オルレウス魔王国軍団長 白蛇のガネッサ
湖水が全てなくなり、クレーターのようにただの穴ぼこと化したアユナ湖の湖畔の浜辺で、クロエと数人の騎士は、どうしたらよいか分からず途方に暮れていた
この事態を起こした元凶である白いローブの青年を見失い、クロエはただただ非現実的な光景を眺めていたが、ふと、湖底に異質なものを認めた。
石造りの建造物。
どれ程長い間湖の底に沈んでいたのだろうか。黄昏時の薄暗い中ではその輪郭をはっきりと認識することはできないが、確かに自然物ではない何者かの手によって作られたものであることが分かる。
そして、異質なものはもう1つ、遺跡の上に立つ白い影。
「あれは、さっきの……」
この事態の元凶、オレスの仲間。
クロエがよく見ようと湖の跡に脚を踏み入れたとき、
「クロエ、危ない!」
と、仲間の騎士がクロエの腕を掴み乱暴に引き寄せた。
「何……っ」
クロエは文句を言おうとしたが、足元の揺れと腹の底に響くような轟音に気付き、音のする方向を見た。すると、なんと、アユナ湖から流れる川から、大量の水が逆流し、アユナ湖に流れ込んできたではないか。
「な……何が起きているの……」
アユナ湖の湖底の石造りの建造物の上に立っていたガネッサもまた驚愕していた。全て流したはずの湖水が、まさか帰って来たのだ。
有り得ない。
魔族の中でも特に水の操作に長けた自分のほかに、このような芸当を、しかも、下流に向かって流すのならまだしも、自然の摂理に逆らって上流に向かって流すことができるものが、この世界に存在するはずがない。
激流は、驚くガネッサを一瞬のうちに飲み込んだ。
ガネッサが湖水に飲み込まれた様子は、ガネッサに敗れ、動けずにいたオレスも目の当たりにしていた。
オレスにとって目の上のたんこぶであるガネッサが湖の底に沈んだにも関わらず、オレスに喜ぶ様子はない。
ガネッサが水の操作に長けた者であるということ、そして、そもそもガネッサは逃げるつもりはなかったことにオレスは気付いており、ガネッサは間違いなく生きていると考えているからだ。
「くそ、もうどうしようもねえ……」
オレスは大きな波を立て、荒れ狂う湖を見て、ほぞをかんだ。
陽は落ち、暗くなった夜空は雲が月を覆い、星の瞬きが闇に沈んでいる。
その闇の中で、荒れ狂う湖の、ガネッサが飲み込まれた辺りに巨大な渦が発生していることに、クロエらは気付いた。
緊張の面持ちでクロエたちが見つめる中、湖の中央の大渦から夜空に向かって水柱が立ち昇った。
そして水柱から1人の男が現れる。
銀色の翼を広げ、白いズボンに上半身が裸の男。短い銀髪が暗い闇で輝いている。
先ほどまではなかった黒い文様が身体のあちこちに刻まれてはいるが、その男はガネッサであった。
「奴は、一体何者なの……」
クロエら騎士は、ガネッサのただならぬ雰囲気に、武器を構え臨戦態勢を取った。
「くく……」
ガネッサは自らの両手の平を見てほくそ笑む。
力が溢れてくる。
「これが、『鍵』の力か」
と、ガネッサは、100メートル以上先にいるクロエらに、切れ長の目を向けた。
クロエらの背筋が凍る。
今まで感じたことのない、強大で、切れ味の鋭いナイフのような、凍てつく魔力。
100メートル以上離れているというのに、喉元にナイフを当てられているかのような感覚。気を抜けば気絶してしまいそうになる。
それでも、スペリアム王国の騎士として、逃げ出すわけにはいかない。
「み、皆――」
クロエが仲間の騎士に呼びかけようとしたとき、仲間の1人の頭が砕け散った。
ガネッサが握りつぶしたのだ。
ガネッサが接近したことに全く気付かなかった。ガネッサから目を離していない。瞬きすらしていない。にもかかわらず、ガネッサの動きが見えなかった。
クロエは混乱し、額から汗を流しながら、湖に向かって剣を構えたまま、目だけを右に向けてガネッサを見つめた。
と、仲間の騎士が2人、同時にガネッサに斬りかかった。
ガネッサはかわさず、2人の剣はガネッサに命中する。
しかし、ガネッサの身体は鋼鉄のごとき硬さの鱗に覆われており、かすり傷すらつけられず、逆に1人の騎士はガネッサの腕によって切り刻まれ、さらにガネッサは水を操り、もう1人の騎士を貫かんとした。
が、寸でのところでクロエは動き、騎士を押し倒して、ガネッサの魔法から騎士を救ったが、その騎士は代わりに頭を打ち、気を失った。
その間に、ガネッサは他の騎士を蹂躙し、ついに生存者はクロエと気絶した騎士だけとなってしまった。
「強い……」
強すぎる。
絶対に敵わない。
間違いなく、殺される。
クロエの全身を嫌な汗が流れた。
「後は、お前たちか……」
ガネッサがクロエに狙いを定めた。
クロエは唾を飲み込んだ。
逃げるか。
「この後は、人間どもの街を破壊し、俺のものにしてやる」
ガネッサは口角を吊り上げ、蛇のように笑みを浮かべた。
その言葉に、クロエは決断した。
「……そんなこと、させない」
クロエは、ガネッサに向かって剣を構えた。
逃げない。
たとえ勝てないとしても、少しでも時間を稼ぐことができれば、第12騎士団やほかの騎士がベルディの街の外でこいつを迎え撃つ時間を作ることができるかも知れない。
「バカなことを……背を見せて逃げれば、見逃してやらんでもなかったが……お前程度、時間稼ぎにもならんぞ」
クロエの思惑は見破られている。だが、そんなことは関係ない。
「腹を括った人間の強さ、見せてやる!」
クロエは震える身体を無理矢理奮い立たせ、ガネッサに向かって突進した。
身体は隙間なく固い鱗に覆われている。無策に斬りかかっても傷1つつけられない。
だが、鱗は上から下に向かって生えている。そして、身体を動かしたとき、身体が伸びた部分の鱗が持ち上がり、僅かに隙間ができる。
クロエは今までにないほどに集中していた。
ガネッサの動きを視界の全体で捉え、ガネッサが振り下ろす右腕を紙一重でかわすと、伸びた広背筋の右側を狙って、下から剣の切っ先を突き刺し、そのまますれ違うように移動しながら剣を振り切った。
「ぬ……っ」
ガネッサの背中から血が流れる。
クロエの剣は鱗の隙間を縫って、ガネッサの身体に傷をつけた。
「……まだ、次っ!」
クロエが2撃目を与えようと振り返った瞬間、ガネッサの操る水流がクロエに命中し、クロエは吹っ飛ばされた。
「く……ま、まだだ……」
タイミングよく剣に命中したため、剣が粉々に砕けた代わりに、クロエは何とか生きていた。しかし、肋骨と左足の大腿骨が折れ、息をすることもままならず、立つこともできない。
「偶然にも俺に傷をつけることができたみたいだが、所詮は人間、俺の敵ではない」
ガネッサが笑う。
「……あなたは一体、何者なの……?」
「我が名はガネッサ、オルレウス魔王国の軍団長が1人、白蛇のガネッサだ」