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元・魔王、財布を落とす

「くそ……なんでだ、どこいった」


 アルトは、いつも通勤に使っている大きなショルダーバックの中を茫然と見ている。


 財布がないのだ。


 アルトは、タルエンで魔動車を乗り換えてサマノエル王国の首都に向かう予定であったが、首都行きの魔動車が出発するまで1時間以上あったので、タルエンの町を散策しようと町に出て、小腹が空いたので名物の野ウサギの串焼きを買うため財布を探したところ、財布がないことに気付いたのである。


 ズボンのポケットなども探しながらアルトは思い出す。家を出るときはあった。ベルディの町で魔動車に乗ったときもあった。


 アルトは、ふと、ショルダーバックの底に糸が解れてできた穴が空いていることに気付いた。

 穴に手を入れて見ると、結構な大きさ。ここから落ちたに違いない。


「くそ、あの店主、何が十年は使える丈夫なカバンだ。人間の癖に魔族よりも悪徳な……」


 アルトはショルダーバックを購入した店の店主のニヤケタ顔を思い出しながら、ショルダーバックの紐を強く握った。


 落としたとすれば、町の中を散策しているときか、又は魔動車の中。

 アルトは魔動車の中で落としたことを願って、まずは魔動車の駅に戻り、受付に座っている30代くらいの、日焼けした肌の親切そうな男の係員に、重々しく声を掛けた。


「……あの、すいません」

「はい、どうしました?」

「実は、財布を落としてしまいまして、ベルディから乗って来た車両の中で落としたかも知れないんです……」

「ああ、それは大変だ。車を確認しますが、お客さんが乗って来た車っていうのは、もしかして40分前に到着した便ですかね?」

「はい、それです」

「それは困ったな……」

「何か問題でも?」

「いや、その車、折り返しでベルディに行っちゃたんですよ。確認をしたくてもベルディに着いてからになっちゃうな……」

「そんな……」


 ベルディの街からここタルエンの町までは約300キロメートル。約5時間掛かった。

 今から5時間と言うと日が暮れてしまう。もしそこで見つかってしまったとしても、タルエンまで運ぶのにまた5時間、おそらく明日になるであろう。


「……すいませんが、よろしくお願いします」


 とりあえず、アルトは今日中にサマノエル王国の首都に到着することを諦めた。当初予定していた30分後の首都行きの便に乗りたくとも、お金がなければ切符が買えない。それに、サマノエル王国の首都でのアルトの用というのは明後日であるので、今日中に首都に着かなくても良かったのだ。


「お客さん、望みは薄いけど、警吏にも届け出るかい?」


 受付の男は心配そうにアルトを見ている。

 アルトは力なく頷くと、受付の男は警吏の家までの地図を書いてアルトに渡してくれた。


「仮に財布が見つかっても届くのは明日になっちまう。今晩どうするつもりだい?」


 アルトは、万が一財布が見つからなければ、魔力を全力で振り絞って、自力で一旦ベルディに帰るしかないとは考えていた。とは言っても、本来のアルトの力ならば300キロメートル程度はひとっ飛びといったところだが、力を封印され、本来の10分の1の力しか出せない今は、馬車と同程度の時間は掛かり、しかも相当の疲労が予想され、あまりやりたくはなかった。


 一方で、仮に財布が見つかった場合は、明日届くまでどこかで一晩を過ごさなければならないが、どこで夜を越すかまでは考えていなかったため、受付の男に聞かれて、アルトは少し考えた。


「……そうですね……ここで一晩寝かせてもらうっていうのは、ダメですかね」


 アルトが申し訳なさそうに言うと、受付の男はビックリしたように、


「とんでもない、そんな野宿だなんて、もし行くところがないなら、うちで1晩泊っていくといい」

「そんな、申し訳ないですよ」

「ああ、いい、いい、気にすんなって、お世辞にも立派とは言えない家だけど、お客さん1人分の布団と食事くらいは用意できるから」


 アルトは、布団よりも食事の方に惹かれた。そう言えば腹が減っている。空腹を意識した瞬間、待ってましたとばかりに、ぐう、と腹の虫が音を立てた。


「決まりだな、俺ももう上がるから。まず一緒に警吏の家に行って、それから俺の家に行こう」


 そう言って、受付の男は笑顔で窓口に「CLOSE」の札を立てた。




 受付の男の名は、ユーリ。妻と娘2人の4人家族であるという。都市間魔動車の受付は、実は本業ではなく、本業は農家であるというが、なぜ受付をしているのかは口を濁して答えてくれなかった。


 アルトはユーリとともに警吏の家に行き、警吏に面倒くさそうな顔をされながら書類に必要事項を記入し、遺失物の届け出をしてからユーリの家に向かった。


 ユーリの家は町の外れにある平屋の一軒家で、家の裏手は広大な耕作地であったが、農作物はほとんど植えられておらず、中途半端に耕作されて放置されているように見えた。


「苗を植える時期はこれからですか?」


 アルトが聞くと、ユーリは「ああ、まあ……」とやはり口を濁す。


 辺りは陽も暮れかけ、ユーリの家の窓から暖かな明かりが漏れ、煙突からは白い煙が立ち昇っていた。

 アルトは何となく、その家の様子に見惚れてしまった。


 石と木で作られた建造物が、まるで生きていて、ユーリとアルトを迎えているかのようだ。魔王国で暮らしていたときはもちろん、2年間世界を放浪したいたときも、家庭というものに触れて来なかったアルトにとっては、感動すら覚えるほどに新鮮な光景であった。


「ただいま」


 ユーリが玄関のドアを開けると、赤い髪をお下げにした6歳くらいの少女が飛び出て来て、ユーリに抱き着いた。


「お父さんお帰り! ねえ、聞いて聞いて、今日ね、メグね……あれ?」


 笑顔でユーリに抱き着くユーリの下の娘――メグが、ユーリの背後のアルトに気付き、キョトンとした顔をアルトに向けた。

 そのメグの背後、ユーリの家の玄関から、今度は紅いセミロングの13、4歳の少女――ユーリの上の娘、マリーが姿を見せた。


「お父さんお帰りー、って、誰?」

「皆、どうしたの? 早く中に入って……あら、お客様?」


 最後に、長い赤い髪を後ろで1つにまとめた女性――ユーリの妻、ミレーヌも玄関の外を覗き込み、見知らぬ客に首を傾げた。

 アルトは恐縮しながら「……どうも」と会釈をした。

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