教皇の訪問
この世界のどこかにある神殿風の建物の中で開催される、仮面で顔を隠した者たちの集い「使徒の会」。
参加者は、高い身分の者や社会的に影響力のある者で、人間と魔族とを問わず、あらゆる種族の者が参加できる。
毎月1回、主宰といわれる男が開催通知を会員に送り、いずれかの会員が発案した議題について話し合ったり、会員に対する報告事項を報告したりする。議題を話し合うとは言っても、ほとんどの場合、主宰が方向性を決め、関係者がいれば関係者とも事前に調整し、根回しをした後で、承認という形で決することが多い。
さて、今回の議題は「スペリアム王国騎士団の次期総団長」で、報告事項は「ハルエスト教会に対する規制法の状況」であった。
議題については、スペリアム王国騎士団のトップである総団長が体調面を理由に退任することが見込まれているため、退任前から次期総団長について話し合おうというものである。全ての国の騎士団について「使徒の会」で議題にするわけではない。人間最大の国であるスペリアム王国騎士団の総団長の選出は、世界的に見ても重要な事件であるため、「使徒の会」でも議題となるのである。
そして報告事項は、前回の議題の進捗状況の報告である。ハルエスト教会への寄附を制限しようとする各国の動きは、使徒の会の会員たちの力により徐々に治まっていた。
議題と報告事項の終了後、参加者の1人である黒い法衣の初老の男が、髑髏の仮面を被ったオルレウス魔王国軍団長キメリアに声を掛けた。
「やあやあキメリア殿、サマノエル王国への攻撃の件はありがとうございました。あれによって、規制の急先鋒たるサマノエルでの風向きが変わったのが、特に大きかったですな」
オルレウス魔王国の黒の軍団がサマノエル王国に侵攻した際、被害を受けた人々をハルエスト教会が救済したことで、ハルエスト教会への国民の評価が変わったのだ。
「いえ、『使徒の会』の掟に従ったまでです」
「いやいや、大変感謝しておりますぞ。アッハッハ……そうそう、これを」
法衣の男は小さな箱をキメリアに渡した。
「これは?」
キメリアは、箱を受け取り、開くと、
「なんと……!」
中に入っていたのはオニキスのように黒い「鍵」であった。
「信者から献上されたものでしてな、必要なのでしょう?」
キメリアは丁重に箱を懐に収めると、恭しく、
「感謝いたします。このことは、エーデル様もお喜びになるでしょう」
と頭を下げた。
「これで、教会に対する世間の風潮も変わりました。ですが……」
法衣の男は、少し離れた所に立っている使徒の会の主宰に視線を移した。
「教会の内部で、少々厄介なことが起きてましてな」
主宰の男は法衣男の視線に気付くと小さく頷いた。その様子を見て、キメリアは、既に法衣の男を主催の間で、何かしら取り交わされているものと理解した。
主宰の男は法衣の男とアイコンタクト――互いに仮面で目は見えないが――をかわした後、自分に近付いて来る足音に気付き、足音が止まった方向に顔を向けた。そこには、正装姿の小柄な男と、仮面の下に白粉を塗った黒いドレスの女が立っていた。
「主宰、総団長の件、うまくまとめていただき、ありがとうございました」
仮面を被っているが、小柄な男が笑っていることが分かった。その後ろのドレスの女は無言で佇み何を考えているか分からない。
主宰の男は、小柄な男の肩を叩いた。
「まあ、ただの慣例です。お気になさらず」
そう言って、主宰の男は何かを思いついたように、小柄な男に耳打ちした。
「1つ、お願いしたいことがあるのですが……」
主宰と小柄な男が耳打ちをしあっている様子を見ながら、黒いドレスの女は仮面の下で目を細めた。
「母上!」
オルレウス魔王国の魔王ザレスは、魔王城のエーデルの部屋のドアを徐に開けて、食って掛かるように母親であるエーデルに詰め寄った。
「兄上と戦闘になったというのは本当ですか!」
エーデルと同じすみれ色の髪。しかし、父譲りの、腹違いの兄アルトと同じ金色の瞳で、ザレスはエーデルとじっと見つめている。
エーデルは、湯気の立ち昇る紅茶の入ったカップをカップソーサーに置いた。
「ザレス、どうしたのそんな剣幕で」
「お答えください。軍団長の数人が兄上と戦闘したという話は、本当ですか」
「ええ、それがどうしたの?」
エーデルは微笑みながらあっさり答えた。
「なぜ兄上と? それに、サマノエル王国への侵攻も、なぜ私になんの相談もなかったのですか」
エーデルはザレスの顔に触れながら、駄々っ子を嗜めるように優しく言った。
「あなたはまだ若いから、母に任せておけばいいの」
「……今の魔王は、この私です」
ザレスはエーデルを睨みつけた。
しかし、エーデルは意に介さない。
「大丈夫よ、私に任せておきなさい。そうすれば、あなたは最高の、最強の魔王となるわ」
「……一体、母上は何をしようとしているのですか」
「さあ、そろそろ政治学の勉強の時間でしょう、宰相が待っていますよ」
そう言って、エーデルはザレスの顔から手を離した。
ザレスはエーデルの温もりを惜しむように頬に触れながら、数歩後ずさった。
「……兄上と関わるのは止めてください。追放したのは母上でしょう。もう関係ないはずです」
そう言い残して、ザレスはエーデルの部屋から出て行った。
「……ザレスは優しい子ね、そこだけが欠点」
そうして窓の外に眼を移す。
「早く、『鍵』を手に入れないと……」
スペリアム王国バルト領領主の住む街ベルディ。
先日のオルレウス魔王国軍団長スパーダの軍の襲撃により破壊された町並の修復もまだ途中であるにもかかわらず、街は大変な賑わいを見せていた。
大通りの沿道に多くの人々が詰めかけ、大通りを歩く行列に向かって手を振っている。
行列の中心で馬車の上からにこやかに手を振っているのは、法衣を纏った背の高い中年の男。ハルエスト教会の教皇ラスタイルである。
教皇はハルエスト教会における最高位であり、ラスタイルを含め4人いる。だが、4人の教皇は同じ教皇といえども対等ではない。4人のうちの1人が大教皇として、ハルエスト教会の事実上のトップとなる。
ラスタイルはその大教皇ではないただの教皇であるが、多大な影響力を持っており、ハルエスト教会の在り方を見直すべきとの立場で、改革派として知られていた。
「にぎやかですねぇ」
街の方から聞こえて来る歓声に誘われるように、アルトは職場の窓に目をやった。
「のほほんとしやがって、ちゃんと仕事しろ、仕事を」
アルトの左の席の同僚のトリアーレが、相変わらずシャツの裾を出しただらしない恰好でアルトを小突いた。
「は、はい、すいません」
とアルトが窓から机の上の書類に目を移すや、同僚のエマがどこに行っていたのか、窮屈そうに制服に収まる豊満な胸を揺らしながら、駆け足で事務室に入って来た。
「今、坂を上がってきているって、見に行こうよ!」
ラスタイル教皇の一行が、城に向かってつづら坂を上ってきているらしい。
トリアーレは、バッと立ち上がると、駆け出した。
「え……? 仕事は良いんですか?」
アルトが戸惑って言うと、トリアーレはアルトを振り向いた。
「バカ野郎、教皇を生で拝めるなんて一生に一度あるかないかだぞ、行くしかねえだろ! それに、ほら、うちのデブも」
そう言ってトリアーレが指を差す方向を見ると、恰幅の良い課長のレイモンドがいつの間にか玄関に向かっていた。
「ええ……でも、勤務時間中だし……」
それでもアルトが決めかねていると、
「私が残りますので、どうぞ行って来てください」
と黙々と仕事をしていた体格の良い七三分けのカボスが手を止めずに言ったので、
「よっしゃ、頼んだぜ」
とトリアーレは走り出し、アルトも流されるまま、エマとともに玄関から外に出た。