沈黙に告げられし座標-2
レオンたち、そしてオーケルベーレの動きが止まる。
オーケルベーレは椅子に深く身を預けたまま、黙して一切を語らない。視線はわずかに伏せられ、顎に添えた指先がポツポツとリズムを刻んでいた。あたかも、過去からの名と場所が、オーケルベーレの内側の記憶をひとつひとつ叩き起こしているかのように。
応接間の灯りがわずかに揺れ、オーケルベーレの沈黙までもが、この空間に“答えにならぬ応答”を与えていた。
「……あそこか」
エルザが静かに口にする。
アルヴァン王国の王都ルミナスのシスティリア正教の大聖堂は、長年の歴史を持つシスティリア正教の、この大陸における中枢だ。
その名が画面に浮かび上がった瞬間、セシリアの瞳が微かに揺れた。あまりに馴染み深く、しかし今では遠くなりつつある場所。セシリアはそっと言葉を継ぐ。
「……《大聖碑》……あそこは信仰と祈りの場です。それが“次の座標”として現れるなんて……本当に、何かが起きようとしているのかもしれません」
静かに告げたその声には、信仰ゆえの畏れと、修道女としての直感が滲んでいた。
「みんながんばってね♪」
“ミュフィ”が手を振る。
「……これは、ただの観光じゃないな」
レオンは目を細めながら、画面を指で閉じた。“ミュフィ”の笑顔が、ふっと闇に消える。
レオンが画面を閉じた後、応接間の空気が一段深く沈み込む。それはただの無言ではなく、各々がそれぞれの意味を測るような、“言葉の後に残る”静けさだった。
この沈黙を破ったのは、オーケルベーレだった。
「…………この話は、誰にもしない方がいいね」
言葉を紡ぐまでに、わずかな沈黙があった。その間には、何かを見極めるような、静かな計測があった。
オーケルベーレは顎をこすりながら、低く続ける。その声はもう、いつもの飄々としたものではなかった。
深く、静かに沈む響き、まるで長い戦を知る者が、確信と覚悟をもって下す“最後の警告”のようだった。
「スタンプラリー、という形式はともかく……アプリが示した“王都ルミナスの大聖堂”という地点は、偶然ではない。何かがある。いや……何かが起きる」
オーケルベーレは静かに椅子を離れた。そして窓辺へと歩み寄り、手を後ろに組んだまま、沈みゆく空の色に目を細める。 西の空は赤紫に染まり、沈黙とともに日没が始まっていた。
「ああ、そういえば私も……ルミナスに向かうつもりだった。王都で開かれる“非公式な会議”に顔を出す必要があってね。……だが、ちょうど良い」
オーケルベーレはゆるやかに振り返り、穏やかな笑みを浮かべる。
「私は船で行くつもりだが、君たちも一緒に乗せてあげよう。ベルーエ川を下れば、三日ほどでルミナス近郊に至る。途中に検問もあるが、私の印章があれば問題はない」
「……助かります」
レオンは、短く息を整え、深く一礼する。言葉よりも、その所作が、信頼への感謝を雄弁に語っていた。
「……それにしても」
リリスがふと息を抜くように呟いた。
「アプリが試練の次に出してくるのが“スタンプラリー”とはね……。どうせなら、行く先、温泉とか出してほしいわ。あとグルメとかね」
その言葉に、一瞬だけ空気がほぐれる。緊張と静けさで張りつめていた空間に、微かな笑いが染み入った。
「それだったら、本当に観光になるな」
カインがぼそりと返す。その声音には相変わらずの冷静さがあった。
エルザが、そのやりとりに口元をほころばせる。戦場では滅多に見せないその笑みに、ひとときの“人間らしさ”が灯った。
「……でも、行くんだろう?」
レオンの言葉が静かに落ちる。それは問いではなかった。むしろ、名もなき合図のようなもの。
全員が、音もなく頷く。その動作は言葉を要さぬほど明確だった。共に歩んできた者同士だけが交わせる、無言の誓い。
「スタンプの名が“希望”でも、“罠”でも……俺たちが選ぶのは、歩むことだ」
レオンの言葉に異論はなかった。陽光のない部屋に、それぞれの心に灯る決意の焔がそっと揺れた。
レオンはもう一度、スマートリングを見つめる。かすかに残る残光のなかで、キラキラと笑っていたキャラクターの幻影が、記憶の奥で跳ねていた。
やがて、視線を静かに上げる。レオンの目にはすでに“次の地図”が描かれていた。
「――行こう。王都ルミナスへ」




