北境イェブールの影-1
ガラハッドの言葉――
「……何か異変が起きている」
その一言は、ギルド本部の喧騒の中でも底冷えするような重みを帯び、場にいた全員の背筋をわずかに硬直させた。
晩冬と初春の境目。季節の狭間にざわつく空気よりも、不穏な予兆は確実に濃かった。外の街路ではまだ雪解け水が石畳を濡らしているはずだが、この瞬間、レオンたちの胸に広がったのは春の兆しではなく、嵐の前の暗い雲の影だった。
もちろん、こういう時に真っ先に口を開くのは――
「……ねぇレオン。こういうのって、また面倒ごとの匂いしかしないんだけど?」
出た、リリスの悪い勘。だいたい当たるから余計に厄介だ。リリスの声は軽やかに響いたが、その裏に漂う緊張は、冗談の衣をまとった刃のように鋭かった。
「慎重に情報を集める必要があるな。魔物の増加、行方不明、負傷者……どれも偶然の域じゃない」
レオンは依頼板を見つめつつ、冷静に状況を整理していく。その瞳は氷の湖面のように揺らぎなく、しかし深い底に波紋を隠していた。
エルザは腕組みしながら、きゅっと唇を結んだ。
「北境……話を少し聞いたことがあります。魔物が増える時は、必ず背景に“何か”があります」
その声は硬く、だが揺るぎない。まるで剣を鞘に収めたまま構えるような緊張感を帯びていた。
「そうよね。自然現象だけで説明がつくなら、こんなに一斉に活性化しない」
カインはいつもの冷静な口調で言う。
「気象、魔力流、地脈――要因はいくつかあるけれど、全部に“煽り”が必要。誰かがやっているか、何かが動いているか……」
その言葉は淡々としているが、まるで冷たい霧が床を這うように、場の空気をさらに重くした。
セシリアは胸元で指を組み、静かに息を吸った。
「どちらにしても、人が巻き込まれるのは避けたいですね。早めに動いた方が良さそうです」
彼女の声は春風のように柔らかく、しかしその奥には祈りにも似た切実さが宿っていた。
「いやぁ〜、ほんと面倒だよね。でもさ、わたしたち、結局こういうの放っておけないんだよねぇ」
リリスが肩を竦めつつ笑った。
陽気な声で話してはいるが、指先がわずかに緊張しているのをレオンは見逃さない。その笑いは、夜の焚き火に舞う火の粉のように一瞬の明るさをもたらすが、すぐに闇へと溶けていった。
(――また、嵐の前の匂いか)
エルディア魔塔国の件、帝国との不穏な影……嫌でも思い出す。過去の記憶が、冷たい風のように背後から忍び寄り、未来の影と重なり合う。
ガラハッドは腕を組み直し、低く続けた。
「今の段階で確実に言えるのは一つ。北境で何かが動いてる。そして、それは放置できる類いじゃない。……お前たちは、依頼をいくつか片づけながら待機していろ。すぐに本部からも追加情報が届くはずだ」
「了解しました」
レオンは仲間たちと視線を交わし、短く返事をした。その声は短いが、確かな決意を含んでいた。
こうしてレオンたちは、北境イェブールの影を意識しつつ、しばらく王都ルミナスを拠点に動くことになった。
窓の外では、まだ冷たい風が街路を吹き抜けていた。だがその風は、ただの季節の移ろいではなく、遠く北境から届いた不穏な囁きのように感じられた。




