倉庫街の夜、金貨は毒を孕む-1
エルディア魔塔国の首都リオフェールの夜は、いつもどこか焦げた匂いがした。
それは、街の至るところに立ち並ぶ研究塔の蒸気管から漏れる熱気と、街灯に燃える青白い魔力の灯が交じり合うせいだ。その匂いは、知識と欲望が擦れ合う音のように、空気の隅々に染み込んでいた。
その空気を切り裂くように、エイザとボルベバの笑い声が、倉庫街の奥に響いていた。その笑いは、夜の静けさに油を垂らすように、ぬるりと広がっていく。
「じゃあ、ヘレンさん、今夜はゆっくり休んでくださいね」
エイザが愛想よく言うと、ヘレンは軽く頷いて微笑んだ。
「ありがとう。あなたたちのように若い人が国の研究を支えるのは心強いわ」
その声には、疑うことを知らぬ温かさが滲んでいた。それは、信じる者だけが持つ、柔らかく脆い光だった。
ヘレンが倉庫の外に出ると、従業員の一人が丁寧に頭を下げ、「お送りします」と言って、夜の街路へと歩き出す。
ランタンの灯が遠ざかり、やがて石畳の影に消える。その光を最後まで見送ってから、ボルベバが腹の底から笑った。
「……あのばばあ、ほんとに馬鹿だな」
ボルベバは汗で光る額を手の甲で拭いながら、分厚い財布を懐から取り出した。
金貨の擦れる音が、倉庫の静けさの中でやけに鮮やかに響く。それは、誠実の仮面を剥がす音だった。
「こいつを使って、オレクシア商会から、あの従業員どもを借りただけだ。見ろよ、完璧な商会ごっこだ」
ボルベバは低い笑いを噛み殺しながら、作業台の上にいくつかの金貨を放った。
受け取った若い男たちは、すぐに箱を片付け始める。いくつかの箱の中身は鉱石ではなく、ただの重しに過ぎなかった。その重さは、欺きの演出に必要な“信頼の質量”だった。
エイザは煙草に火を点け、細い煙を吐き出した。その煙は、夜の焦げた匂いに溶け込みながら、空気に小さな嘘を混ぜていく。
「ボルベバ、上手くやったな。こんなに簡単にいくとはな。世間知らずもいいところだ」
「まったくだ。それっぽい、事業の姿を見せただけで、あの顔だ。信じきってたな」
ボルベバの笑いはますます太くなった。その笑いは、金の音に似ていた。響きはあるが、温度はない。
「なぁエイザ、お前、もらった小切手はすぐ換金しとけ。オレクシアの連中、明日にはこの倉庫も畳んで、もう別の場所へ移るらしい」
「オレクシアの連中もやばい仕事をやっているじゃないだろうな。まあ、とりあえずは了解だ。いつも通り分け前は折半でいいんだろ?」
「もちろんだ。だが、そろそろ潮時かもな。ここらの連中、最近うるさい。塔家直属の調査官もうろついてると聞くし……エルディアを出るなら今のうちだ」
エイザは煙を吐きながら肩をすくめた。
「調査官なんてどうせ脅しばかりさ。俺たちがやってるのは、ちょっとした芝居だ。金を払う奴が馬鹿を見るだけだ」
「そう言ってるうちに首が飛ぶぞ」
ボルベバは笑いながらも、目だけは笑っていなかった。その目は、金貨の裏に刻まれた毒のように、静かに光っていた。
「それに、オレクシアの名前を使いすぎた。そろそろ裏がバレる」
「だったら別の名前を貸してくれる商会を探せばいい」
エイザは淡々と答える。
「どうせ、名前なんて誰も気にしちゃいない。光る札束のほうしか見てないんだ」
その言葉は、夜のリオフェールにぴったりだった。
焦げた匂いの中で、灯りは青白く燃え、誰もが札束の光に目を奪われていた。その光の裏で、罠は静かに形を変えながら、次の獲物を待っていた。




