王国北部のざわめき-2
「レオン。最近、あの地方に行ってないわね」
カインが横から問う。
「そうだな、ずっと西方や南方の旅だったからな。北境の最近の動きは知らなかった」
レオンは近づき、依頼書を一枚ずつ確認しはじめた。
すると、どれにも「例年より魔物が多い」「行方不明者が出ている」「巡回隊の負傷者が増加」といった不穏な記述がある。
「これは……急激すぎます」
セシリアが眉を寄せて呟いた。
「どう見る、レオン?」
エルザが問う。その声は、依頼板の前に漂うざわめきを一瞬だけ静めるように響いた。
レオンは依頼板を見つめたまま、小さく唸った。紙片に刻まれた文字はただの報告であるはずなのに、そこから滲み出る気配は冷たい風のように背筋を撫でていく。
「……気になる。何かが起きている気がするが、情報が少なすぎる」
その言葉は、石造りのホールに低く落ち、仲間たちの胸に重さを残した。
「じゃあ、聞いちゃおっか」
リリスがひょいとカウンターへ向かう。軽やかな足取りは、緊張を破る風のようだった。その先、明るい声がする。
「お帰りなさい。報告は無事に終わりましたか?」
クロエ――ギルド受付の女性だ。柔らかなウェーブの髪が揺れ、大きな瞳が優しく瞬いている。窓から差す光を受けて、その姿は春の陽だまりのように温かかった。
「ああ、問題なく終わった。ありがとう」
レオンが礼を言うと、クロエはにっこりと微笑んだ。
「よかったです。皆さん、お疲れさまでした」
その笑みは、冷えた空気を和らげる花の香りのように広がった。
リリスがカウンターに身を乗り出す。
「ところでさ〜、クロエちゃん。この依頼板ってさ……イェブールの討伐依頼、多くない?」
「あ……やっぱり気づかれましたか」
クロエの表情が、一瞬だけ陰を帯びた。その微細な変化を見逃さず、レオンたちは自然と身構える。光の中に落ちた影は、ただの影ではなく、未来を覆う予兆のように見えた。
そこへ、ゆっくりした足取りで近づく影があった。
「お前たちの目ざとさには感心するな」
ガラハッドだ。腕を組み、険しくはないが鋭い視線を依頼板へと向けていた。その姿は、嵐を前に立つ古樹のように揺るぎなく、しかし風を感じ取っていた。
クロエが補足するように口を開いた。
「実は……ここ最近、王国北部で、魔物の活性が急に上がっているんです。特にイェブール周辺は顕著で、巡回兵からの報告も増えています」
「北境で?……ただの魔物の増加とは思えんが」
レオンが低く呟く。その声は、石の床に落ちる水滴のように冷たく響いた。
ガラハッドは顎を触りながら、さらに重い声で言った。
「単なる増加――で済ませられりゃ楽なんだがな。残念ながら、そうもいかん。王国本部でも調査班を動かしている。だが、まだ原因の特定には至っていない」
「帝国側の動きは?」
カインが問う。
「少なくとも表向きは静かだ。だが、北境で動きがあるとき、帝国がまったく関係していないことは滅多にない」
セシリアが不安げに胸の前で手を握る。
「魔物の活性化……原因が自然現象でない場合は、何かの“前兆”であることが多いのですが」
「前兆、ね……」
エルザが呟き、真剣な眼差しで依頼板を見る。その瞳は、紙片に刻まれた文字の奥に潜む影を見抜こうとするかのように鋭かった。
リリスも珍しく冗談を言わず、肩に手を当ててぼそっと漏らした。
「なんか……嫌な予感する。あたしの勘、外れてくれていいんだけどなぁ」
その声は、夜の森に響く獣の遠吠えのように、場の空気を震わせた。
レオンは深く息を吸い込んだ。
――エルディア魔塔国での出来事。
――シィグルダ帝国との暗い繋がり。
――ローデリックの残した影。
それらが淡く線を結び、さらに遠くの北境へとつながりそうな感覚があった。まるで見えない糸が、彼らの未来を静かに引き寄せているかのようだった。
ガラハッドが、ゆっくりと続ける。
「だからだ。最近、王国の北の国境付近で――」
部屋中の空気が、ひとつ震えただけで変わるような重い沈黙が落ちた。蝋燭の炎がわずかに揺れ、影が長く伸びる。その沈黙は、嵐の前の静けさのように、全員の心を包み込んだ。
ガラハッドが顔を上げ、静かに告げた。
「……何か異変が起きている」
その言葉は、石造りのホールに深く刻まれ、未来への不安を確かな形に変えた。




