攫われて、落下して、心奪われて
季節は初冬。僕は両親に連れられて、近所で一番標高の高い山へと来ていた。周囲は背の高い木々に囲まれており、最低限の寝泊まりが出来る様に建てられた簡素な山小屋しか存在しない
「カイル、今日の訓練は身体強化だ。狩人は何といっても目の良さが求められるからな!今日は、その部分をしっかり鍛えてやる!」
「はい!で、何をするんですか?」
そんな質問を返すと、父さんは僕の足元に円を描いて森の中に向けて人差し指を差した。...ん?指の先には、特に気になる様な物は見当たらないけれど?
「この森の中に俺が用意した張り紙が有る。お前は、その場から動かずに身体強化を上手く使って、張り紙に書かれた文字を読んで見せろ」
「え、なんですか!その無茶な訓練!?」
普段から突飛のない訓練が多い父さんだが、これは流石に気が触れたとしか言い様がない。その場から動かずにどうやって森の中にある張り紙を読めと?
「ほれ、早く始めてみろ。この技術は斥候や潜伏中、女風呂の覗きなんかに使えるからな?お前が思ってるより役に立「アナタ?」よし、カイル。技術よりも先に基礎を鍛えないとな!走りに行くぞ!!」
ダン!と言う重い足音と共に姿を消す父さん、それとは対照的に音も無く姿を消して逃げた父さんを追う母さん。僕は目の前で繰り広げられている無駄に高い身体能力を活かした無益な夫婦喧嘩を見て、思わず「ふふっ」と笑いを溢した
「まったく、この2人は...」
足跡から2人が駆けて行ったと思われる方角に向かって僕は足を進める。修行に関しては、毎度言う事は無茶苦茶だし、気が付けば夫婦喧嘩を繰り広げる両親だけど、過ごす毎日はとても充実していてーーー
~~~
「楽しい...な......は、はっくしょん!え、寒っ...!!?」
ビュゴオオオオ!と、まるで吹雪の中に放り出されたかの様な暴風と寒さを受けて僕は目を覚ました。体は上下へ不規則に揺れ、眼下には月明りに照らされた広大な森林地帯が続いている
「こ、こここここ...ここ、どこ!?え...僕、空を飛んでる...!?」
「ピューイ」
寝起きと言う事もあり、今の状況を飲み込めないでいる僕の頭上より、鳥の鳴き声のような音が聞こえた。興味半分、不安半分の気持ちで首をわずかに上へと持ち上げると、そこには猛禽類特有の鋭い嘴がチラリと見える。...ははーん、成る程、そういう事ね。うんうん、そう来たか
「つまり、大きな鳥が僕を運んでるのか」
「ピュピューイ」
何となく「せいか~い」と返事をされた様な気がして、僕は「はぁ」と溜め息を吐く。体は...うん、動かない。どうやら首から下はギッチリと縄で固定され、この巨大な鳥の足にくくりつけられているらしい。まったく体が動かないのなら、今の僕に出来る事はこれ位しかないじゃないか
キンキンに冷えた空気を目一杯吸い込み、肺に溜め、そして言葉と共に吐き出す
「助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
誰かぁぁぁ!!いたいけな少年が人攫いに遭っていますよー!!!
遭っていますよー!!
遭っていますよー!
あっていますよー
アッテイマスヨー
悲しいかな、渾身の雄叫びは山彦となって夜に無散していく。昨日(?)は楽しい誕生日だったよね、僕?こんなに良い事と悪い事が綺麗に入れ替わる事ってあるの?
「...あれ?山彦が聞こえて来たと言う事は?」
山彦が発生したと言う事は、先程の叫び声が反響したと言う事だ。僕の家を中心点にして考えると、山岳が存在するのは西と南の方角のみ。しかも南の方にはーーー
「...昔、修行で行った事の有る高山がある!見ればすぐに分かる形だから、これである程度の方角が分かる!」
僕は魔力を眼に集中して身体強化の一種である【視力強化】を行う。まだ未熟な為、技能として昇華していない拙い身体強化だが、今は少しでも脱出して帰る為の手がかりを掴んでおきたい所だ
キィーーーンと望遠鏡を覗いたかの様に遠くの景色が徐々にクリアになっていく。巨鳥によって上下に揺さぶられる視界と浮遊感による吐き気に苦戦しつつ周囲を見渡し続けるが、まるでその姿を隠すかのように発生している濃い霧が僕の邪魔をする
「うーーーん...こんなに濃い霧は久しぶりに見るかも。もしも修行中に置いて行かれたら遭難待ったなしかな、これは」
「ピュイー?」
他愛のない独り言に巨鳥が反応して鳴き声を上げる。全く...君は今、絶賛悪事を働いているというのに随分と呑気じゃないか。誘拐する、鳥...うん。君の事を今後は誘拐鳥くんと呼ばせて貰おう
「ピュイーじゃないよ、ユトリくん。あー、もうちょっと近づくか、霧さえ晴らす事が出来たらなぁ」
「ピューピピピー」
「...返事してくれるのは嬉しいんだけど、僕には君が何て言ってるか分からな...あれ?」
そう言えばユトリくん。僕が独り言をした時、会話の区切りで相槌を打ってる?
「人の言葉を理解している...鳥?確か、父さんが昔話でそんな知り合いが居るって言ってた様な気がすーーーぐぇ!?」
僕が言葉を発し終えるより先に、ユトリくんは羽ばたく回数を大きく増やしてスピートをグングンと上げる。先程迄の空をゆっくりと滑空するような速度に対し、今は弓より放たれた矢の様に凄まじい勢いで景色が後方へと流れて行く
(風圧で、呼吸が出来ない...!)
目や頬を風が強く叩く。拷問の様に与えられ続ける衝撃に耐える為、僕は魔力を薄く延ばすイメージで体へと纏った。これも一種の身体強化で【対物強化】と呼ばれる技術だ。軽微な衝撃だけではなく熱気や冷気への耐性を得る事が出来るので、極地での斥候や潜伏行動には必須の技能となるのだ
魔力の展開によりゆっくりと風圧が和らいでいく事を確認してから、僕は目と口をゆっくりと開け霧の奥に潜む風景を注視する
「随分と山へ近づいたのか、霧の隙間に白い岩肌が見える様な...。南の森には頂上まで木が生い茂っていたから、ここは西の山かな」
西の山か...行った事はないけど両親曰く、危険な魔物も居らず人の手が多く入っている為、修行には向かないと聞いた覚えが有る。つまり、ここから脱出さえできれば無事に帰宅する事も可能な筈だ
「思ったよりも僕の生活圏内だったみたいで一安心だよ。...これがもし、僕の知らない場所ならどうなっていた事か」
ほっ、と一息つくとユトリくんが徐々に飛行スピードを落としていき、やがてピタリと空中で停止した。両翼は羽ばたく事を止め、振り上げた状態のまま完全に動きを停止している
「ん?」
羽ばたいていないのに、何で浮いてるの?
これから一体、何をしようとしているの?
次々と頭の中に疑問が湧いてくる中、ふと僕自身が「彼が人語を理解している」と考えていた事を思い出す
「まさか、さっき呟いた『もうちょっと近づけたら』って言葉を汲んで山に近付いてくれた?...ってもしかして、次にやろうとしてる事って!?」
ユトリくんの振り上げた両翼の先端が、キラキラと輝く真っ白な光の粒子に包まれる。月の光を乱反射する様は宝石の様に輝いて、そしてーーー
「ピピューイ!!!!!!」
両翼が振り下ろされると同時に大きな竜巻が「ゴオッ!!」っと放たれた。目の前で発せられたそれは体の芯を揺さぶる程の轟音と共に岩肌へと衝突し、周囲の霧を一瞬にして吹き飛ばす
「ぐぅぅぅ...!」
歯を食いしばりながら、竜巻の余波を耐えていると僕の頭に一つの考えが浮かぶ
今、彼が起こした風は間違いなく「魔法」だ。それも一般的な魔法使いが扱えるような類の物ではなく、絵物語でしか見聞きした事が無い程に常識外れの威力を持っている。人語を理解する高度な知能に加え、強力な魔法を行使できる程の魔力量...間違いない。ユトリくんは【特殊個体】と呼ばれるレベルの魔物だ
「...ユトリくん、ちょっと強すぎやしないかね?もう僕、逃げられる気がしないんだけど」
土下座とかしたら見逃してくれないかなぁ?と考えつつ僕は目の前に広がる風景へと目を向ける。霧が払われたおかげで目の前の山が鮮明に見え...見え......
「...え?」
目に飛び込んできた風景は山、ではなく文字通りの【壁】
その昔、神様の怒りによって世界が切り取られたとされる証明
「まさか...【世界の端】!?」
血の気が引き、背中に冷や汗が湧きだす。マズい、もしもあの壁が本物の【世界の端】であれば眼下に広がる森は...【終の森】
あの父さんと母さんですら、半年も持たずに撤退したレベルの危険な狩猟区域だ
想像だにしなかった現実を前に僕が茫然と続けていると、ギギギッと何かを締めあげる様な音が耳に入り、ふと我に返る。音の発生源は...ユトリくんの、足?
「あ、あれ?気のせいかな?段々ユトリくんと距離が離れて行っている様な...」
縄に縛られ、先程まで触れる程に近かったユトリくんの足と僕の距離が、およそ1m程まで距離を空けている。んー...考えたくは無いけど、そもそもこの位の距離は最初から空いていたんじゃないかな?
「ピュイィィピュゥ『見間違いじゃないわよ。ほら、ここ。どんどん縄が解けかかってる』」
「うわー!そうだとは思ったけど、わざわざ言わないでー!!こんな雁字搦めに拘束されてるのにどうやって結び直せって言うんだ!」
『結び直す必要は無いわよ?本当はもっと早くに解ける予定だったもの』
「そうなんだ...もう本当に訳が分からない。ついでに、何で急に君の言葉が分かる様になったのかも考えたくない」
項垂れながら「どうにでもなれー」と心の中で呟く。どうやらカイル君の短い人生はこれにて終わりとなるらしい。ヨヨヨ...
『理由なら教えて上げても良いけど、それじゃあ修行にならないし...ここでお別れにしましょう』
「修行...?え”」
『あと、最後に一つだけ言っておくけど...』
ユトリくんが僕と繋がれている縄をじぃっと見つめると、その鋭い嘴でパクっと咥える
『私は、メスよ』
「それは大変失礼しまし、たぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
ブツン!と縄が断ち切られ、僕は真っ逆さまに地面へと向かって落下を始める。つまり「ユトリくん」じゃなくて「ユトリちゃん」だったって事ね。ってどうでも良いわ、そんな話ぃぃぃ!!!
「ユトリちゃぁぁぁん!もし今度会えた時は覚えてろよぉぉぉ!!!」
恨み節を唱えつつ上空に浮かぶ彼女に向けてジロリと睨みつけると、そこには目が覚めてから共に居続けた巨鳥のシルエット...ではなく、月光を背負い猛禽類を想わせる鋭い目をした金髪の女性の姿があった
「あの子の息子なら頑張って生き残りなさい。そこで半年過ごせる事が出来たら、少しだけ力を貸してあげる」
空中で足を組みながら、ニコリと浮かべられた蠱惑的な笑顔に目を奪われ、僕は返す言葉も無く落下を続けて行く
こうして、【終の森】での修行生活はスタートを切る事になるのであった
「へへ…暇つぶしにはなったぜ…」という方はぜひ!ぜひ!!ブックマークへの登録や良いね、★の評価頂けますと励みになります!
今後ともお付き合いの程、宜しくお願いします:;(∩´﹏`∩);: