血戦の掟
レオンたちは深い森の中を進んでいた。
頭上には鬱蒼とした枝葉が広がり、陽光はわずかに差し込むのみ。湿った土の香りが漂い、遠くで鳥の羽ばたく音がする。
苔むした岩や倒木が無造作に散らばり、足元は不安定で、注意深く進む必要があった。
だが、その静寂を破るように、不穏な気配が漂った。
風がぴたりと止まり、周囲の鳥や虫の鳴き声が消える。まるで森全体が息を潜めたかのような異様な静けさが辺りを包み込んだ。
木々の間から、低い唸り声とともに巨大な影が姿を現す。その巨体が枝葉を押し分ける音が響き、レオンは剣の柄に手をかけた。
レオンは喉が鳴るのを感じたが、それを隠すように、深く息を吸い込む。彼の視線の先には、全身を血のように赤黒い毛で覆われた獰猛な魔物、ブラッドベアがいた。
巨体を揺らしながら四肢で力強く地面を踏みしめ、ゆっくりと前進する。そのたび、鋭い爪が地面を掻き、その音が森の静けさを切り裂いた。
金色の瞳が獲物を狙うように光り、口元からは涎が滴り落ちる。その圧倒的な存在感に、森の緊張感は一層高まった。
「……来るぞ!」
レオンが警戒の声を上げると、ブラッドレイヴンの面々も一斉に身構えた。だが、その反応はレオンたちとは明らかに異なっていた。
ヴォルフガングは冷静に前へ踏み出し、剣の柄に手をかける。
「ただの魔物だ。さっさと片付けるぞ。ルガス、前に出ろ」
筋肉質で大柄な槍使いのルガスが無言で頷き、槍を軽く地面に突き立てるとともに、全く表情を変えることなく、重々しい足取りで前線に立った。
長身の弓使いのシグルドは素早く距離を取り、弦を引きしぼりながら矢をつがえる。その尖った視線が鋭く木々の間の気配を探っていた。
燃えるような赤い髪をした魔術師のフレイヤが静かに詠唱を始めると、空気が微かに震えた。その動きには、彼女の静かな自信と経験が色濃く表れていた。
黒髪短髪で身軽な皮鎧をまとった前衛型ヒーラーであるエレーナは短剣を手に軽く体を動かし、仲間たちの動きを注視しながら冷静に状況を見極めていた。その瞳には、何の感情の動きも感じさせなかった。
レオンは、そんな感情もなく淡々と動き始める彼らを見て、ふと違和感を覚えた。
普通の冒険者なら、まずは敵の動きを探り、警戒しながら対策を練る。しかし、ブラッドレイヴンはまるで「確認作業」のように、ヴォルフガングの指示のもと、機械的に戦闘の準備を整えている。その動きには、生命を懸けた戦闘特有の緊張感がなかった。
(……本当に、これが最適なパーティの形なのか?)
そんな疑問が、レオンの胸をかすめた。
ブラッドベアが唸り声を上げ、地面を蹴って突進してくる。
その巨体が風を切り裂くたび、枯れ葉と土が盛大に舞い上がり、木々が悲鳴を上げるように揺れる。並の冒険者なら恐れをなして退くような速度と迫力だったが、ブラッドレイヴンのメンバーに一切の動揺は感じられなかった。
「シグルド、射撃」
間髪入れずにヴォルフガングが命じると、弓使いのシグルドが高い位置へ素早く移動し、魔物の目を狙って矢を放つ。
ブラッドベアは咆哮し、痛みに顔をしかめながらも暴れ出した。その巨体が周囲の木々をなぎ倒し、地面を揺るがすたび、枯葉と土が舞い上がった。
その混乱の中、ブラッドベアは突如、巨木を振り上げ、その荒々しい力で空へと解き放った。
巨木は唸る風を纏いながら大気を裂き、轟音と共にシグルドへと迫る。
シグルドは、湿気を吸い込んだ苔むした倒木に足を取られないよう警戒していた。その警戒が一瞬の判断を遅らせ、その間に巨木が音を立てて迫り、逃れる術を奪った。
辛うじて直撃は避けたものの、鋭い痛みが腕を貫き、それが冷たい衝撃となって全身を駆け抜けた。
「チッ……」
ヴォルフガングは舌打ちをしたが、その顔には苛立ちの色一つ浮かんでいなかった。無駄なミスを許容しない冷徹な視線で、周囲を静かに見渡した。
「エレーナ、回復を」
槍使いのルガスが、ブラッドベアをけん制しつつエレーナに告げた。
「……その程度で?」
エレーナは冷めた目でシグルドを見下ろした。彼女にとって、軽傷の仲間は「助ける価値がある戦力」ではない。それが、エレーナの中での明確なルールだった。
ルガスが「だが……」と戸惑いながらも視線をヴォルフガングに送る。
「回復が必要なほどの傷なら、それはもう戦力外ということだ」
ヴォルフガングは淡々と言い放つ。そして剣を構え直し、ブラッドベアに向かって突進した。
「フレイヤ、魔法の準備は?」
「いつでもいける」
フレイヤが詠唱を終え、炎の魔法陣を展開する。瞬間、ブラッドベアを包み込む炎が炸裂し、その巨体を焼き尽くそうとする。
ヴォルフガングはすかさず剣を振り上げ、燃え盛るブラッドベアの首元を狙って跳躍した。魔物が最後の咆哮を上げる瞬間、ヴォルフガングの剣が一閃し、鋭く獣の喉を切り裂く。
「これで終わりだ」
ブラッドベアはヴォルフガングの剣を受けて崩れ落ちるように倒れ、大地に爪を食い込ませるように苦しそうにもがいた。しかし、その巨体はついに横たわり、動かなくなった。
ヴォルフガングは剣を払い、平然とした表情で仲間の方を振り返る。
「無駄な時間を使うな。先へ進むぞ」
シグルドは傷から滲む痛みに顔をゆがめながらも、一切弱音を吐かずに立ち上がり、回復を期待することなく歩き出す。
ヴォルフガングの戦い方、それは「戦えなくなった仲間は捨てる」という徹底的な効率主義だった。
「助け合い?違うな。軽傷ならば自力で戦え。それができないなら戦場には不要だ。」
ヴォルフガングのその言葉に、レオンたちは思わず息を呑んだ。
その戦闘スタイルは、もはや人間らしさを完全に捨て去った狂気のようにさえ映る。ブラッドレイヴンの戦い方は、ただ強いだけではなく、異様なまでに合理的で、仲間の生存すら取捨選択の対象だった。
「それで……お前たちはどうする?」
ヴォルフガングが不敵な笑みを浮かべ、鋭い目でレオンたちを射抜くように問いかけた。




