元・魔王と元・軍団長
「女……舐めた口を利くなよ」
黒髪の男は、クロエを睨みつけた。
「舐めた口って……それよりあなたは何者ですか。ここで何をしているのですか」
クロエがそう言うと、男は立ち上がった。
「失せろ、失せないのならば……」
男は、背中に背負っている剣の黒い柄を握った。
クロエに緊張が走る。一触即発の状態、と思ったそのとき、
「止めろ」
とアルトが割って入った。
男は、アルトに視線を向けると、狼のような目を見開いて、わなわなと震えだした。
クロエは、戦闘になると思い、1、2歩後ずさり身構えた。
しかし、男が次に取った行動は意外なものであった。
膝まずいたのだ。
「アルトワルス様、お久しゅうございます! この数か月、アルトワルス様にお会いできず、我慢できずに参上してしまいました」
さっきまで狼のように殺気を撒き散らせていた男が、従順な飼犬のようになり、クロエは呆気に取られていた。
アルトは、困ったようにため息をついて、クロエを見て言った。
「こいつはラインフォール。こう見えて、軍団長の1人だ。二つ名は『黒耀』であったか」
「へ……? 軍団長って……軍団長!?」
クロエは驚き、ラインフォールからさらに距離を取った。
オルレウス魔王国の最高戦力である8人の軍団長の1人が、今目の前にいる。湖の水を全て操った白蛇のガネッサ、町を1つ封印した翠牢のキメリアと同じ軍団長だ、きっと恐ろしい事態になるに違いない。
クロエが緊張して、ラインフォールの動きに集中していると、
「……元、でございます」
ラインフォールがアルトに向かって言った。
「なに? 今何と言った」
アルトが聞き直すと、ラインフォールは真顔で答えた。
「軍団長は辞めて来ました」
「は……?」
アルトは目を丸くした。クロエが初めて見る、驚きのあまり言葉を失うアルトの姿。
困惑を隠しきれないまま、アルトは無理やり気を取り直す。
「おいおい、冗談を……言う奴ではなかったな」
「私の望みはアルトワルス様にお仕えすること。そのためならば、軍団長の地位などいりません」
アルトは頭を抱えてため息をついた。
「……分かった、とりあえず中に入ろう、中で話を聞く」
アルトの家の居間で、アルトは大きなソファに身体を預け、クロエとラインフォールはテーブル用の木の椅子に座り、3人向かい合った。
「なんで私がここにいるのか分からないんだけど……」
とクロエは前置きして、
「ラインフォール殿は、本当に軍団長を辞めてきたのですか?」
と聞くと、ラインフォールはクロエを狼のように鋭い目で睨んだ。
「気安く話し掛けるなよ人間。貴様なんぞ――」
「良いから答えろラインフォール」
アルトが言うと、
「はい、確かに辞めて来ました」
とラインフォールは素直に答えた。
「……ということは、昨日、黒の軍団を率いていたのは、お前ではなかったのか?」
「はい、新たな軍団長はスパーダです。今はもう、黒の軍団はスパーダの軍となっております」
「スパーダ……『魔槍』か」
「はい」
ラインフォールは頷いた。
「奴は貴様をライバル視し、軍団長になりたがっていたな」
「……」
初めてラインフォールは返答しなかった。
アルトは1つため息をつき、腕を組みながらラインフォールに問うた。
「それで、貴様は何をしに来たんだ?」
ラインフォールは椅子から降りて、床に正座した。
「先ほども申し上げたように、アルトワルス様にお仕えするためです。どうか、私をアルトワルス様のお側に置いてください!」
ラインフォールは、額を床に擦りつけて土下座した。
「ダメだ、断る」
アルトは、悩むことなくきっぱりと言い切った。
しかし、ラインフォールは諦めない。
「そこをなんとか! 何でもいたしますゆえ!」
「ようやく人間社会になじんできたところだというのに、何が悲しくて魔族と一緒に住まなくてはならんのだ」
「そんなこと言わずに、住まわせてあげるくらい良いんじゃない? 部屋も余っていそうだし」
クロエが見かねて助け舟を出した。
が、ラインフォールは顔を上げると、クロエを睨んだ。
「気安いぞ人間、生意気な」
「ちょっ! 私はあなたを援護したのに……なんて言い草!」
「そもそも貴様はなんだ、なぜアルトワルス様につきまとっている……まさか、アルトワルス様に言い寄ろうとしているのか!」
「ば、バカを言わないでよ! そんなわけないでしょ!」
クロエは慌てて否定した。
「では、貴様の目的は何だ、言ってみろ」
「べ、別に目的なんて……」
ない、と言い掛けてクロエはふと思った。
アルトと自分の関係はなんであろうか。同僚、ではない。騎士と下級官吏では職場も立場も違う。では、ただの知り合いだろうか。しかし、命を助けてもらい、1度試合もしたのに、ただの知り合いというのは何か違う気がする。そう考えると、友人というのが1番しっくりくる。
元・魔王と友人。何か不思議な気もするが、
「アルトとは、友人だと思うけど……」
「貴様、アルトワルス様を、ア、アルトなどと、不敬だぞ!」
クロエがアルトと呼び捨てにしたことにラインフォールは憤慨した。
しかし、アルトがラインフォールを嗜める。
「ラインフォール落ち着け、この町では、俺はアルトと名乗っている」
そうしてアルトがクロエを見ると、クロエはまだ何か言いたげな様子。
「クロエ、まだ何か言いたいことでもあるのか?」
そのときクロエは、アルトとの関係を確認するために記憶を辿りながら、あることを思い出していた。
白蛇のガネッサを、神の使いを、翠牢のキメリアを倒し、1人で魔族の軍団を壊滅させたアルトの強さを。
自身で手を合わせたから分かる。アルトは、クロエが知る中で、最も強い。
「どうした? 言ってみろ」
アルトが促した。
クロエがゆっくりと口を開く。
「私は、別に目的があってアルトと友人でいるわけではないわ。 ……アルトが私のことをどう思っているかは知らないけど。でも、今、アルトにしてほしいことを思いついてしまった……」
アルトは不思議そうな顔をした。
「それは?」
クロエは言うべきかどうか少し迷った。友人に対し、何かを求めるのは違う気がする。だが、クロエには強い思いがあった。その思いが、迷いに勝った。
「アルト、私に稽古をつけて」
いつまでも落ちこぼれと言われ続けるのは嫌だ。強くなりたい。それはクロエの純粋な、強い思い。
アルトは、クロエの思わぬ望みに少し目を開いて驚いてから、口元に笑みを浮かべた。
「ほう……」
ラインフォールが食って掛かる。
「貴様、アルトワルス様に教えを乞おうなど、100年――」
「良いだろう」
「な……!」
アルトがあっさりと了承したので、ラインフォールは言葉を失って茫然とアルトを見つめた。
クロエも、こんな簡単に承諾されるとは思わなかったので戸惑っていたが、少しずつ顔に笑顔が浮かぶ。
「だが、条件がある」
しかし、アルトがそう言ったので、クロエは気を引き締めた。
「条件……何かしら」
「ラインフォール、お前にも関係することだ、よく聞け」
「……はい、何でしょうか」
「3週間やる。ラインフォールがクロエに稽古をつけ、2週間後に俺とクロエで剣の試合を行い、クロエが俺から1本を取れたら、ラインフォールにはここに住むことを許し、クロエには俺とラインフォールで稽古をつけることを約束しよう」
「「な……!」」
クロエとラインフォールは、全く同じ反応を示して戸惑った。
クロエとしては、少し苦手意識が芽生えていたラインフォールに稽古をつけてもらうことに気乗りしなかった。
ラインフォールとしては、アルトワルスの懐刀としてではなく、人間に稽古をつけるために剣を振るうことが嫌だった。
だが、どちらにとっても、挑戦することにリスクはない。
だからもちろん――
「やるわ!」
「やります!」
2人は力を込めて言い切った。




