『針とハート』
聖バレンタイン・デーのとある刺青スタジオ。
口さがない彫り師と、口の悪い客との、短い会話。
登場人物
■義鉢
「義鉢 まりえ」。
刺青師。両腕、肩口から手首にかけて、様々な柄のタトゥー。
出典:BAR「猫町」/『ビーズ・ニーズ誇り高くも刺す!』、他
■近江
「久慈 近江」。
客。起業家。背中から脇腹にかけて、禍々しい鬼蜘蛛のタトゥー(未完成)。
出典:『餓獣』、BAR「猫町」/『スレッジ・ハンマー未だ眠らず』、他
―黎和4年2月14日―
―西暦2022年、2月。
―とある街。JR「北蜜山」駅より下車4分。とある、タトゥースタジオ。
―両腕総柄の女性刺青師が施術するのは、長身痩躯の上に獰猛な筋肉が乗った、短髪の男性。
義鉢:(ニードルを操りながら)
久慈クンってサぁ。
今日ナンの日か知ってる系のヒト?
近江:
……アぁ?
義鉢:
いやァー。浮足立ってんじゃん、街はサ。
近江:
黙って手ェ動かしやがれ、コラ。
義鉢:
キヒヒ。
実はサぁー、徹夜明けで今コレ、意識トぶ限界なんだよね。
雑談でもしてサぁ、喋ってたらイケるから、
近江:
お前。初回の客でもおんなじコト言いやがんのかァ? おい。
義鉢:
だったら言わんけども。
アタシと久慈クンの仲じゃん。キヒ。
近江:
彫りながら寝やがったら沈めるからな。
義鉢:
そん時はこの鬼蜘蛛も腹んトコぐっちゃぐちゃだけどね。
近江:
…………。
そもそも徹夜明けで仕事してんじゃネぇぞ、コラ。
義鉢:
ンやー、サ、ちょい打ち合わせっつか、デザイナーの子と喋ってたら長引いてェ。
仮眠しよーと思ってたら郵便来たりサ、マジで絶妙に、
近江:
知ったこっちゃねえ。
…………、今日が何の日か、だァ?
義鉢:
あ、付き合ってくれんだ、
近江:
お前がオチて損すんのは俺だからなァ! フザケんじゃネぇぞコラ!
義鉢:
キヒヒヒ。ンで、知ってんの?
近江:
……飲食の経営者がヨぉ。知らねーワキゃネぇだろォが。
義鉢:
つかサ、チョコの店開けたって言ってたよね、去年。
近江:「Doctrine」。葉巻とチョコレートの店だ。
1月末からフェア開催中だよ。
義鉢:
チョコ屋は1番の掻き入れ時だもんねー。
よ、……と、ちょい痛いよ。
近江:
……、ぐ、
―針は脇腹に差し掛かり、男は痛みに耐え、声を抑える。
近江:
……、どうやったって痛ェんなら。ワザワザ言うな、ボケ。
義鉢:
ンや備えとかないとビックンなるからサー。
で客は入ってんの? 開いてから初のバレンタインじゃん。
近江:
……、まずまず、だな。
昼間の……、持ち帰りで、く、
採算はヨぉ、
義鉢:
アレか、よくある1個1個で買える感じの。
近江:
葉巻型チョコと……、
チョコフレーバーの葉巻を、セットにしたヤツが、うグ、そこそこ、
義鉢:
へェーっ、面白いじゃんソレ。
あ、痛いよね、上手いこと流すべし。
近江:
……、誰に、言ってやがんだテメぇ、コラ。
義鉢:
キヒ、優秀優秀。さっすがァ。
近江:
舐めてんな、相変わらず……、
義鉢:
施術中だきゃアタシが王様だかんね。
十何軒も店持ってる半グレ起業家サマだろーと……、ゴリゴリエリートの弁護士サマサマだろーと、
おカタい進学校のセンセーだろーと、
聞くだけでチビる爆金持ちのオジョーサマだろーと、サ。
近江:
来てやがんのか、そんなヤツが、
おォっ……、く、
……十一軒だ、今は。
義鉢:
さー? 守秘義務でェーっす。
ま……、模様入れたいヤツにゃ、色んなのがいるよね。アタシはコドモじゃなきゃ、大概ウェルカムだし。
オカゲでスタジオも無事1年越えやした、と。
近江:
すぐに……、根ェ上げやがるかと、思ってたら。
シブトいじゃネぇか、おい。
義鉢:
キヒ、あんがとー。
よっ、ほいっと。
近江:(痛点に入り)
ぐァバるァっっ!!!
―悶絶。体勢はブレず。
義鉢:
……「ゲバラ」? 革命家?
近江:
……っ、……マジでヤッちまうぞテメぇ、
義鉢:
この背中一面彫り終わってからがイイね、せめて。
近江:
…………、
義鉢:
キッヒヒヒぃ。
―女は寝不足により、些かハイ。
義鉢:
いやァ……、お互い、越えるモン越えて来たーって感じ?
近江:
チョーシこいてやがるバカは、
……、く、スグに死ぬぞ、ボケ。
義鉢:
モチロン、まァーだまだ若造だけどサ、アタシら。
近江:
一緒にしてンじゃネぇ、コラ。
義鉢:
おんなじよーな時期に、ここらでウロチョロし出したんだし。
謂わば同期じゃん、キヒヒ。
近江:
……は。揃いも揃って、碌なヤツが居ねェ。
義鉢:
碌なのは居なくなっちゃったよね、皆。
ミツユっちのトコも……、ま、セノーちゃんは居るケド、
近江:
情婦だろ、ありゃ。ビッコ女の。
義鉢:
ソコは知んねー。
バーテンは総取っ替え。
近江:
あの女は……、人を見る目も無けりゃ、運もネぇ。
俺ァあの男は最初から、いずれ砂かけて逃げやがると睨んでた。
義鉢:
イブやんね。あっからさまに嫌いだったもんねー、キヒヒ。
近江:
一番ハラワタ煮えくり返る人種だ、ありゃ。
義鉢:
1回サ、「Submarine」で飲んでて、久慈クン後から来てサ、イブやん居たから無言で帰った事あったよね。
近江:
……一度や二度じゃネぇんだ、ンな事ァ。
……ゥぐ、おい、雑だぞコラ。
義鉢:
痛いトコなんスわー、この辺。キッヒヒ。
ま……、そーね「猫町」は、今居る3人はソレゾレ、割かし悪くもナイ感じだけどね。なんだかんだ、どの子もマイペースで。
近江:
……いつまで続くか。どーでもイイがヨ。
義鉢:
ケッコー行ってるクセに。
あと……、ラビさんは今「Shrimpy」の、
近江:
店長だ。益々ムカつく女だがヨ、
義鉢:
信頼出来るって言ってたじゃん。
近江:
店回すのはな。
……ソレ以外の生き方は無理だ、ありゃ。
義鉢:
あー、ね。
……、結局さー、
―何とは無しに、手が止まる。
義鉢:
ソレ以外無理、ってヤツしか残んないっぽいよね。周り見てると。
近江:
…………。
―暫し、沈黙。
近江:
ソレが。碌でもネぇって言ってんだ。
義鉢:
キヒヒヒっ。異論無いわー。
―針を拭い、肌の浸出液を拭き取る。
義鉢:
で……、だいぶしてから火積クンが戻って、
近江:(遮り、乾いた声音で)
アイツはもう死ぬ。
義鉢:
…………、
そーね。
―作業再開。硬い肌を針が刻む。
義鉢:
……でもマジで、痛みに強い方だとは思うね、久慈クンは。
近江:
……、く、何だァ、今更。
義鉢:
やっぱし格闘時代の、
近江:
もっと……、前、だな。
親父、に、むちゃくちゃされてたから、ヨぉ、
義鉢:
ンあー。この、根性焼きの跡とか? 今は鬼蜘蛛ちゃんの、脚の関節になってるケド。
近江:
だけじゃネぇがヨ。
痛みなんざに……、イチイチ付き合ってたら、やってらんネぇ。
義鉢:
……、なーるヘソ。
忘れたい思い出?
近江:
好きホーダイしてくれやがったツケを、体に叩き込んでやったからもうイイ。
義鉢:
キヒヒヒ、そんで少年院送り、と。全殺しにしちゃわなくて良かったねーっ。
近江:
どうでもイイが、なァ。殺すつもりでやったからヨ。
義鉢:
何でイったの? 素手?
近江:
……バットだ。
義鉢:
うひェー。フルスイング?
近江:
忘れた。仕上げに顔面凹ましてやったのは覚えてるが。
義鉢:
キヒヒっ。
アガるなァー、バイオレンス。後頭部んとこチリチリってなるね……。
近江:
サドか? テメぇ。趣味と実益か、コラ。
義鉢:
ンや、刺青彫るのはまた別のチャンネルよー。コレ勝手に動いてるかんね、手は。
義鉢:
寝オチしない限り。
近江:
……、マジでやめろよ。
義鉢:
オカゲサマで、眠気の峠は越えた越えた。
今日の分はもーじき、終わるかんねー、……っと、
近江:
……、う、ぐ、
―本日の仕上げにかかり、女の手付きは鋭さを増す。
義鉢:
んでゴロツキエリートの久慈クンはサぁ。
チョコとか貰ったりすんのー?
近江:
……ア?
義鉢:
店のスタッフとか。女子も多いじゃん?
近江:
くだらネぇ。
義鉢:
怖がられてんの? 意外とキサクなんだけどね?
近江:
口に綿詰めてホッチキスで留めるか? コラ。
義鉢:
キヒヒ。
近江:
……、ネぇよ。
俺に渡すか? 甘い菓子をヨ、
義鉢:
目ェかけられたいとかサー。
あんじゃん理由は。
近江:
ズレた点数稼ぎするよーなボケは。ドコの店にも置いちゃいねェ。
義鉢:
ソコで敢えてコッテコテのバレンタインチョコとかサ。
逆に嬉しくナイ?
近江:
嬉しくネぇし。好きでもネぇ。
義鉢:
甘いモン?
近江:
食う事にそもそも興味がネぇ。
義鉢:
言ってんねー。好きなモンとか無いの?
近江:
干し肉。
義鉢:
キヒっ、ナンじゃソラ。
……、うい、あい、あーーい、
義鉢:
オッケ、今日の分終わりーーっ。
近江:
……、(無言で息を吐く)
―女はニードルマシンの電源を落とす。
義鉢:
おし、おつかれチャンでした、と。拭くからちょい、待ってねー。
近江:
……別に急いじゃいねェ。今日の段取りはどの店のリーダーとも、打ち合わせ済みだ。
義鉢:(布巾を見繕いつつ)
本番日は逆にヒマなんだ。経営者っぽー。
あ、あのサー、
近江:
なんだ、コラ。
―女の顔には、稚戯じみた笑み。
義鉢:
チョコ貰えないサビしー背中にサ。
彫ったげよっか。ハートのワンポイント。
近江:
…………。
義鉢:
もち、色はピンクよ。
―男は、本日一番の憮然とした表情。
近江:
とっとと会計して寝ろ。ボケぇ。
義鉢:
キッヒヒヒヒぃっ。
―暗転。
―【終】