神の使い撃退
「凄い……相手は植物、燃えてしまえば……」
クロエが激しく燃える神の使いを見て、安心したように呟いた。
「……いや、まだだ」
アルトが言うとおり、神の使いは燃えながら、焦げた身体の部位を再生し、再びアルトを攻撃する態勢を整えようとしていた。
「今の俺の力では、倒すことはできんか……ならばやはり、お帰りいただこう」
アルトは両拳を強く握り、左腕を前に、右腕を後ろに、半身になって構え、
「はあああああっ!」
目にも止まらぬ速度で、両腕で突きを繰り出した。
ラッシュ、ラッシュ、ラッシュ。
クロエにはアルトの腕は消えて見えていたが、神の使いの胴体が歪み、絶え間ない苦痛の雄叫びが上がっていることで、アルトの連打が命中していることが分かった。
連打は止まることなく続き、次第に連打は下から上に向かって軌道を変え、全長約10メートルの神の使いの重い胴体は、連打の勢いによって徐々に宙に浮かんでいく。
そして、根で形成された脚の先が全て床から離れたとき、アルトは跳び上がり、数度横に回転しつつ、後ろ廻し蹴りを放った。
神の使いは吹っ飛ばされ、ついに扉の向こう側にその身体のほとんどが帰った。
そして、わずかにこちら側に残っている身体に向かって、アルトのダメ押し。
右腕に黒い炎を纏い――
「黒炎・烈破」
神の使いを焼きながら吹っ飛ばし、その全身を向こう側に追いやった。
扉の向こうの漆黒の闇の中から響く神の使いの苦痛の雄叫びは、ゆっくりと閉じる石の扉によって徐々に小さくなっていき、扉が閉じると完全に聞こえなくなった。
「さて……動けるか?」
アルトは振り返り、クロエに向かって歩き出した。
クロエは、抜いたままであった剣を鞘に納めると、アルトを警戒した。
光線の直撃を受けて、アルトの上着は半分以上消し飛んでいる。しかし、身体に大きな怪我は見当たらない。ほとんど無傷と言って良い。
理外の強さの魔族。白蛇のガネッサよりも、神の使いよりも、アルトの方が化け物だ。
だが、クロエが最も聞きたかったことは、アルトが何者であるかなどということよりも――
「白蛇のガネッサから助けてくれたのは、あなたね」
アルトは小さく笑みを浮かべた。
「ふ……今さら隠す必要もあるまい、そのとおりだ」
「とりあえず、お礼を言っておくわ、ありがとう」
クロエは近付いて来るアルトに対し、無意識のうちに1歩後ずさった。
「あなたは、何者――」
と聞こうとして、アルトが制止するよう手の平を向けたので、クロエは途中で止めた。
「俺が何者かなど、お前が知る必要はない。平穏に生きたければ、今見たことを胸の内にしまって――」
「ど、どうしようかしら」
今度はクロエが緊張を含んだ声でアルトの忠告を遮った。
「あなたが何者なのか教えてくれれば、今のことは黙っていてあげても良いわよ」
「ほう……」
アルトの顔から笑みが消えた。
アルトは歩く速度を上げて、ズイッとクロエに身体を寄せた。
「俺の力を見て、どうして交渉できると思った? お前を喋れなくすることなど俺にとっては造作もないのだぞ」
「ふ、ふふ……あなたはしないわ。そんな人なら、ガネッサのときも、今も、私を助けていない」
クロエに言われて、アルトは何も言わず感心したような顔でクロエを見た。
「ど、どう……?」
アルトに言い返してみたものの、クロエは自信無さげにアルトに同意を求めた。
その様子が何ともおかしかったので、
「……フ、ハハハハハ」
アルトは腹を抱えて笑ってしまった。
「ハハハハ……ふう……面白い奴だな、良いだろう教えてやろう、俺が何者なのか」
クロエとアルトを探すため、ダンジョン探索部隊隊長のブラスト自ら穴から下層に下り、クロエとアルト見つけたのは、石の扉の前であった。クロエが開けた石の扉は固く閉ざされており、クロエとアルトは、扉は押しても引いてもビクともせず途方に暮れていたと話し、神の使いのことは話さなかった。
岩盤の崩落という事故があり、ダンジョンの探索は当初の目的の階層まで行くことはできなかったが、代わりに未知の石の扉を発見できたため、隊長のブラストは満足していた。
こうして、ダンジョン探索任務は終わり、一行はベルディの街へと帰還した。
ベルディの騎士団の詰所に到着すると、ブラストは直ぐに第13騎士団団長クロムウェルの部屋に向かった。
ブラストはダンジョン探索の成果を話す前に、クロムウェルからの特命――クロエ、アルト、エリックの監視の報告をした。
「クロエとエリックに疑わしい様子はありませんでした。ですが、アルトという事務員は、公になっていないはずの白蛇のガネッサのことを知っており、私としてはまだ注意した方が良いと考えます」
クロムウェルは太い首を動かし、金色の短髪を上下させて頷くと、額から右頬に掛けて傷跡のある顔で、ニヤリと笑った。
「良いぞ、アルトとか言う小僧を追及すれば、何か出て来るかも知れん」
ブラストもつられたように笑みを浮かべた。いつもの人の良さそうな笑みの中に邪な影が浮かぶ。
「もしそうなれば、団長の手柄となりますな」
「よし、じゃあ、次の作戦を考えるか」
とクロムウェルが煙草に火をつけようとしたとき、執務室のドアをノックする音が聞こえ、クロムウェルが入室を許可すると、所々に銀の模様の入ったグレーの制服を着た、長い黒髪で浅黒い肌の眼鏡の女騎士が入って来た。
「失礼します」
「これは、カリーナ統括官」
クロムウェルが咄嗟に立ち上がった。
彼女はスペリアム王国バルト領駐留軍統括官カリーナ。バルト領に駐留する第12騎士団と第13騎士団を統括し、指揮する立場、つまり、騎士団団長のクロムウェルの上官である。
まだ20代でありながら統括官の地位にあるカリーナは、その経歴通り、大変優秀な才女であった。
カリーナは冷ややかな目でクロムウェルを一瞥すると、手元の書類に目を落とした。
「部下のクロエ・カーネストと、エリック・モーデンの疑いは晴れたみたいね」
クロムウェルの目元が一瞬動いた。
カリーナは続ける。
「でも、下級官吏のアルト・エンドはまだ疑っている」
なぜ知っている。
クロムウェルは横目でブラストを見たが、ブラストは小さく首を振った。
クロムウェルは一瞬悩んで、
「……なんの話でしょう?」
ととぼけた。
しかし、カリーナはそれを無視して続ける。
「アルト・エンドの事件当日の行方について、第三者からアルトの話を裏付ける証言があった。それに証拠も。これ以上余計なことをすると、違法捜査で処分するわよ」
「証言……証拠……? 一体どのような」
クロムウェルは思わぬ事態に驚きを隠せなかった。
「気になるなら統括事務所に来て申請なさい。開示を求めるきちんとした理由があるなら書類を閲覧できるわよ。じゃ、私はこれで」
それだけ言うと、カリーナは再びクロムウェルを一瞥して、颯爽と執務室を出て行った。
昼過ぎにベルディの街に戻って来てから、アルトはダンジョン探索の報告書を書き、就業時間の終了時間を30分ほど過ぎてから退勤した。
森の中の石畳の坂道を下り終えたところで、待ち合わせたように馬車がアルトの前で止まった。
「今日は遅かったのね」
馬車から顔を出したのは身なりの良い老婦人――マーガレットであった。
アルトはぶっきらぼうに答えた。
「ちゃんと仕事をしているんでね」
「ええ、ええ、ちゃんと聞いているわよ、真面目にやっているって」
「余計なお世話だ。それより、報告することがある」
「あら、奇遇ね、私もよ」
「じゃあ、そっちから」
「あなた、魔族とのつながりを疑われてたから、私が良いようにしておいたわ」
クロムウェルがアルトに疑いの目を向けていると知り、マーガレットは、亡くなったアルトの親戚は自分の知人で、アルトはそのために間違いなく街を離れたと駐留軍統括事務所で証言した。さらに、途中までアルトを馬車で送迎したとして、馬車の運行履歴も提出した。
「これでまた貸しが1つよ」
そう言ってマーガレットは口元を扇子で隠しながら楽しそうに笑った。
「それで、あなたの報告は?」
「正体がバレた」
「……は?」
マーガレットの笑みが一瞬で消えた。
「クロエという騎士だけだが、やむを得なかった。そうそう、ダンジョンの中で、神の使いと遭遇して撃退した、これで借りを1つ返したことになるだろう」
マーガレットは大きくため息をついた。
「あなた、大事なことをなぜそんな淡々と……」
「神の使いは、ダンジョン探索の報告書には記載されないが、クロエが目撃している」
「あら……? クロエさんは、そんな報告をしていないみたいだけど?」
「いや、それは、俺が誰にも言うなと……あ……」
そこで、アルトは気付いた、クロエを口止めしている。あのバカ真面目なクロエは誰にも話さないだろう。つまり、アルトが神の使いを撃退してベルディの街を救ったことが証明できない。
「うふふ……あなたの借りはそのままということね」
「くそ……人間というのは思いやりというものがあると聞いていたが、どうやら間違いだったようだな」
アルトが苦し紛れに言ったが、マーガレットには通じない。
「合理的、と言ってほしいわね、それじゃあ、ゆっくり休みなさいね」
そう言ってマーガレットの乗った馬車は走って行った。
結局「鍵」は見つからず、しかしクロエには正体がバレて、マーガレットにさらに借りを作った。アルトにとって全く良いところのないダンジョン探索任務であった。
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