『歯触りと湿度』
嗜好品と風景。
6月のとある日。殺風景な部屋の片隅。蛍光灯は消したまま。
薄暗い雰囲気の若い男と、金髪の華奢で若い女は、取り留めもなく会話をしている。
■金髪の女
部屋の主。20歳。
勤め先はBAR。
■パーマの男
客人。22歳。
女の同僚。
―黎和3年6月某日―
―嗜好品と風景。
【モノローグ】(金髪の女)
関東は今日から梅雨入りです、って。
綺麗で、強そうで、可愛くないニュースキャスターのお姉さんは、ビニールみたいに嘘っぽい笑顔で言った。
梅雨でも、いつでも。
雨は、嫌い。
ジクジク、するから。
部屋の角のケージの中の、金色のちっちゃい蛇も、
鬱陶しいって言ってる。
……そういう眼、してた。
―殺風景な一室。主の女は無機質なベッドに腰掛け、外は、雨。
―シャワールームの戸が軋み、男が戻る。
パーマの男:
シャワー、ごちそうさん……。
金髪の女:
ん……。冷房、付ける?
パーマの男:
あ、や……、
―バスタオルの緩慢な吸水。湿気。
パーマの男:
汗冷えると思うから、乾いてから……。
あ、暑い?
金髪の女:
んーん。エアコン、あんまりつけない。
パーマの男:
苦手?
金髪の女:
そ、だね……。得意じゃナイ。
―男は卓上に置かれた紙パックから、ストローで一口。
―烏龍茶。
パーマの男:
Tシャツ、ありがと。洗って返す。
金髪の女:
イイけど。
……サイズ、丁度じゃん
パーマの男:
そーね。……デカくね? だいぶ、
金髪の女:
ダボっと着るから。ボク。
パーマの男:
てかイイな……、このシャツ。プリントの剥げ具合とか、
金髪の女:
適当に選んだヤツだけど……。多分、アメリカ製。
パーマの男:
アツいわー。
あー、また古着見に行こ……。
金髪の女:
「ボギーズ」?
パーマの男:
あ、うん、とかな……。
言ったっけ?
金髪の女:
ヤナから聞いた。
パーマの男:
あーー、そっか。
金髪の女:
よく行くんだって、ヤナも。
パーマの男:
てかアイツ、前働いてたからね。
金髪の女:
え、『ボギーズ』で?
パーマの男:
そー。ソコで初めて会った、んだったと、思う。
金髪の女:
へぇ……、
―窓の外に目をやり。
金髪の女:
あんまり……、会う前の話とか、しないかも。
パーマの男:
ヤナと?
金髪の女:
うん。
パーマの男:
お互い?
金髪の女:
……、そう、だね。訊かれたら言う、ぐらい。
―女も、おもむろに同じ紙パックから一口。含む量は僅か。
金髪の女:
……烏龍茶マズ。
パーマの男:
何茶が好きなん。
金髪の女:
ルイボス。
パーマの男:
あー。ぽいっスわァ。
―男も、もう一口。湿った紙のパックがペコ、と凹む。
パーマの男:
酸っぱいのキライくないっけ、でも。
金髪の女:
柑橘とかがムリなダケ。ルイボスとかは、
パーマの男:
イケんだ。
金髪の女:
うん。
―窓の水滴。虚ろな雨音。
―何とは無しに、二人、眺める。
パーマの男:
明日めっちゃ降るらしーなー。
金髪の女:
梅雨だからね。
パーマの男:
あーー……、
洗濯よ……。
金髪の女:
梅雨だからね。
パーマの男:
俺ら子供のトキはさー。こんなんじゃなくなかったくナイか、
ん?
「なく、無か、ったく」? アレ、
金髪の女:
クフ。なかった、カモね。ドバって降るし。最近。
パーマの男:
な。ゲリラよ
金髪の女:
覚えてない、けどね。あんまり。
子供の時の事、とか。
パーマの男:
……、ふーん。
【モノローグ】(金髪の女)
嘘。
思い出したくない、だけ。
パーマの男:
まあでも……、そう、よな。
【モノローグ】(金髪の女)
全部がもう。真っ黒に、なっちゃったから。
金髪の女:
昨日ってさぁ、
パーマの男:
んー?
金髪の女:
父の日、だったらしーよ。
パーマの男:
……、へー……、
金髪の女:
お客さんに、
パーマの男:
聞いた? 誰。
金髪の女:
摂田さん。
パーマの男:
あーー。
金髪の女:
渡した事ある? 何か。
パーマの男:
ん、俺?
金髪の女:
そ。
パーマの男:
あー……。んー、と、
金髪の女:
答えづらかったら、
パーマの男:
とかでも、ナイけど……。
何つーかあんまし、そーいう環境じゃなかったってか、
金髪の女:
「施設育ち」、とか?
パーマの男:
っ、お……、
―束の間、静寂。
―雨音。水滴。
パーマの男:
聞いた? オーナー、とかから、
金髪の女:
んーん……。そーいうの言わないよね。ミツユさん。
パーマの男:
そー、よな。
金髪の女:
ごめん、勘。
昔、……、友達に、居た、から。
パーマの男:
あー。施設育ち?
金髪の女:
だからなんか、空気で。その子は孤児院、だったらしいけど。
パーマの男:
へー……。
俺は……、まー、ちょい、ややこしーってか……、
金髪の女:
イイよ。そんな、あんまり、
パーマの男:
興味ねーべ。
金髪の女:
ま……、そ、だね。
―不規則な雨音。
―シングルのベッドに腰掛け、女と男は会話を続ける。
パーマの男:
あ、でも何か1回……、親代わり的なその、そこの人に、何人かでプレゼント……、
や、アレは父の日じゃ無かったか、
金髪の女:
いいよ、別に。何となく訊いたダケ。
パーマの男:
うん。
―雨音に連れて、緩やかに湿度が増す。
金髪の女:
あ。グミ……、
パーマの男:
ん、買って来た。プリン味のヤツになったけど、
金髪の女:
イイ。……ありがと。
―ビニールの袋から、グミキャンディのパッケージを取り出し、手渡す。
パーマの男:
なんかなー、あのバナナのヤツはもう、
金髪の女:
無かったでしょ。入れ替わり激しいから、グミって地味に。
パーマの男:
酸っぱい系避けるとな。選択肢少ないよな。
金髪の女:
イイんだけどね。噛めたら、何でも。
パーマの男:
ガムとかはダメなん?
金髪の女:
でも、イイけど。すぐ柔らかくなるから。
パーマの男:
あー。
―ポップなパッケージを開け、グミを咀嚼。
―ケミカルなイエローに八重歯が甘く喰い込む。
金髪の女:
ん……。結構良い。歯触り。
パーマの男:
硬い系のがイイんだ。
金髪の女:
雨の日とか、気圧、変な日とか……、
ジクジク、するから。
パーマの男:
じくじく?
金髪の女:
歯、とか。
【モノローグ】(金髪の女)
心臓、とか。
パーマの男:
虫歯?
金髪の女:
無いし。
パーマの男:
あ、そ。
……あー、でもなんかワカるわ。歯グキ浮く感じってか……、
金髪の女:
そういう時……、
噛んで、誤魔化すの。
硬目の、グミとか……、
【モノローグ】(金髪の女)
人間の、肌、とか。
パーマの男:
……、へえー……。
―どことなく濁ったガラス窓の外は灰色であり、雨は、降り続いている。
―どちらからともなく距離は詰まり。
―投げやりな密着。熱の均一化。
パーマの男:
クーラー……、無くて平気?
金髪の女:
うん。このままがいい。
―視線の交差。沈黙。
―雨。
―雨。
―雨が、降っている。
―【間】
金髪の女:
……、
う、ぁ、……っ、
パーマの男:
……、そーいや、
金髪の女:
ん……、なに、
パーマの男:
送ったコトあるん? 父の日。
金髪の女:
…………、……、
【モノローグ】(金髪の女)
ある、よ。
金髪の女:
無い。
パーマの男:
……、そ。
金髪の女:
『父親』、っていう名前の。
……『家族』、っていう名前の、
ばけものが、いただけだから。
パーマの男:
……、…………、
【モノローグ】(金髪の女)
父親の、顔と形をしてる癖に。
母親の、声と姿をしてる癖に。
こどもに、牙を剥く、汚くて、醜い、ばけものの家。
お兄ちゃんの、顔と、声と、眼を、
してる、癖に……、
パーマの男:
人間て、たまに……、
バケモンに、なるよな。
金髪の女:
……、……、
―雨。
―水滴。
―肌の熱。
金髪の女:
……さぁ。知らない、ケド。
ボクは……、それが、怖くて。
怖く、なって……、
―女の腕に力がこもり。囁きは、耳元。
金髪の女:
今も、逃げて回ってるの。
カッコ悪く、ね。
パーマの男:
…………、
金髪の女:
ウクク、ク。
クフフフ、フ……。
―薄く、細い、出奔者の空虚な笑い。
パーマの男:
そっか、
金髪の女:
谷町、
パーマの男:
ん?
金髪の女:
昨日、肩、噛んで、ごめん。
パーマの男:
ん……、や、別に……。
あ、絆創膏貼るの忘れてた、
金髪の女:
噛んでイイよ。
パーマの男:
っ、え、
金髪の女:
仕返しして、イイよ。
見えないトコだったら、ドコでも。
―昏く、どこか縋るような、眼。
金髪の女:
グミみたいに、柔らかいから……、
血が出るかも、しれないけど。
パーマの男:
……、…………、
―汗。
―湿度。
―眼の熱。水滴。
パーマの男:
……や……、いいわ……。
金髪の女:
……、
【モノローグ】(金髪の女)
コイツの、顔って。
変な顔……。
蛇みたいな、読めない眼。
パーマの男:
グミより、ハイチュウ派だから。
俺。
金髪の女:
…………。
(吹き出し)
ぷっ、
クフ、フ、フフフっ……。
何、ソレぇ。
パーマの男:
や、何だろ……。
あ……、クーラー入れる?
金髪の女:
フ、フ……。いい、デショ。
どうせもっと汗かくし……。
―ニヤ、と、三日月の如き笑み。
金髪の女:
今日も、噛むから。
きっと。
パーマの男:
……、オテヤワラカに。
―雨は止まず。
―緩やかに暗転。
―【終】