カフェの午後、真実はまだ遠く-2
――鈴の音。
音は小さく、しかし確かに空気を震わせた。
入ってきたのは、白一色の服をまとった若い男だった。髪は淡い灰金色、整った顔立ちに笑みを浮かべている。だがその笑みは、どこか貼りついたような薄さがあった。まるで、鏡に描かれた笑顔がそのまま顔に貼り付いたような、温度のない表情。
「来た……!」
ラヴィが小声で呟く。
「間違いない、あれがエイザ」
レオンは男を観察した。身なりの整い方が不自然に上等だ。
仕立ての良い上着に、指には金の指輪が三つ。手元の癖、歩き方――それは、金を持つ人間ではなく、金を“見せたい”人間の仕草だった 虚飾の鎧を纏った者の、演技の残響。
「エイザ、ね……」
リリスが戻ってきて、二つのカップを置きながら囁いた。
「名前がエルザと似てるけど、雰囲気は真逆だね。こっちは“信用してはいけない方”の音」
「おい」
エルザが眉間に皺を寄せたが、リリスは舌を出して笑っただけだった。その笑みは、緊張の糸に風を通す者の、軽やかな魔法だった。
エイザは店の中央あたりのテーブルに腰を下ろし、周囲をさりげなく見回した。その視線には落ち着きがなく、何度も入口と窓を交互に確認している。まるで――待っている。その落ち着きのなさは、獲物を待つ者の静かな焦燥。
「誰かを待ってるね」
セシリアが小声で言う。
「落ち着きがなさすぎるわ。あの手つき……」
カインの視線がわずかに鋭くなる。
「詐欺師か、情報屋か」
ラヴィはメモ帳を手に取る。ペン先が紙を走る音が、焙煎機の金属音に混じって微かに響く。
「この瞬間、取材開始!」
リリスが小さく肩をすくめる。
「また勝手に始めたよ、あの子」
「止めても無駄だ」
レオンは囁き、静かに椅子に背を預けた。
「それに……あの男の相手を確認する価値はある。見届けよう」
店の中には、音楽もない。ただ、カップの触れる音と、人々の小さな話し声が、淡く空気を揺らしている。
冬の日差しがガラス越しに傾き始め、外では鳩が屋根の上で羽を休めていた。
時間が、ゆっくりと進む。
――そして。
カラン。
扉の鈴がもう一度鳴った。音は、先ほどよりも少しだけ重く響いた。
入ってきたのは、一人の老女だった。年の頃は六十を越えているだろうか。
灰色の髪を小さくまとめ、襟のついた上等な外套を身に着けている。だが、その歩みは慎重すぎた。
目の奥には、どこか怯えと不安が混じっている。その瞳は、過去に何かを失った者の、静かな揺らぎを宿していた。
「……あれが?」
ラヴィが囁く。
「うん。まさか本当に」
エイザはその瞬間、笑顔を広げた。待ち人が現れた、と言わんばかりに手を振る。
白い袖が、昼の光を反射してわずかに眩しかった。その光は、まるで罠に差し込まれた祝福のように、静かに空気を染めた。
老女は驚いたように立ち止まる。けれど、その笑顔に釣られるように、ゆっくりと歩み寄っていった。
彼女の手には、小さな革の鞄。中には――おそらく、彼女にとって大切なもの。金か、希望か、それともその両方か。その鞄は、彼女の信じるものすべてを詰め込んだ、静かな祈りだった。
リリスが息を呑む。
「……わかりやすいね。完全に騙されるタイプ」
カインが低く呟いた。
「あの目の動き、もう術中よ」
セシリアが唇を噛む。
「止めるべきかしら……?」
レオンは答えない。視線の先で、老女が微笑もうとしている。
その顔には、信じたいという一心が滲んでいた。その微笑が、哀しくも温かく見えたのは――冬の光のせいだろうか。
老女の影が、テーブルの上に差し込む。
エイザは立ち上がり、椅子を引いた。まるで紳士のように、丁寧な仕草で。
「どうぞ、お掛けください」
そう言ったように、唇が動いた。
老女は小さく会釈し、両手で鞄を抱えたまま、ゆっくりと腰を下ろす。その動きは、信頼という名の橋を渡る者の、静かな一歩だった。
そしてその橋の先に、何が待っているかは、まだ誰にも見えていなかった。




