に、エルザの瞳が燃えるように輝く。
「わかったわ!」
カインは静かに杖を握り直した。
「準備には数日もいらないわ。すぐに出られる」
セシリアは微笑み、ローブの胸元を整える。
「旅路の祝福を。……きっと、あの地に何か答えがあります」
リリスは腰の短剣を軽く叩き、笑った。
「よーし、じゃあ北の冒険、始まりだね!」
レオンは最後に封書を畳み、外套を肩にかける。
寒気の中で、旅の予兆が風の匂いと混ざる。
窓の外では、夜の街灯が石畳に淡い光を落とし、遠く北から吹く風がその光を揺らしていた。この先で何が待つのか――それはまだ誰にも分からない。だが、歩む道は決まった。




