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評価問題、もしかしてラカンの精神分析適用できる?となった

作者: 板久咲絢芽

別に弱いことは否定しないけど、効率厨的にはくよくよしてる時間勿体ねえが頭の片隅で発生する。

そもそもまず、☆による評価尺度というものが前に(UIの点から嫌がらせされたと考えるならプギャーしてやれエッセイで)も言った通りウィトゲンシュタインの「箱の中のカブトムシ」ではあるんですけどね?


※「箱の中のカブトムシ」

ウィトゲンシュタインは「痛み」の共有において、単に「痛み」といったところでその差は個人間でも千差万別であるということを、誰しもが自分だけの「箱」とその中の「カブトムシ」を持っているという状況において、この箱の中のカブトムシについて共有する場合は常に「カブトムシ」という語を使うが、実際にその「箱」を覗いて中の「カブトムシ」を視認できるのは自身だけで、実際には箱の中身が「イモムシ」だろうと「ネコ」だろうと、この文脈上においてはただ全員が「箱の中のカブトムシ」としかそれを表現できず、また共有においても「箱の中のカブトムシ」としか言えない、とした。

要はクオリアの概念を表す思考実験の一種だわさ。


つまり、「☆1」と言ったところでそれが「箱の中のカブトムシ」なのである。

もちろん「☆5」も「☆3 」も「箱の中のカブトムシ」だ。

なら、その箱の持ち主が箱の中ぶちまけねー限り他者にはなんとも知りようがないのよ。

ネガティブに使うのもポジティブに使うのも使用者の自由で、反対にネガティブに受けるのもポジティブに受けるのも受け手の自由ではある。


ただそんな自由なもんなら自分の「箱の中のカブトムシ」はできる限り立派なヘラクレスオオカブトムシの方が、何するにも楽じゃろうよな。ネプチューンオオカブトでもいいぞ。


とまあ、ウィトゲンシュタインの話前ふりにしたけど、今回の話はウィトゲンシュタインじゃねーんだわ。

ラカンの精神分析(くっそ難解)なんだわ。


ラカンの精神分析、かの心理学者フロイトの弟子の一人、フランス人のラカンさんが確立したものなんだけど、クソほど難解。

しかも私は結局それを大学の講義(しかも心理学系ではなく文学研究系だ)でかじかじしただけなので、理解が浅いとこもあるとは思う。

うん、その講義で、生粋のフランス人でフランス語で書いてるのに「フランス語でぉk」なんてラカンさん言われてると聞いた記憶があるぐらいには難解。


といっても、結局生の欲動と死の欲動の話(ちょこっと対象a)だから基礎じゃない? ……基礎だと思う。

理解の第一歩は、これは理解できるはずと思うこと。諦めたらそこで試合は終わりです。


まず、生の欲動について、ラカンさんの定義を私が理解した結果は以下の通りとなります。



ラカンは生を「精神的には主観で完璧に至るために発せられる言語的営みによる無意識の欲望の連鎖状態」と定義し、この生の欲動を「欲望の連鎖を続けるための無意識による欲動」と定義した。


なんかよくわからんね、それはそう。

とりあえず、前提として、ラカンは「言語的営み」というものを重要視していたわけです。

で、「己の思う理想的で完璧な自分になる=主観で完璧に至る」ために、この「言語的営み」を用いて、己の欲望を生み出し、満たす/満たされないを繰り返し続けるのが「生」と定義したわけです。

で、その「生」をなしうる「欲動=欲望よりも無意識的で衝動的な欲」は、この「己の欲望を生み出し、満たす/満たされない」を繰り返す、逆に言うと一時的に満たされたとしても満たされないことを繰り返す欲です。

何故なら、「己の欲望を生み出し、それを追いかけることを繰り返す=連鎖」のがラカンの定義した「生」だから、満たされたらそこでばっつん、終わりなわけです。

フロイトのエロースを引き継いで発展させてどうしてこうなった?は思わなくもない。


その「生の欲動」に対して、当然「死の欲動」もあります。フロイトのタナトスあるいはデストルドーの引き継ぎ。

これは、「己の欲望を生み出し、それを追いかけることを繰り返す=連鎖」という「生」を終わらせて「死」に向かおうとする「欲動=欲望よりも無意識的で衝動的な欲」です。

この「死の欲動」の先をなし遂げうるのは「満足」か、あるいは破滅的な「諦め」になります。

なんで破滅的ってだって「死」だもん。


さらに重要なのが、あくまで「己の思う理想的で完璧な自分になる=主観で完璧に至る」ためであって、ラカンさんの精神分析におけるこの点をざっくり言うと、「我々自身は我々自身に不足していると思うものを常に何かに投影し、それを追い求める」が「それはあくまで思うものであって、本当に存在するとは明言できないし、当然内容も変わりうる」ものなので、「我々自身は永遠に満足に至らない(=よって生きられる)」ということなのですね。


で、その追い求める言語化不可能のものにして、追い求めることで剰余快楽=刹那的であり、暴力性すらはらむ快楽を生み出すものが「対象a」と呼ばれるのですね。

なんで、暴力性をはらむかって、「対象a」を求めるために欲望を連ねることは「生の欲動」であるけど、「対象a」それそのものを掴もうとするのは欠けを補い完璧になる連鎖の終わり=「死」だからです。


でだね、☆1評価問題って評価を「対象a」として据えちゃってるからじゃない?って話。

そりゃ評価なんだから高ければ高いほどいいっちゃいいけど、その内訳は前述の通りウィトゲンシュタインの「箱の中のカブトムシ」ってわけね。


「生の欲動」で追いかける「対象a」って要は逃げ水現象とかモグラ叩きみたいなもんなんだけどさ。

「対象a」を手にしたと思った瞬間、投影された「対象a」の化けの皮って剥がれて、それが自分の求めてるものではない(言語的秩序下に置かれてしまい「対象a」としての役目を失う)とわかってしまうので、別のとこに「対象a」が投影されるのね。そう、生の欲動の中にいる限り、こいつ永遠にリポップし続けるから。


ただ「対象a」って物語論に即すなら端的に言って主人公にとってのファム・ファタール、破滅的運命の人なんだわな。

「対象a」を言語的秩序下に置くことを拒否する場合、それは生の欲動が求め、死の欲動が掴みたがるものをそのままにするということなので、端的に言うと「死」が発生します。比喩的でもあるし比喩的でなくもあるよ。


比喩的でない場合は置いといて、比喩的な場合、「死」は「破滅的行動」ないし「破壊的行動」で代替されます。

「対象a」が生む剰余快楽が暴力性すらはらむ快楽であるとはそういう点だべな。カタルシス、カタルシス。


だから、得た評価が「こんなものでしかない」と思って「対象a」のヴェールを剥がされた時の反応が極端化してしまう。

結果、死の代替行為発動になりかねんのですわね。

なお対象は自己とも他者とも限らんぞ、自責だろうと他責だろうと「破滅的行動」、「破壊的行動」はこの精神分析の文脈上、死の代替行為には変わらん。

どこに自己を投影するかの差でしかないのでなー。

そう、何かものを破壊するときだって、ラカンの精神分析の文脈上はその破壊するものに自己を投影した死の欲動の発散となるのです。


ただ、そんな破滅的行動や破壊的行動に生産性はないのだ。

それは強者の弁?

違うよ、効率厨の弁ないし負けず嫌いの弁だよ(落ち込んでる暇があるなら好きなことしたいor嫌がらせするやつに舵を渡して思い通りになってたまるか(BGM「宙船」byT〇KI〇))

強くあるのは優先度高いものを貫く手段で、目的ではない。


嘆くのは自由だが、その時間、もっと有意義に使いたいと思わない?

あ、うん……思わないなら話はここまでですね、はい、私には君は救えないですね、こちらのさじをどうぞ。



で、ここまでではない方には、その強くあるという手段のためにも、そもそもを考えてみたまえよ、というところもあって。


①アクセス解析、見てる?

 いえーい、アクセス解析見てるー?

 いや、地味に優秀だよね、なろうさんのアクセス解析。

 アクセス解析を見る意味?

 それはアクセス総数に対しての評価回数で評価内容どころか評価をもらえる事自体の貴重さがわかるからだよ。

 はい、私は小説(エッセイ除く)のユニークアクセス260人中評価者3とか407人中評価者0とかの人(2023/11/28時点)です!人を選ぶのは!自覚してる!感想だって0だよ!(やけくそダブルピースの勢い)


②他の人の評価や感想、ブクマとか考えてる?

 私の小説があれなので説得力がないのは項番①でバレてんねんけどな。

 瞬発的にやらかしちゃいそうな人は特に一度深呼吸して考えてみて欲しい。

 他に評価や感想入れてくれたり、ブクマしてくれてる人がいるということは、その人はあなたの作品を好意的に見てくれてる可能性高ですよ。

 なお想像力を逞しくすると、今はまだ辿り着いてないだけの誰かも含まれます(含んでないと私もしょげちゃう)


③それが評価者の萎縮遠因にならんか?

 その態度見せて評価つける側が萎縮する可能性はない?

 負の感情を語るより、「好き」で語った方が世の中良くなるはずで建設的なのよ?

 評価者側が自主規制してったらどうなる?

 知らんのか、被評価者が減る。


と、点でなく俯瞰した面で想像力逞しく見た方が心が救われるのです。

自ら望んで沈んでくのと沈みたくないのに沈んでくのは違うからね、できる限り自分の望む方向に行こうね。

勿論、足掴んで一緒に沈ませようとしてくるやつは蹴飛ばして沈ませとけ。

仕事でストレスがたまると、小難しいことを考えてストレス発散をするクセがあります。そういうことです。

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