狙われるアルト
ジョンサムとクロエがアルトの行方を捜している一方で、アルトは繁華街から少し外れた所にある、古い雑貨屋や食料品店が並ぶさびれた商店街に来ていた。
アルトはきょろきょろと周囲を見回しながら、閉店している店の多い商店街を歩き、半ば廃墟と化した大きめの建物を覗き込んだ。
そこには黒髪の青年――オレスの姿。
アルトはここでオレスと待ち合わせていたが、直ぐには建物の中に入らなかった。
なぜなら、そこにいたのはオレスだけではなかったからだ。
白いローブに身を包んだ人物がオレスと対峙していた。
ローブの人物は建物の入口――アルトに背を向けており、しかもフードですっぽりと頭を覆い、風貌は分からない。しかし、微かに聞こえる声から、まだ若い男であることだけが分かった。
「首尾はどうですか?」
ローブの男がオレスに聞くと、オレスは不敵な笑みを浮かべた。
「問題ない、間もなく手掛かりが手に入る」
「それは良かった。我々の目的に一歩近付くわけですね」
「ああ、全ての『鍵』を手に入れ、世界をひっくり返す」
オレスの金色の眼に強い決意が浮かぶ。
ローブの男が微かに頷いた。
「それでこそ、あなたがこの街に来た意味があるというもの。期待していますよ」
そのとき、ローブの男は、建物の外で自分たちの会話を盗み聞くアルトの存在に気付き、わずかに顔を横に向けた。
が、
「彼に手を出さないでくれよ、この街でできた友人なんだ」
とオレスが言ったので、ローブの男は、
「あなたがそう言うなら……分かりました」
と警戒を解き、
「では、また……」
と、建物の奥へと姿を消した。
アルトは戸惑っていた。
見知らぬ人物はいなくなったが、このままオレスの前に出て行って良いのだろうか。今の二人の会話を頭の中で反芻する。「世界をひっくり返す」とは一体どういう意味なのであろうか。オレスは一体何をしようとしているのか。
「おい、アルト、そこにいるんだろう? 早く出て来いよ、もう俺1人だ」
オレスに声を掛けられて、アルトはおずおずと顔を出し、ローブの男の姿がないことを確認してから建物の中に入った。
「今、話していた方は……お友達ですか?」
アルトが聞くと、オレスは笑って答えた。
「まあ、そんなところだ」
そして、手を差し出した。
「すまない、頼んでいた物は持って来てくれたか?」
「あ、はいっ」
アルトは思い出したようにショルダーバックの中に手を入れたが、ふと動きを止め、オレスの足元を見つめながら、おそるおそる聞いた。
「『世界をひっくり返す』って、どういう……ことですか?」
オレスは直ぐに答えず、顔を下に向けたままオレスを見ようとしないアルトの頭を見つめた。
「……その言葉どおりだ、この世界を壊して、新しい世界を作る」
オレスの回答に、アルトは顔を上げてオレスを見ると、オレスは屈託のない笑顔をアルトに向けていた。
「そのための『鍵』を手に入れるには、それが必要なんだ」
オレスは、催促するように差し出した手をアルトに近付けた。
アルトは、ゆっくりとショルダーバックから丸めた紙を出し、オレスに渡した。
「助かる」
オレスはそれを受け取ると、広げて眺めた。それは、ベルディ周辺の古い地図であった。
「その地図で、『鍵』の在りかが分かるんですか?」
アルトは、古地図の上を滑るオレスの視線を観察しながら聞いた。
「ああ、ばっちりだ」
そう言ってオレスは再び古地図を丸めた。
「そうですか……その地図を渡したお礼に、『鍵』が見つかったら僕にも見せてくださいよ」
「いいぜ、覚悟があるならな」
「え……」
「はは、冗談だ、まあいい、とりあえず飯にしようぜ」
「え、あ、はい……あっ、そうだ」
再びアルトはショルダーバックを漁り、今度は細めのサングラスを取り出した。
「これを掛けてください、その瞳の色さえ隠せば、たぶん他の人に気付かれないと思います」
「ああ、サンキュー、助かる。また、昨日みたいな目に遭うのはごめんだからな」
そう言ってオレスはサングラスを受け取ると、2人は廃屋から出て行った。
その後、アルトとオレスは、繁華街から少し外れた所にある小さな食堂で食事をし、アルトはオレスを今晩の宿――黒猫亭まで案内して、2人は別れた。
陽はとうに暮れ、雲の立ち込める空は暗く重い。街灯と、家々の窓から零れる暖かな光を頼りに、アルトは家路を急いだ。
時刻はもう夜の9時を過ぎている。アルトは足早に歩いていたが、早く寝たいというよりは、早く帰って本を読みたいという気持ちの方が強かった。
そんなアルトを、建物の屋根の上から見下ろす1つの影があった。
白いローブに身を包んだ男。先ほど、オレスと話をしていた男だ。
「俺の姿を見られて、放っておくことはできまいよ」
ローブの男はそう呟くと、腕を上げた。と、男の周りに数人の人影が現れる。
「やれ」
そう言ってローブの男が腕を軽く振ると、周囲の人影は音もなく屋根から飛び降りた。
そのとき、アルトが振り返り、屋根の上のローブの男を一瞥した。
――かのように見えた。
「そんなわけがあるものか」
アルトはきょろきょろと辺りを見回している。見られたと思ったのは、気のせいであったようだ。
しかし、そう感じたのは、アルトに不思議な雰囲気があるためだ。それが何なのか、ローブの男には分からなかったが、それゆえ、なおのこと、ここで始末すべきと考えた。
ローブの男は、自分が放った者たちがアルトを取り囲んだのを確認すると、闇に消えた。
翌日、アルトは職場に現れなかった。
勤務し始めてから遅刻もなく休んだこともないアルトの無断欠勤ということもあり、課長のレイモンドがアルトの家まで様子を見にいったが家は留守。
同僚たちは心配し、昨日の今日ということもあって、レイモンドがクロエとジョンサムの所属する第13騎士団に報告すると、2人はただならぬ事態を予想し、オレスの捜索と併せてアルトの捜索もすることとした。
昨晩から引き続き、空は藍鼠色の雲が立ち込め、少し薄暗い。
何となく陰鬱な雰囲気の街を、クロエはつぶさに見て回っていた。
「隊長も不在というときに……」
少し不安なのか、クロエは小さく呟いた。
今、第13騎士団の団長は、首都の騎士団本部に招集され不在であった。それだけでなく、第13騎士団とともにベルディに駐留している第12騎士団は行軍訓練に出ていてベルディから離れており、現在ベルディには、第13騎士団の副団長ジョンサム以下の騎士しかいない状況であった。
この状況で、元・魔王が何かアクションを起こした場合、自分たちだけで街を守り切れるだろうか。
昼前から捜索を始めてもう夕方になるというのに、オレスはおろかアルトすら発見することができない。
クロエには嫌な予感がしていた。
そして、その予感は的中した。
突然、住民の悲鳴が聞こえたかと思うと、堰を切ったようにベルディの街の至る所から悲鳴とともにおぞましい唸り声が響き渡った。
「これは……!」
クロエが辺りを見回すと、目の前の建物を突き破り、体長数メートルはある狼のモンスターが目の前に躍り出た。