誇りの残響
いまだ溢れる光の中――
その中心に、ヴォルフガングは立っていた。
その身に纏うのは、まるで時間に抗い続けた者のような重み。
だが、その影は微かに揺らぎ、記憶の迷宮から抜け出そうとする気配がある。
視線は足元ではなく、はるか遠くを見つめている。
そこに映るのは、これまでと違う世界。
そしてその瞳には少年の面影はなく、ただ深い決意と消せぬ哀しみが宿っていた。
記憶の世界から戻りつつある今、ヴォルフガングの内面には、かつてないほど多くの想いが渦巻いていた。
──あのとき、自分にもっと力があれば。
何度繰り返したか知れぬ問いだった。
ベールフェルト公爵家の屋敷を襲った傭兵たち。
砕かれた門、響く戦いの音――
父は最後まで抗い、そして倒れた。
その背は揺るがず、剣を振るい続けた。
しかし、圧倒的な数の前に、その刃はついに止まった。
炎が屋敷を包み込む中――
兄・エドアルドは、ヴォルフガングを抱えて必死に駆けた。
その腕の力強さと、必死の形相。
兄は、なおも逃げ道を切り開いてくれた。
それでももし、あのとき自分に力があれば。
あの場で共に戦えたなら。
兄を死なせることなく、生き延びる道もあったのではないか?
父も、家も、すべてを守れたのではないか?
風が微かに流れ、ヴォルフガングは静かに息を詰める。
その胸の奥で、答えのない問いが今もなお、静かに揺れていた。
その悔しさが、ヴォルフガングの原動力だった。
力がなければ、何も守れない。 力がなければ、大切なものを奪われる。
『力なき者は、悪だ』
そう信じて生きてきた。
どれだけ手を汚そうと、どれだけ心をすり減らそうと、力を得るために歩み続けてきた。
だがいつの間にか、その目的はすり替わっていた。
力を得ることそのものが、人生の目標になっていた。
いつしか「守るための力」は、「ただ得るための力」へと変わっていた。
アプリが課す“試練”さえ、もはや力を求める行為の一部に過ぎなくなっていた。
思考の渦の中、ふと封印の谷でのマリオンの姿が、ヴォルフガングの記憶の奥からゆっくりと浮かび上がる。
あの日、マリオンは静かに言った。
「……力と“強さ”は違うのよ」
その言葉が、今になって微かに響く。
戦場で対峙した彼女――魔法使いであり、厳格でありながらも、根の部分では優しさを秘めた人だった。
そのときは、ただの言葉として流れていった。
だが今、ヴォルフガングは、ようやくその意味が分かりかけている気がした。
父の“強さ”とは何だったのか。
それは、最後まで誇りを捨てなかったこと。
理不尽な冤罪に晒されながらも、民と家族のために戦い、最期まで逃げなかったこと。
兄の“強さ”とは何だったのか。
弟を守ると決め、その命を懸けて守り抜いたこと。
自分が死ぬと分かっていても、怯えずに前へ進み、そして……笑っていたこと。
そう。
二人とも、力だけではなく、“信念”と“誇り”を貫いた。
それが本当の“強さ”だった。
そしてマリオンも、同じだった。
己の過去と向き合い、"選別"という理不尽な仕組みに抗い、若き冒険者たちを守ろうとした。
それが、マリオンの戦いだった。
ヴォルフガングは、ゆっくりと目を閉じた。
深く息を吸い込み、その胸の奥に沈み込んでいた記憶を、ひとつずつ手繰り寄せる。
父が遺したもの。
兄が繋いでくれた命。
マリオンの想い。
それらは、ヴォルフガングの中に確かに存在し――
だが、どう受け止めて進むべきなのか。
その答えは、まだ見つかっていない。
しかし、一つだけ、確かなものがあった。
ヴォルフガングは、ゆっくりと拳を握る。
「……俺は向き合う。過去にも、自分にも。そして、この力にも」
その言葉を紡ぐと同時に、ヴォルフガングの指先が僅かに震えた。
光の色が変わり始める。
白く澄んだ輝きは、徐々に淡くなり、辺りに漂っていた柔らかな温もりが少しずつ冷たくなっていく。
ヴォルフガングは、一歩を踏み出した。
まだ迷いは完全には消えない。
だが、その歩みは確かだった。
やがて、光の輪郭が滲み始め――
廃墟の気配が、ゆっくりと戻り始めた。
古い石の冷たい匂い。
足元に広がるひび割れた床。
どこか遠くで、風が細く吹き抜ける音。
夢のような記憶は、まだ完全には消えない。
だが、現実の影は確実に迫っていた。
ヴォルフガングは、ゆっくりと息を吐く。
この場所に戻るのは、もうすぐだった。




