アプリの正体と最初の疑問
ギルドの資料室の奥深く、埃の積もった書架の間で、レオンたちは黙々と文献をめくっていた。
蝋燭の揺らめく光が書架の影を伸ばし、古びた羊皮紙の匂いが微かに漂う。冒険者たちの話し声が遠くで聞こえ、静寂の中にもギルド特有の活気が感じられる。
「……やっぱり、これといった情報はないな」
レオンはため息をつきながら、一冊の古い記録を閉じる。
テーブルにはすでに山積みになった本があり、どれもアプリ『マッチング・アドベンチャー』についての具体的な情報を載せたものではなかった。
「もっと核心に迫る記録はないの?」
リリスが椅子に座ったまま伸びをしながら不満げに言う。
「焦るな。ギルドに残された資料は膨大だ。おそらく、地下書庫にアクセスしないと、本当に重要な記録は見つからないだろうな」
カインが冷静に言いながら、彼女は、別の巻物を広げる。その横で、セシリアが静かに手を組みながら考え込んでいた。
「けれど、私たちはすでに気づいているはずですわ。アプリがただの便利なツールではないということに」
レオンは静かに頷いた。
『マッチング・アドベンチャー』——冒険者たちのスキルや適性を診断し、相性の良い仲間を自動でマッチングする画期的なツール。
単なる便利なアプリではなく、ギルドが公式に支援するシステムとして、ほとんどの冒険者が利用している。
「しかし、何度見ても不思議な仕組みだよね。普通の魔導装置とは違う感じがするなあ」
リリスが、自分の左手にはめたスマートリングを眺めながら言った。
この世界には「魔導技術」と呼ばれる高度な技術体系が存在している。それは魔法と工学を組み合わせたもので、一部の貴族や商人の間で発展してきた。
そしてその産物の一つが、このスマートリングだった。
「スマートリングが発する微弱な魔力を利用して、アプリがデータを読み取る……という仕組みも。でも、それだけで私たちの戦闘スタイルや適性を完璧に分析できるものかな?」
リリスが、指にはめたリングをくるくると回しながら言う。
「そう。ギルドの魔導技術研究部が開発したって話だけど、本当にそれだけなのか、疑問に思わない?」
カインが、古文書をめくりながら呟いた。
「そもそも、このアプリはもともと“婚活アプリ”だったんだ」
「……え?」
レオンたちは思わずカインの顔を見た。
「貴族や商人たちが“政略結婚”のために使っていたんだよ。婚姻相手との相性を数値化して、最も効率のいい結婚相手を選ぶためのツールとしてな」
「え、じゃあ、これってもともと恋愛目的のアプリだったの?」
リリスが驚いたように聞き返す。
「そうだ。貴族や大商人の家系では、家同士の結びつきを強くするために、最適な結婚相手を探すのが重要だった。そこで、スマートリングを通じて相手の資質や血統、性格の適性を測るシステムが作られたんだ」
「でも、それがどうして冒険者向けに転用されたんだ?」
レオンが眉をひそめる。
「ギルドの技術者が、その仕組みに目をつけたんだよ」
カインは古文書をめくりながら続ける。
「もともと“婚活アプリ”は、戦闘能力やスキルを測る機能は持っていなかった。だが、“性格や適性の分析”に優れていた。そこでギルドの技術者が“相性診断”の機能を拡張し、戦闘スタイルの組み合わせにも応用できるようにしたんだ」
「それで、“マッチング・アドベンチャー”が誕生したってわけか……」
だが——
「相性の高いパーティが、次々と消えている」
レオンはギルドの記録の一節を指でなぞりながら言った。
「ただの偶然とは思えない」
「つまり、アプリが何らかの意図を持って、パーティを選別している可能性があるってこと?」
リリスが少し険しい表情を浮かべる。
「それが本当なら、これはもはや単なる戦闘支援ツールではありませんわね」
セシリアが静かに呟く。
レオンは手元のスマートリングを見つめた。
この小さな魔導技術の結晶が、すべての冒険者の運命を決めているとしたら——
「……エルザがいたら、どう言っただろうな」
無意識のうちに漏れた言葉に、場が一瞬静まる。
エルザ——彼らの戦士であり、最前線を支え続けた仲間。
しかし、彼女は去った。
「……エルザがいれば、この調査ももう少しスムーズに進んだかもしれないな」
レオンが苦笑しながら言うと、リリスが小さく肩をすくめた。
「まあね。でも、いないものは仕方ないじゃん」
カインは少し考え込むように言葉を続けた。
「だが、彼女がいないことが、今の俺たちの姿だ」
沈黙が落ちた。
そんな中、セシリアがそっと手元の巻物をめくる。
「それなら、私たちは前に進まなければなりませんわね。」
その言葉を皮切りに、再び調査が始まる。
そして、このアプリが本当に冒険者のために作られたものなのか、という疑問が浮上するのだった。