選ばれぬ者たちの誇り
夜明けが訪れると、森の中は淡い霧に包まれた。木々の隙間から差し込む朝陽が、湿った大地を照らし、露を帯びた草葉がきらきらと光る。鳥のさえずりが響き渡り、静寂に満ちていた森がゆっくりと目を覚まし始めていた。
レオンたちは、昨夜の野営地を片付け、再び封印の谷を目指して歩みを進めていた。
「……昨夜のこと、まだ気にしてるの?」
リリスが小声でレオンに問いかける。彼女の目線の先には、少し前を歩くヴォルフガングの姿があった。彼は相変わらず堂々とした足取りで先頭を進み、その背中には迷いの色はない。
「まあな。価値観の違いってのは、簡単に埋まるもんじゃない。」
レオンは肩をすくめながら答えた。昨夜の焚火の場での議論は、彼の中に妙な引っ掛かりを残していた。選ばれた者だけが生き残るべきだと信じるヴォルフガング。その思想を真っ向から否定したマリオン。二人の間にあったのは単なる意見の相違ではなく、根本的な生き方の違いだった。
「ふむ、おぬしたちがそんなことを考えるとは、少しは成長してきたようじゃな」
マリオンが歩きながらレオンたちに声をかける。彼女の手には、いつものように杖が握られており、悠然とした足取りで進んでいた。
「考えざるを得ませんよ。選ばれた者だけが生き残るべき、なんて言われたら、俺たちの存在そのものを否定されているような気がしてな」
「その感覚は大事じゃ。そうやって自分の在り方を見つめ直すことが、真に強くなるということじゃからの」
リリスがマリオンの横に並び、ふと笑いながら言った。
「ま、『マリばあ』が言うなら、そうなのかもね」
「誰がばあさんだと言った!」
マリオンが杖を軽く振り上げ、リリスの額を小突く。リリスは「いたっ!」と抗議しながらも、どこか楽しそうだった。
「やっぱり怒るんだ。あー怖い怖い」
「まったく、口の減らぬ小娘め……」
そう言いながらも、マリオンは懐から小さな袋を取り出すと、その中から丸く黄金色に焼き上げられた小さな焼き菓子を取り出し、リリスに投げ渡した。リリスは少し驚いたように目をぱちぱちさせながらも、それを素早く受け取る。
「……これ、くれるの?」
「おぬしのような者は、黙っていると腹をすかせた猫のようにうろつくでな」
「ふーん、ありがと。」
リリスは素直に受け取り、一口かじると、わずかに目を丸くした。
「うまっ……!」
「当然じゃ。これは儂の秘伝の菓子じゃからな」
「秘伝って、どこで手に入れたの?」
「昔、ある友から教わったものよ」
マリオンは静かにそう言うと、懐かしむような目をしてその歩を進めた。その横顔を見たリリスは、なんとなくそれ以上聞くのはやめた方がいいと感じた。
その様子を見ていたレオンが、口元に笑みを浮かべる。
「厳しいようで、優しいんですね」
「ふん、甘やかしてはおらん。ただ、こやつは少し気になるだけじゃ」
マリオンはそっぽを向いて言ったが、その表情はどこか柔らかかった。
その光景を見ていたヴォルフガングが、静かに言葉を発した。
「馴れ合いだな」
ヴォルフガングは淡々とした口調で続けた。
「選ばれた者が生き残り、そうでない者は淘汰される。それが自然の摂理だ。無駄な情は、強さを損なう」
「おぬし、何も分かっておらんな」
マリオンがヴォルフガングに向き直り、その鋭い視線を向けた。その目には譲れない信念が宿っている。
「選ばれずとも、人は懸命に生きる。すべての命には価値があるのじゃ」
ヴォルフガングは鼻で笑う。
「時代遅れだな。生存競争の中で弱者を救う理由がどこにある?」
「おぬしはまだ知らぬのじゃな。強さとは、単に力の優劣ではないことを」
マリオンは、静かに息を吐きながら諭すように答えた。
「ま、議論は尽きぬが、これだけは言っておこう」
マリオンはヴォルフガングをじっと見つめ、厳かに言った。
「力があるからといって、導く資格があるとは限らぬ。選ばれずとも、人は生きていくものじゃ」
ヴォルフガングはそれ以上何も言わず、静かに目を閉じた。
その場にいた誰もが、彼の考えの根底にあるものを知ることはなかったが、その思想の違いが、これからの旅路に影響を与えることだけは、誰もが感じていた。
ふと、マリオンが足を止め、周囲を見回す。
「どうした?」
レオンが尋ねると、マリオンは目を細め、低い声で答えた。
「……妙じゃ。誰かがつけておる」
その言葉に、一同の表情が引き締まる。
風が止まり、森の静けさが不気味に広がる中、どこか遠くで枝が折れるかすかな音が響いた。森の奥から漂う気配は、まるで何かがじっとこちらを窺っているようだった。