5話 ようこそヘウンデウンへ⑤
5話 ようこそヘウンデウンへ⑤
後部座席に座りながら、”模造銃”とホルスターの入った紙袋を膝に乗せ、ボンヤリと外の景色を眺めていた。
地上ではクルマとバイクが信号機を無視して縦横無尽に走り回り、クラクションと罵声で賑わっている。
かといって、頭上が平和で物静かというわけでもない。頭上では空飛ぶクルマとバイクに合わせて、羽根の生えた人間だのヘビだのエイだの、兎にも角にも良く分からない生物達が、空に浮かんだ信号機を無視して飛び交っており、地上と同じようにクラクションと罵声のオンパレードである。
守る人のいない信号機を設置する意味はあるのだろうか?
ビルに囲まれた都市部を抜けると、今度は4階建てぐらいの建物が乱立する区画に入り、さらに進むと、道路や建物が赤く染まった気味の悪い通りが見えた。
随分と悪趣味な通りだな。
などと、他人事のように思っていると、僕達の乗った車は車体を大きく傾かせながら、趣味の悪い赤い通りに入った。
「私達の家はこの赤い通りにあるの。目立つ色だから覚えやすいでしょ?」
「通りの名前は”チミドロストリート”。”名前の由来はそのまま”らしいぜ」
え? じゃあ、道路や建物が赤い理由って。
いや、その先の事は考えるのを止めよう。
それから5分もしない内に、Kは周りの建物と比べると少し古臭く見えるアパートの駐車場に車を停めた。
「着いた着いた」
衝撃に備えて両手両足で踏ん張っていたので、今回は駐車時の急ブレーキで身体を痛める事は無かった。
チミドロストリートなどと呼ばれているせいなのか、僕の思い込みなのか、車の外に出ると少し鉄臭さを感じる。
車の鍵のついたリングを指先でクルクルと回すKが先頭になり、彼方此方に錆がある階段を上り、ニ階の一番奥の部屋の前まで来た。
「此処がアタシ達の家だ」
Kが扉を勢いよく開けながら言った。
魔法溢れる異世界に来てしまったとはいえ、美人な女性達の家に訪れる機会があるとは。
緩む口角を気合で引き締め、恐る恐る部屋に入った。
後に、誰かに「美人な女性達の家に訪れた第一印象は?」と訊かれれば、自信を持ってこう答える。
夢は夢のままであるべきだ。
玄関から見る限り、日本のアパートと似たような間取りなのだが、通路の半分は服や瓶や缶が散乱し、もう半分は床が薄い青色に光っており、ゴミ1つ落ちていない。
”半分ゴミ屋敷”。
意味の分からない造語だけれど、半分がゴミだらけで半分が綺麗になっている現状を表現するとなると、他に言いようが無い。
「あの、床が青く光っているのは何ですか?」
ゴミだらけの事について質問出来なかったので、綺麗になっている理由を訊ねることにした。
「私は床に物が落ちているのが嫌いなの。だから、”除去魔法”で足の踏み場を確保しているわけ」
「ノノは自分の利用する場所だけ魔法で掃除してんだよ。”掃除魔法”があるってんなら、全部掃除してくれたって良いのに」
一足先に部屋に入ったKは、散らかった服や瓶の上を気にすることなく歩きながら言った。
「アンタが『置いた場所から物を動かすな』とかゴチャゴチャ文句言うからでしょ」
「置いたモノとゴミぐらい魔法で判断してくれよ」
「文句あるなら自分で片付けたらどうなの? それと、”掃除魔法”じゃなくて”除去魔法”だから」
「そんな細かい区分なんて知らねぇよ」
招かれた立場で口を出せるわけが無いので、成り行きを見守るしか無いのだけれど、それにしても、これはちょっと。
控えめに言って、ドン引きである。
決して、僕も掃除をマメにする方では無い。怒る母を前にして、渋々部屋の掃除をするぐらいだ。
だが、テレビに出てくるような踏み場の無い部屋を見ると、ゾッとする衛生観念は持っている。
「まぁ、これから掃除は”まやみや”の仕事だからな」
「そうね。除去魔法を張り続けるのって少し面倒なの。サッサと片付けてね」
「あ、はい」
ん? 聞き間違いか?
この部屋を片付けろと? 僕が? 一人で?
「片付けるってのは何処を?」
「そんなん家の中全体だろ」
「風呂トイレ台所もね。あ、そうそう。私の部屋はやらなくて良いから」
「アタシの部屋はやれよ。あとリスピーの部屋もな」
マジか。
まぁ、戦闘だの囮だのやらされるぐらいなら、ゴミ屋敷の掃除の方が百倍マシだ。
はて、本当にマシだろうか?
「まぁ、掃除は後でも良いんだよ。それより飯だよ、飯。冷蔵庫にあるモン使ってちゃちゃっとなんか作ってくれよ」
「あんまり期待しないでくださいよ」
Kに連れられて台所へと向かったが、台所の流しも半分が片付いており、もう半分が食器とゴミの山が出来ていた。
こんな所で調理するの?
衛生的にどうなの?
「これはちょっと」
「やる気出てきたろ?」
Kが背中をバンバンと強めに叩きながら言った。
「いや、まず掃除からやらないと」
「まぁまぁまぁ。半分綺麗なんだからとりあえず大丈夫だろ? それより、コレが冷蔵庫だ。知ってるか? 冷蔵庫」
Kが指さした方を見ると、自分の家の冷蔵庫の2倍はある大きな冷蔵庫が置いてあった。
「冷蔵庫は知ってますけど、開けても良いんですか?」
「ハァ? アタシ等に扉を開けさせるってのか?」
「いや、そういうわけじゃないです」
「扉ぐらい自分で開けろや。簡単だろ」
Kはそう言いながら冷蔵庫の扉を乱暴に開け閉めした。
たとえ親戚の家の冷蔵庫ですら開けるのに抵抗があるというのに、初めて来た家の冷蔵庫であれば抵抗があるのは当たり前だ。
「じゃあ、開けますよ」
念押ししてから取っ手を握り、ゆっくりと開けた。
ミネラルウォーターのペットボトルが何十本。
エナジードリンクっぽい缶が何十缶。
”酒”と書かれた缶が数本。
”果汁”と書かれた缶が数本。
何かの肉がラップで包まれている。
ソーセージの入った大袋が一つ。
チーズっぽい黄色の固まりが一つ。
以上。
大きな冷蔵庫の殆どが飲み物で埋まっており、唯一の食材も良く分からない肉とソーセージとチーズのようなモノ。
なんだろう。
異世界の冷蔵庫を開けたつもりなのに、想像の斜め上を行く中身に、何故か力が抜けてしまった。
「ソーセージと何かの肉しか無いんですけど、他に材料は?」
Kは数秒フリーズしてから、天命を受けたかのように言った。
「そうか。材料無ぇと料理何も作れねぇのか」
今から材料を買って来て、それから調理をするのでは時間が掛かり過ぎるという話になり、Kが近くのピザ屋に注文し、一人で受け取りに出かけていった。
Kが戻ってくるまでの間、少しでも衛生的な場所で食事がしたかったので、テーブルの掃除と必要最低限の食器の洗浄をすることにした。
テーブルの上のよく分からないゴミを、一旦ゴミだらけのエリアに下ろし、布巾と思われるモノでテーブルを拭いていると、ゴミだらけのスペースの奥にある扉が開き、誰かがコッチを見ていた。
頭には垂れた犬っぽい耳が生えている。
髪の色は濃いピンク、横と後ろの髪は肩に触れる程度の長さで、前髪は鼻の先まで伸びていて目元は見えない。
身長は130センチぐらいだろうか?
僕よりも頭一つ分以上小さい。
この世界のアニメなのか分からないけれど、格好良いロボットの描かれたパジャマのような服を着ている。
男? それとも女?
いや、獣人の性別は雄とか雌って言うのかな?
「あ、キ、キミが雨宮君?」
小さく震えた声は中性的な声質だった。
「は、はい。雨宮樹です」
身長は小さいけれど、年上なのか年下なのか判別がつかないので、とりあえず敬語で話すことにする。
「は、初めまして。ボクはリスピー。Kから美少女”電脳技師”って聞いたかもしれないけど。どう? フヒッ」
リスピーの視線は部屋の四隅を見るかのように彼方此方に向いている。
僕もあまり人の事は言えないけれど、全然目を合わせてくれない辺り、僕以上に人見知りなのかもしれない。
というか、Kからもノノからも『美少女電脳技師』などという説明は受けていない。
名乗ってくれたおかげで、女の子ということが判明したのは助かったけれど。
「よろしくお願いします」
「け、敬語じゃなくても良いよ。Kも敬語嫌いだし。言われなかった?」
「あぁ、すみません。そのうち砕けた話し方になると思うので」
「そ、それとも、美少女を前にして、き、緊張してるのかな?」
こんな事は絶対に本人には言わないけど、Kやノノと初めて話した時の方がよっぽど緊張した。
もちろん言わないけど。
「あ、雨宮君は男の子だからね。し、仕方ないよね。フヒッ」
リスピーと視線が合わないのは、人見知りと身長差のせいかと思っていたけれど、リスピーは明らかに僕の下腹部に視線を向けている。
「な、何ですか?」
「ボクやKやノノと会って、雨宮君のパトスは既に臨界突破目前でレールガンを今すぐセントラルドグマにコネクションしてファイアしたいんだろ? フヒッ」
なるほど。
ノノが注意喚起した意味が分かった。
多分、2人よりもヤバい人だ。
「テーブルと流しの掃除があるので、僕はこの辺で」
無理やり話を切ろうとしたが、リスピーはゴミの上をつま先立ちで倒れそうになりながら歩み寄って来て、僕の下腹部に手を伸ばそうとした。
慌ててその手を掴むと、リスピーは目を丸くした。
「て、手伝ってあげようかと」
「じゃ、じゃあコレをお願いします」
僕はそう言いながら、布巾のようなモノを渡した。
リスピーはそれを受け取ると、布巾と僕の下腹部を交互に見やった。
「な、中々ハードだな。こんなので擦ったら、と、飛ぶぞ。は、生えてなくても、そのぐらいはイメージが出来る。フヒッ」
「それで”テーブルを”拭いてください」
何を言っているんだこの人は。
リスピーの熱弁を掻き消すために、いつもより大きな声で掻き消すように話すことで、リスピーの話を強制的に中断させた。
「フヒッ。本番は夜、ということだね」
「違います」
その後も、色々冗談を言ってくるのかと内心ヒヤヒヤしていたのだが、リスピーはそれ以上おかしな事を言うことはなく、僕の言った通りにテーブルの掃除を続けた。
テーブルの掃除をリスピーに任せ、僕は半分がゴミ山と化した流しから、使えそうな食器類を洗うことにした。
洗剤はあるけど、スポンジもたわしも無いのはどういうことだ?
この世界では素手で洗うのかな?
さすがに洗ってないってことは無いよな?
これ以上考えない方が良いのかもしれない。
「乾杯の準備は良いか?」
ピザを受け取って戻ってきたKが、掃除したばかりの椅子に座り、缶の蓋に指を掛けながら言った。
カシュッ!
Kが蓋を開けると、綺麗な開封音と共に、ほのかにビールの香りが漂ってきた。両親共にあまりお酒を呑まないので、この香りを嗅ぐのはお正月に親戚の家に集まった時ぐらいだ。
ノノはミネラルウォーターの入ったグラス。リスピーはエナジードリンクの缶。僕は”果汁”とだけ書かれた缶を持って前に掲げた。
「今日は”あやみや”が仲間入りしたというわけで、お祝いだ! 乾杯!」
「「「乾杯!」」」
お互いの缶やグラスをカチンとぶつけ、それぞれが飲み物を口に運ぶ。
僕が選んだ”果汁”と書かれた飲み物は、マンゴーに似た味がするものの、詳細は分からない。
だが、大変飲みやすく、結構好きな味だ。
というか、ちょっと待て。
このタイミングでも名前を間違えるのか?
メリーさんやリスピーはちゃんと覚えてるのに。
「僕の名前は雨宮です」
念の為、訂正を試みたが、早くも一缶飲み終わり、二缶目を飲んでいるKには聞こえていないようだった。
「何遠慮してんだ。好きなだけ食えよ」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
Kが何十枚もピザを買ってきたので、テーブルの上にピザの箱のタワーが出来ている。
若干傾いていることも相まって、これぞまさにピザの。
いや、やめておこう。あまりにも面白くない。
などと、くだらないことを考えるのはそのぐらいにして、テーブルの上のピザ箱のタワーが崩れないように、慎重に一番上の箱を手に取った。
蓋を開けると、トマトソースとチーズの濃厚な香りに包まれる。
口の中がキュゥと痛くなり、忘れていた空腹感が一気に襲いかかる。
既に切れ目が入っていたので、一番掴みやすい位置にあった一切れを摘み、伸びたチーズを次の一切れの上に着地させてから、口いっぱいに頬張った。
美味ッ!
異世界の食事がどんなものか心配していたけれど、元いた世界と見た目も味もほとんど変わらない。
いや、このピザに関しては、今まで食べたピザの中で一番かもしれない。
トマトソースとチーズの濃厚な味が喧嘩しない絶妙なバランスを保ち、ほのかにスパイスの香りと辛味が混じっていて、食べるのを止められない。
「美味しいですね、コレ」
「何だよ。オメェの世界にはピザは無ぇのか?」
Kが口の周りと手をチーズまみれにして、モチョモチョと咀嚼しながら訊いてきた。
「食べながら話さないで」
ノノはKに対して言ったのだろうけど、Kの質問に答えようと口を開きかけた僕は、慌てて口の中のピザを呑み込んだ。
「別に良いだろ。何か問題あんのか?」
「口の中が見える。唾が飛ぶ。汚い」
「ケッ。ピザをナイフとフォークで食べるのは綺麗とでも言うのか?」
Kの言う通り、ノノはピザを手で摘むことはせず、ナイフとフォークで一口サイズに切ってから食べていた。
「手でピザを食べる事は否定しないけど、アナタみたいに口と手をベタベタに汚してる人は論外」
「はいはい分かったよ」
Kは口の周りのチーズを指で摘み、元々手に付いていたチーズと一緒に舐め取った。
「だから、そういうのが汚いって言ってるの」
「他人の食い方にゴチャゴチャ言うなよ。大体、注文したのも取りに行ったのもアタシだろ? オメェは呑気にシャワー浴びてただけだろ」
「別に押し付けてないでしょ? Kが行きたいって言っただけじゃない」
「んだと?」
Kとノノがあっという間にヒートアップしていく。
初めてあった時から、何度か言い合っているのを見ていたので、いつものことなのだろうと黙って見ていたが、収まりどころを見失っているような気がする。
二人のことをまだあまり知らない僕に何が出来るだろうかと考えていると、リスピーと目が合った。
「ね、ねぇ。お祝いの席なのに、あ、雨宮君、可哀想」
リスピーがエナジードリンクをチビチビと飲みながら呟くと、ノノはバツの悪そうな顔をした。
「ごめんなさい。確かにリスピーの言う通りだわ」
「アタシは悪くねぇだろ。突っかかって来たのは」
ノノとリスピーの視線を感じたのか、Kは非常に不本意そうな溜め息をついてから「悪かったよ」とギリギリ聞き取れる大きさの声で呟いた。
場の雰囲気が和みかけているので、此処は僕が助け舟を出そうじゃないか。
「いやぁ何というか、仲が良くないと、さっきみたいな喧嘩というか言い合いって出来ないと思うんですよ」
「ハァ? 何で仲が良いと喧嘩すんだよ。逆だろ」
Kはとっくにピザを一枚平らげていたようで、二箱目と三箱目を同時に開けて、具材を挟むように二枚を重ねた。
「『喧嘩するほど仲が良い』って言いますよね?」
「「「いや、言わないけど」」」
息の合った即答だった。
なるほど。
言葉が通じても、ことわざみたいな概念が通じるかは別の話なのか。
そして、僕には話術が無いということも分かった。
その後、最初の内はギクシャクしていたものの、お互いの世界について話し合っていく内に気まずい雰囲気は無くなり、あっという間に時間が過ぎていった。
Kがデザートとして買ってきた、砂糖が多めのサクサク食感が美味しいアップルパイを、リスピー以外の全員が食べ終わったタイミングで、ノノが思い出したように言った。
「そういえば、答えてなかった質問があったわね」
一瞬何のことか分からなかったけれど、今日の出来事を脳内で振り返った時に、心当たりが一つあった。
「夢の話、ですか?」
ノノはグラスに注がれたミネラルウォーターを少し飲み、一息ついてから話し始めた。
「私の夢は、一生遊んで暮らせるお金を一日でも早く稼ぐこと。何十年も働くなんて時間の無駄だからね」
一生遊んで暮らせるお金。
正直、ノノの口から出てくるとは思えない単語だった。
「一生遊んで暮らせるっていうと、どのぐらいの金額なんですか?」
「とりあえず10億。10億に達するまでに掛かった時間と労力によっては、増やすかもしれないし、減らすかもしれない」
ノノがKにアイコンタクトを送ると、Kは手に付いていたアップルパイの欠片を舐め取ってから言った。
「アタシの夢は、この街で一番強くなる事」
”最強”を夢見る。
僕も格闘漫画を読んでいる最中は同じ夢を持つけれど、読み終わって現実に返ればすぐに冷めてしまう夢。
それを本気で言えるのはスゴいな。
「この街で一番強いのは誰なんですか?」
疑問を口にすると、Kは悩む素振りも見せずに即答した。
「知らねぇ」
え?
こういうのって、最強がいるはずでは?
「本当に強い奴等同士は滅多に戦わねぇから、どっちが強いかなんて分かんねぇんだよ。
”天使達”だったら、”番号持”だとか”天使長”は強いだろうな。
”上位者”は全員漏れなく確実に強い。
後は、”魔法使い”だとか”魔人”辺りだな。
アタシは歯向かってくるコイツ等を全員ぶっとばすのが夢だ」
急に知らない用語がたくさん出てきて反応に困っていると、ノノが「後でリスピーに教えて貰って」と言った。
Kの話に区切りがつくと、Kとノノの視線がリスピーに向けられた。
「え、ボクも話すの?」
「当たり前だろ」
ようやくアップルパイに手を付けようとしていたリスピーは、少し名残惜しそうにアップルパイを皿に戻すと、コホンと咳払いをしてから口を開いた。
「ボ、ボクの夢は、”情報の海”の底にある”千年門”を開けること」
言い終わってから、頬を赤く染めながら「フヒッ。なんか夢を語るのって変な気分になるね」と呟いた。
また知らない用語が出てきたな、と思っているのが表情に出ていたのか、リスピーはすぐに話を続けた。
「後でボクの部屋で見せてあげた方が早いだろうけど、”情報の海”っていうのは”電脳”のこと」
僕の表情を見たリスピーは、数秒停止してから話を再開した。
「あぁ、”電脳”ってのは、困ったな。何から教えれば良いのかもよく分かんないや。まぁ、その辺も後で教えてあげる。
と、とにかく、”情報の海”の底に、とんでもない桁数の暗号が掛かっていて決して開けることの出来ない門があるんだよ。あらゆるコードをひたすら入力し続ける”総当たり攻撃”って方法で開けようとすると、千年かかると云われている。だから”千年門”」
「せ、千年!? 開くわけないじゃないですか!?」
「そ、それは”総当たり攻撃”って方法で開けようとした場合。一応その手段も使ってるけど、ボクは並行して、独自の研究方法で解析を続けてる。”千年門”を人類で最初に開けるのはボク。フヒッ」
「こんな奴だが、滅茶苦茶頭良いんだよ」とKが口を添えた。
「”千年門”の向こうには何があるんですか?」
リスピーは人差し指を左右に振りながら舌を鳴らした。
「フヒッ。あ、雨宮君。それはさすがに早漏すぎ。それを知るために開けるんだよ。まぁ、仮に中身が分かっていたとしても、開けることは出来ないと言われたら開けたくなるけどね」
リスピーの夢を知ることは出来たが、一つ疑問が浮かんだ。
「ノノさんやKさんは」
Kに睨まれ、”さん”を付けるなという圧を感じたので、僕はすぐに言い直した。
「ノノやKは一緒に戦うのだと思いますが、リスピーはどういう経緯で一緒になったのですか? 戦わないんですよね?」
「”千年門”の解析だけやってても、住む場所やお金に困らないならそうしたいけど、現実はそうじゃないからね。
ノノとKが”電脳技師”を探していることを知ったから、ボクの方からコンタクトを取って、仲間にしてもらったってわけ」
それは意外だった。
てっきり、ノノやKから誘ったのだろうと思っていた。
「私は”電脳酔い”をする体質だから、出来れば”電脳”絡みはやりたくないの。リスピーみたいな専門家がいるなら専門家に頼んだ方が何かと良いでしょ。
私達が出先で何か調べたいことが出来たら、”脳内会話”でリスピーに相談して、リスピーが”情報の海”から必要な情報を拾ってきて、”脳内会話”で私達に伝えてもらっているの。
覚えてるか知らないけど、病院で話をしている時に、純人間の相場だとかシャトルのことについて色々調べてくれたのもリスピーよ」
知らない単語が所々混じっているけれど、リスピーやノノの言っている内容は何となく分かる。
病院で話をしている時に、ノノが何度か数秒黙っていたのは、リスピーと”脳内会話”とかいうテレパシーのようなもので話していたからだろう。
「それで、雨宮君は?」
リスピーがそう呟くと、ノノとKも僕をジッと見つめた。
「え、僕ですか?」
自分に話が回ってくると思っていなかったので、少しだけ声が裏返った。
「皆話したんだから、雨宮君も話さないと不公平でしょ」
うぅん。
コッチの世界に来てから、あっという間に過ぎていく時間の中で、元の世界に帰りたい以上の願いなど無かったし、今考えてみても思い付かない。
「夢、とは違うような気もしますけど、元の世界に帰りたいってのが一番ですね。そのために、色々と頑張ります」
なんだろう。
大層なことを言ったわけじゃないのに、何か滅茶苦茶恥ずかしいぞ。
互いの夢を語り合った後は、リスピーがアップルパイの欠片をポロポロ溢しながら食べるのを皆で見守り、歓迎会は終了した。