刻まれた烙印、揺らぐ光
床に敷かれた落ち着いた色調の絨毯、背後に置かれた古書や羊皮紙、そして窓から差し込む午後の柔らかな光。
ドミニチの執務室は清浄で、重々しさよりも知性と静謐さを湛えていた。
ドミニチとオーケルベーレが向かい合い、レオン、エルザ、カイン、セシリア、リリスが控える。
静かに視線を落としたドミニチは、茶器の湯気にひとつ呼吸を重ねると、思考の縁を滑るような声音で語り始めた。
「さて……オーケルベーレ殿、シィグルダ帝国では、私どもだけでは到底掴みきれない事態が起きているようですね。その後の動きはいかがでしょうか」
オーケルベーレは小さく頷き、柔らかな声で語り始める。
「クラウベルでは、ヴォルフガング殿がベールフェルト公爵家の名を継ぎ、統治を始めましたが、それ以降、領地周辺で不可解な事件が散見されるようになったそうです。ある村の村人全員が女子供を含めて猟奇的に虐殺されて以降、他の村などでも村人全員ではないものの、何人か殺害されているようです。そしてその犯行現場には必ず、被害者の右手に“×”の切り傷が残されていると聞いています」
その言葉が胸に落ちる。その“×印”が、まるで何者かの“烙印”のように浮かび上がる。
「なんだって……村人全員!子供まで? それで×印……」
エルザが眉を吊り上げる。
「奇妙な共通点です。犯行者の意図が明確で、証拠を残す“メッセージ性”がありますね」
カインはその言葉に顔を曇らせ、冷静な声で続けた。
「……その×印に、特別な意味でもあるのでしょうか?」
セシリアは目を伏せ、と小声で問う。
オーケルベーレは言葉を選ぶ。
「西方には、そのような×印を犯行の誇示ということで使っている賊がいるようです。しかし、この場合の意味としては、ヴォルフガング殿に宛てた意思表示かもしれません」
オーケルベーレの言葉が静かに落ちると、部屋の空気がわずかに沈んだ。午後の光が茶器の縁を照らし、湯気はまるで思考の余白をたゆたうように揺れている。
ドミニチはその揺らぎを見つめながら、視線をゆるやかにオーケルベーレへと向けた。その眼差しには、見逃さぬ者としての静かな意志が宿っていた。
「意思表示――?」
その問いは、ただの疑念ではなく、“語られざる意図”への扉をノックするような響きを持っていた。
オーケルベーレはゆっくりと頷いた。
「私も正直、推測の域を出ません。ですが、犯人が狙った村……そのすべては、ヴォルフガング殿が再建に力を注いでいる地域に一致するようです。まるで“警告”か、あるいは“脅迫”を超えて、見せしめの意味があるかのようです」
「それは……まるで、“彼を恐れる誰か”が意図的に起こしていることを示唆しているように思える」
レオンは剣の柄にそっと手をかけ、冷静に分析。彼の声には、いつもの穏やかさを纏いながらも、鋭い焦りがあった。
その時、部屋の空気が一瞬だけ揺れたような気がした。
リリスが固まっている。眉を寄せ、口元には明らかな緊張。にわかに無言になったリリスをレオンが気にかけて視線を向けるが、彼女は急に俯き、視線をそらしたままであった。
オーケルベーレは続ける。
「推測ではありますが……これら一連の事件の背後にあるのは、ヴォルフガング殿を『恐怖』で支配し、クラウベルの安定を揺るがそうという、ヴェルディア四世の策略ではないかと。そもそも、ヴェルディア四世はベールフェルト公爵家を失脚させており、今、ベールフェルト公爵家が再び影響力を回復しつつある状況は、ヴェルディア四世にとって許しがたいものだったはずです。ならば、直接的な介入を避けつつ、クラウベル全体を動揺させる方法として、こうした犯行を使った可能性があります」
ドミニチは微かに眉根を寄せて沈黙した後、小さく息を吐いた。
「まさか……そのような陰謀が、帝国の頂点から……」
その言葉の余韻が静かに室内を満たす中で、カインは視線を伏せながら、深い思考の底から声を掬い上げるように言った。
「地政学的に見ても意味がありますね。<警戒と混乱>を同時に引き起こす方策……狡猾です」
エルザは拳を握りしめながら、「卑劣極まりない」と声を絞り出した。
「虐殺……子供まで……神に祈っても祓いきれない悲しみです」
セシリアは震える声で静かに呟いた。
レオンは鋭く息をつき、リリスに視線を送る。その顔色は、リリスに何か重大な思い出がよみがえったのではないかと危惧させたが、彼女は目を逸らすばかりだった。
沈黙の時間がしばらく流れる。
そしてオーケルベーレが再び口を開いた。
「この件については、ヴォルフガング殿も深く心を痛めているでしょう。そして、事件捜査を進めながら、自らの統治の正当性を守るために動いていると聞いています。ですが現状は、情報は極めて限られ、霧の中。もしこれがヴェルディア四世の影響下であるならば、我々が直接介入するわけにもいきません。むしろ、彼ら自身が真実を掴む必要があります」
カインが静かに言った。
「情報、証拠、現場の調査――どの段階で支援を申し出るか、綿密な判断が必要です」
レオンも深く頷きつつ、仲間を見渡す。
リリスはじっと床の柄を見つめたまま、動かなかった。肩の軽やかさはすっかり削ぎ落とされていて、そこにあったのは誰にも触れられぬ沈黙の影だった。
「リリス、大丈夫か?」
レオンが静かに問いかける。リリスは微かに首を振った。声は、どこか遠くに置き忘れてきたようだった。
そのとき――
澄んだ鈴の音が空気を割った。
アプリが告げたのは、あまりにも明るく、あまりにも軽やかな響きだった。その音は、祈りに沈む室内の静寂にぽつりと落ちる星屑のようで、誰もが胸の奥で、微かに軋む“何か”を感じ取っていた。




