追放魔王の目的
「おい、オレス」
突然、アルトがオレスの名を呼んだ。
オレスは、直ぐ近くの樹の陰まで移動してきており、ガネッサがアルトに敗れた一部始終を目撃していた。
アルトが前・魔王であるなど、オレスは全く想像していなかった。そもそも、オレスは前・魔王アルトワルスの姿を見たことがなかったため、アルトの正体に気付かないのもやむを得ない。
が、オレスは、ここまでの無礼なふるまいを思い出し、自身の名を呼ばれたことに悪い結末を想像してしまっていた。しかし、アルトの呼び掛けを無視する訳にもいかない。
「は、はい……!」
とオレスは脚を引きずりながら樹の陰から姿を見せた。
ガネッサと同じように痛めつけられるのだろうか。それならまだいい。無礼の罰にもっとひどい目に遭うかもしれない。
オレスは様々想像しながら額が地面に擦れるほどに頭を下げた。
「あ、アルトワルス様、これまでの非礼――」
「構わん、むしろガネッサから俺を守ろうとしたこと感謝している」
「い、いえ……いらぬ配慮でした」
「ガネッサを連れて帰れ。ガネッサが人間に拘束されると面倒なことになる」
「は、はい」
オレスはガネッサによって受けた傷の痛みに耐えながら、ガネッサに駆け寄り、担ぎ起こした。
「それと……」
立ち去ろうとしていたオレスを、アルトは呼び止めた。
オレスが振り向き、「はい」と緊張しながら返事をすると、アルトは嘲るような笑みを浮かべて言った。
「エーデルに伝えておけ」
オルレウス魔王国魔王城。
魔力を蓄えた特殊な黒い鉱石で作られた漆黒の城。鬼火のような碧い篝火がそこかしこに掲げられ、城は見る者を圧倒する威圧感を持って、モンスターの骨が散逸する荒れ果てた平原に建っていた。
その魔王城の一室で、横たわったガネッサの脇でオレスが膝まずいていた。
オレスを見下ろすは、碧いドレスを纏い、少しねじれたすみれ色の長い髪をオールバックにした女。
その女は、アルトの父・先々代の魔王ペイルワルスの2番目の妻で、アルトの継母であるエーデルであった。
年齢はまだ40歳に達しておらず、まだ若々しく、妖艶さを滲ませている。
「それで、アルトワルスは、何と?」
エーデルが冷たい眼でオレスを見下ろす。
オレスは、アルトの正体を知ったときと同じくらい緊張しており、額に汗を滲ませながら重々しく口を開いた。
「『俺から国を奪ったことで満足していろ』と」
「……そう」
その直後、石でできた部屋の壁に蜘蛛の巣のようなひびが入った。
「ひっ……」
オレスは、思わず顔を上げてエーデルを見た。
エーデルは穏やかに笑みを浮かべていた。しかし、その笑顔を見て、オレスはシンプルに恐怖した。激しい憎悪を抱きながら、このような笑みを浮かべることができるエーデルが、心底恐ろしかった。
「処分は追って沙汰します」
エーデルはそう言って部屋を後にした。
部屋の外では、大きく膨れ上がった腹で、窮屈そうに燕尾服を着た、蛙のように離れた眼と大きな口の男が待っていた。
「アルトワルス様……いえ、アルトワルスが邪魔をしてくるとは……どういたしましょうか」
蛙顔の男が恭しくエーデルに聞くと、エーデルは少し間を置いて答えた。
「なんとしても『鍵』を全て手に入れなさい。邪魔をする者は誰であろうと排除する。奴の力を封印したのは、このためよ」
エーデルの顔から穏やかな笑みが消えていた。
蛙顔の男の背後にいた、彼の部下たちは恐れ慄いたが、蛙顔の男は一人、いやらしい笑みを浮かべながら頭を垂れた。
アルトがガネッサを倒してから数時間の後で、行軍訓練から急遽戻った第12騎士団がアユナ湖に到着し、翌日にかけてアユナ湖周辺を捜索したが、オレスの姿はもちろん、クロエが見たという蛇の鱗を持つ銀の髪の男の姿もなかった。
アユナ湖もいつもと変わらない穏やか様子で、昨晩いっとき湖水が全くなくなったことが噓のようであった。
ベルディの街もモンスターの襲撃による被害は最小限に抑えられ、第13騎士団の活躍と称えられたが、副団長のジョンサム自身はオレスとの戦いで気絶していたため、複雑そうであった。
事件の翌日、アルトはいつもどおり出勤していた。
何ごともなかったように、黒縁眼鏡を掛け、寝癖をつけて。
「おい、アルト、昨日はどこ行ってたんだ?」
昨日、行方が知れず捜索されていたアルトが平然と出勤してきたことに、同僚のトリアーレは驚いて、詰め寄るように聞いた。
アルトは申し訳なさそうな顔をして、
「すいません、親戚に不幸があったもので、葬儀に出席するために急遽街を離れていたんです」
「何だ、そうだったのか、ちゃんと課長なりに連絡しなくちゃダメじゃねえか、相変わらず鈍臭えなあ」
そう言ってトリアーレがアルトを小突くと、
「は、はあ……すいません」
と、アルトは申し訳なさそうに頭を掻いた。
そんなアルトとトリアーレのやり取りを聞いていた課長のレイモンドも、呆れてため息をつき、
「全く、非常識だなキミは、騎士の方々もキミを捜索していたんだから、直ぐに詰所に行って、事情を説明して謝って来なさい」
と、アルトを騎士の詰所に1人行かせた。
騎士の詰所で、クロエは身体中に包帯を巻きながら、報告書を作成していた。
全身十数か所の骨折であったが、治療術によってひとまず動けるまでには回復していた。それでも安静が必要な状態であったが、昨晩の大事件は直ぐに情報を整理する必要があるとして、クロエは早急に報告書の作成を命令されていた。
気を失う前、クロエの前に立った人物は何者であったのか。
目が覚めて顛末を聞いたが、その人物はもちろん、クロエの仲間を惨殺した銀髪の男――ガネッサの姿も、元・魔王と見ていたオレスの姿も、どこにも見当たらないという。
しかし、湖の水がいっときなくなったという事実と、クロエとともに生存した騎士もクロエと同じ証言をしたため、オルレウス魔王国軍団長ガネッサの存在と、オレスが元・魔王ではなくガネッサの関係者であるということは、騎士団の中では事実として受け止められていた。
「あのぅ……」
クロエが様々考えていると、聞き覚えのある声が詰所の入口から聞こえてきた。
「あなたは……!」
濃紺の髪、黒縁眼鏡で下級官吏の制服を着た男――アルト。クロエは松葉杖をつきながらアルトに近付いた。
「昨日どこにいたの? 行方は分からないって、探していたのよ」
「そうだったんですか、それはすいません」
アルトは先ほど職場で話したことと同様に、親戚の不幸があったという話をしてから、
「何か昨日の晩は大変な騒動だったみたいですね」
と白々しく言った。
「ああ、あなたはツいていたわ、あなたみたいな人が昨日街にいたら、きっとモンスターの餌食になってた」
クロエがからかうように言った。
「ええっ、モンスターですか? 怖いなあ……」
「それより、オレスという男がどこにいるか知らない?」
「オレスさんですか? さあ……一昨日忠告されたとおり会っていないもので……まだこの街にいるんですかね?」
「そう……知らないなら良いわ」
もしやと思い聞いてみたが、知らないということで、クロエは少しがっかりした表情を見せた。
「では、僕はこれで失礼します」
そう言ってアルトが立ち去ろうとすると、
「あ、ちょっと……」
とクロエが呼び止めた。
「あまり怪しい旅人には関わらない方が良いわよ。危ない奴も多いし、それに、まだ元・魔王がこの辺をうろついているかも知れないしね」
「は、はあ……分かりました」
そう返事をして、アルトは一礼し、詰所を出た。
アルトは、詰所を出ると直ぐに、詰所と下級官吏庁舎の間の樹の陰に、マーガレットの従者の男がいることに気付いた。
アルトは従者の男に近付いていき、人目につかぬよう樹の陰に隠れた。
と、従者の男が箱をアルトに手渡す。
「マーガレット様からです」
アルトが箱を開けると、昨晩ガネッサから奪った『鍵』が装飾された金の腕輪が入っていた。
「昨日、街を救ってやった借りはこれでチャラだな」
アルトが言うと、従者の男は表情を変えずに浅く頭を下げた。
「いえ、まだマーガレット様には、アルト様に住居と職の手配をした貸しがあります。それに昨日言っていたではありませんか、『人間を救けるためではない』と、アルト様の借りは1個も減っておりません」
「食えんな、魔族よりもしたたな奴」
そう言いながらアルトは笑い、腕輪を胸元にしまい、箱を従者に返した。
「本来、魔族に義理などという概念はない。が、郷に入っては郷に従え。人間に倣って義理とやらを果たすのも面白い。マーガレットに伝えておけ、借りの数だけ助けてやる、と」
「かしこまりした。では、これまでどおり残りの『鍵』の在りかが判明次第ご連絡いたします。なお、その情報1つで貸しが1つということもお忘れなきよう」
「それで良い、『鍵』1つで、マーガレットへの借りが1つなら安いものよ」
従者は一礼し、風のように立ち去った。
アルトは、樹を見上げた。
折り重なる葉の隙間から蒼い空が見える。
「エーデル、『鍵』は俺が手に入れる。そのために野に降ったのだ。国は渡しても、『鍵』は渡さんぞ」
アルトは1人呟いた。
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