表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マッチングアプリで最強パーティを作った結果!!!  作者: MMM
クラウベル編(ヴォルフガング)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

146/401

灰色の靄の向こうに

 クラウベルの朝は、灰色のもやに包まれていた。

 湿った空気が石壁を濡らし、屋根の隙間から落ちる水滴が静かに地面を叩く。

 その音は、町の鼓動のように、ひそやかに響いていた。


 宿屋「石竜亭」は、町の中心部からやや外れた場所にたたずんでいた。

 かつて軍用の詰所だった頑丈な石造りの建物。

 冷たい外気を遮る分厚い壁、鉄の格子が戦の名残を刻んでいる。

 今では旅人や商人も泊まる、町でも有数の宿屋。

 しかし、その扉の奥には、ただの休息以上のものが潜んでいた。

 その一室に、五つの影が静かに朝を迎えた。


「湿気がひどい。布団が重い」

 窓辺で背伸びしながら、フレイヤがぼやいた。

 寝癖のままの赤髪が、朝の光にゆるく揺れる。

 その奔放な性格が、髪の隙間から漏れる吐息にさえ滲んでいる。

「このあたりは沼地が多いから仕方ない」

 シグルドは淡々と返す。

 すでに身支度を整え、矢筒の中身を点検していた。その仕草は、戦場に戻る兵士のように無駄がなく静かだった。

「湿気だけじゃねえ」

 ルガスが、口数少なくぽつりと呟く。

「窓の外、昨夜からずっと狩人の焚き火の煙が漂ってきてる。狩場が近いな」

 朝の冷気に混じる煙の匂い。遠くの森が、まだ夜の名残を手放していないようだった。

 ルガスは腕をゆっくりと回しながら、僅かに視線を動かす。まるで、気配を測るように。


「……この町、あたしたちが来るのを知ってたような気配がある」

 短く切り揃えた黒髪の女、エレーナがそう言って宿の廊下を一瞥した。その視線は鋭く、迷いはない。

 ヒーラーながらも前衛に立つことの多い彼女は、気配に敏い。

 今朝も無意識のうちに、隣室や階段のきしみ音を聞き取っていた。まるで、静寂の中の異変を探る狩人のように。


「当然だろう」

 低く落ち着いた声が室内に響く。その声の主は、白銀の髪を持つ男、ヴォルフガング。

 黒衣をまとい、無駄のない動作で腰の剣帯を締める。その仕草は寸分の乱れもなく、空間を鋭く切り裂いていた。

 宿の質素な部屋に彼の姿は異質でさえある。まるで、戦場の気配をまとったまま街へと降り立ったかのように。

 鋭い眼光が場の空気を張り詰めさせた。

 その視線は、ただ見るだけではない――

 測り、試し、断じる。

 静寂の中に、わずかに緊張が溶け込んでいた。

「この町は、軍と鉱業、そして政治の交差点だ」

 窓辺に立つ影が、静かに言葉を落とした。

「ここで動けば、クラウベルの『目』に映る。……それが当然の構造だ」

 言葉の奥に、見えぬ警戒が滲む。


 ヴォルフガングは窓の外へ視線を向けた。

 靄の向こう、かつての公爵家の屋敷がぼんやりと影を落としている。

 今は、『預守』の居城。

 過去は静かに形を変え、しかし街の心臓を支え続けていた。

「──あそこが、かつてのベールフェルト家の屋敷か」

 思わず漏れた言葉は、誰に向けたものでもない。

 しかしその瞬間、仲間たちの間に空気の揺れが走った。

 言葉なき応答。

 過去の名が持つ重みが、一瞬、部屋の温度を変える。


「懐かしいの?」

 フレイヤは何気なく問う。

 だが、ヴォルフガングは答えなかった。

 窓の外、靄の向こうに霞む屋敷。その影が、ただ静かに視界ににじむ。

 沈黙は短いものではなく、まるで、言葉にできぬ何かを押し留めるかのようだった。


 そのとき、階下で、宿の扉が開く音がした。

 ほどなくして、足音が階段を上がってくる。重く、迷いなく、宿の主が誰かを案内しているようだった。

 やがてノックの音が、部屋の扉を叩く。

「失礼します。預守様の使いの方がお越しでございます」

 扉が静かに開いた。

 黒ずくめの衣の男が現れる。

 見た目は旅商人のようにも見える。だが、その仕草と目の鋭さは、ただの使者ではない。

 腰に剣は帯びていない。それでも彼の背筋には、訓練された者だけが持つ緊張感がにじんでいた。

 その目が、静かに室内を測る。


「ブラッドレイヴンの皆様に、預守様からのお招きです。正午に、屋敷へお越し願いたい。昼餉も用意されております」

 使者の声は低く、静かに響いた。言葉は丁寧だが、余計な装飾はない。

 そう言って、男はゆるやかに一礼する。

 その動作に迷いはない。習慣として刻み込まれた礼節のように。

「その時間に行くと伝えておけ」

 ヴォルフガングの返答は短く、鋭い。

 男はもう一度深く頭を下げ、音もなく、足音すら残さず立ち去った。


 扉が閉まる。

 その音だけが、わずかに部屋の空気を揺らす。

 しばし、沈黙が流れた。静かに、しかし確かに。

 それはただの沈黙ではなく、戦場の前に訪れるわずかな間のようだった。


「招待ねえ……」

 フレイヤが腕を組む。その声には、静かな警戒が滲んでいた。

「こんなタイミングで呼ばれるなんて、都合がよすぎる。用件は何だろうね」

 シグルドが短く息を吐く。

「……我々の力量を試したいのか、あるいは別の思惑があるのか」

 その声は低く、静かに場に落ちる。


「いずれにせよ、ただの挨拶では済むまい」

 ルガスは、腕をわずかに動かす。

「どんなに丁寧な言葉を並べても、迎えが『使い』なら、それは命令とほとんど変わらねえ」

 低く響く声。

 フレイヤも、ゆっくりと頷く。

 窓辺でエレーナが外を見つめていた。

「ベールフェルト家の屋敷に招かれることが、彼にとってどういう意味を持つか──私たちも考えるべきよ」

 その言葉に、微かな間。

 誰もが一瞬だけ、彼女の言葉に目を向けた。


 ヴォルフガングは、ふたたび黙ったまま窓へ視線を向けた。

 幼いころ過ごした記憶。

 高い天井、白い石壁、父の厳しい背中、母の静かな声。

 淡く揺れる幻影。だが、それらはとうに封じたはずのもの。

 今、あの屋敷はベールフェルト家のものではない。得体の知れぬ「預守」が支配し、この地の命運を握っている。

 それでも、ヴォルフガングの帰属の記憶は、なおそこに残っていた。


「……案ずるな。私情で動くつもりはない」

 その声は低く、硬い決意を帯びていた。だが、言葉の奥にわずかに沈む影がある。

「だとしても、私たちはあなたとともに動いてる」

 フレイヤの声は、わずかに鋭さを帯びる。

「だから、その私情の“重さ”くらいは知っておきたいのよ」

 挑むような口調。だが、その裏にあるのは気遣い。


 ヴォルフガングは答えない。

 ただ、剣の柄にそっと手を添えた。その指先に、かすかな力がこもる。

 沈黙が、瞬間だけ場に満ちる。

「午後までは時間がある。情報を整理しておこう」

 シグルドの低い声が、空気を断ち切る。 

 場の空気は、徐々に任務へと向かっていった。


 やがて仲間たちはそれぞれの装備を整え、昼の"招待"に備え始めた。

 クラウベルのもやは、まだ町を包んでいる。

 しかし、その向こうにかつての貴族の記憶と、新たな支配者の影が待っている。

 そしてヴォルフガングの中に沈む過去も、わずかに揺らぎ始めていた。

 目覚めるのか、あるいは、封じたままにするのか。

 それは、まだ分からない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ