74 魅惑の罠
「スミスさん、本当に自分にかまわず逃げて下さい」
背中でジョンがそう言った。
「馬鹿なことを言うな」
スミスだって死にたくない。命が惜しいのではない。ミズキを一人にしてしまうわけにはいかないからだ。
だからと言ってジョンを置いて一人だけ逃げるわけにもいかなかった。
ジョンの父は炭坑の事故で亡くなったスミスの先輩だった。
ジョンの母は、一人息子の無事を鉱山の入口で祈るような思いで待っているだろう。
子を持つ親としてジョンを見捨てることはできなかった。
「2人で必ず無事に帰るんだ」
自分に言い聞かせるようにスミスは言った。
坑内には崩落の不気味な地響きが時折伝わってくる。時間が無い。スミスは足を早めた。
すると、目の前の坑道の天井が落ちた。
坑道の壁面のすランプも壊れ、明かりはスミスが手に持っている小さいランタンだけになった。
引き返えそうとしたが後ろにも道はなかった。
(閉じ込められたか)
「すみません。スミスさんまで巻き添えにしてしまって……」
ジョンが弱気な声で言った。
「まだ、あきらめるな」
「でも、これだけの崩落だとここまで救援にくるには時間がかかります。それまでの間、食料も水も無いままどうするんですか」
ジョンが泣き声になった。
スミスはジョンを背中から下ろすと、崩落した坑道の先に行き、なんとか脱出できないかを調べてみた。
すると突然、壁面が崩れ落ち、その向こうから怪物が顔をのぞかせた。
「ひ、ひいいい。スミスさん、魔物です」
ジョンが引きつった声で叫んだ。
さすがにこれまでと観念した。この状況で、しかも丸腰で魔物に襲われたら助かるすべはない。
だが、魔物の口から出た言葉は意外なものだった。
「お前たち大丈夫か」
「ああ俺は大丈夫だが、この若者は足の骨が折れていて歩けない」
「そうか」
「スミスさん、何、話しているんですか! 相手は魔物ですよ。俺達、食われるんですよ。この崩落事故だってあいつがやったに違いない」
「崩落事故は俺のせいじゃない」
「魔物の言うことなんか信じられるか!」
「ジョン、やつの言う通りだ。この崩落事故は急に地下水が増えたからだ。それにあの魔物はそれを事前に警告するような行動をした。そのお陰で俺達以外の大勢の作業員は逃げることができた」
「分かるのか?」
魔物がスミスに訊いた。
「当たり前だ。だてに現場監督をしてるわけじゃない」
「なら、俺の後についてこい」
そう言うと魔物は出てきた穴に戻ろうとした。
「待て、どうしてだ?」
「何だ?」
「どうして俺達を助ける」
魔物はスミスのことを睨むように見た。そして口を開いた。
「俺も昔は鉱夫だった」
そう言うと自分が掘ったトンネルの中に入った。
「スミスさん、魔物の言うことなんか信用しちゃだめです」
「だが、他に道はない。それに俺達を殺すつもりならいくらでもチャンスはあった」
スミスは、ジョンを背負うと魔物の後をついて魔物が掘った横穴に入った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アレクは【耕うん】を使い崩落した坑道を掘り進み、【索敵】でスミスの居場所を探した。
(いた)
地中の先に反応があった。
(なんだ)
スミスともうひとりの反応を確認したが、そこに赤暗色の点滅が近づいていた。
(魔物か)
アレクは手遅れにならないうちにと先を急いだ。だが、慣れない坑道を耕うんで掘り進むのには時間がかかった。
【索敵】を見ると、こんどは魔物と一緒にスミスたちが移動しているように見えた。しかも出口のあるこちら側に向かっている。
(連れ去られているのか?)
もうすぐ遭遇するはずだった。
(おや)
位置から見るとアレクが進んでいる崩落した坑道と平行している別の坑道にいるようだった。
アレクは坑道を横に掘り進んだ。
しばらくして別の坑道に出た。こちらの方はまだ崩落していないようだった。
(来る)
赤暗色の点滅が近づいてくる。氷結の矢や刃の射程距離にまであと僅かの距離だった。だがすぐ後ろにスミスたちがいるので不用意に撃つことはできない。
「そこまでだ」
アレクは正面に出てきた魔物の前に両手をかざすと威嚇するために、スミスたちにまでには届かない程度に火炎を出した。
青い皮膚の頑丈そうな魔物は、目の前の火炎に対して両手で顔を隠して立ち止まった。
「その人たちを解放しろ。さもないと次は威嚇ではなく、直接当てるぞ」
「その声はアレク?! アレクなのか」
「スミスさん、無事ですか?」
「ああ、無事だ。それからこの魔物は俺達を助けてくれたんだ」
「助けた?」
「崩落を教えてくれた。それに閉じ込められた俺達をここまで救い出してくれた」
「どういうことです?」
「分からない。だが彼も元は鉱夫だったと言っている」
アレクは魔物を見た。
「お前は何者だ?」
「俺は元は人間だ。魔王にこんな身体にされて魔物の姿はしているが、人間の心は失ってはいない」
アレクは手を下ろした。
「ともかく、スミスさんたちは、僕のところに来て下さい」
スミスは魔物の横を通り抜けてアレクのところに来た。
魔物は何も邪魔はしなかった。
この状態になれば、アレクは魔物に何でもすることができた。
「本当なのか?」
「信じられないのなら、それでもいい。それよりもお前は魔物狩りか?」
「料理人だ」
「料理人だと」
魔物は露骨に失望したような声をあげた。
「料理人じゃだめだ」
「何を言っている」
「魔物狩りなら頼みたいことがあった」
「何を頼むつもりだ?」
「俺を殺すことだ」
「!?」
「アレクさまぁ〜」
すると後ろから甘い声が聞こえてきた。
振り向くとシルビアが駆けてくる。手にはランタンを掲げている。
「どうしてここに?」
「アレク様のことが心配で、心配で、追いかけてきてしまいました」
「ここは危険だ」
「承知しております。だからこそ、アレク様の身を案じてまいりました」
アレクは首を振った。このメイドがいったい何を考えているのか分からなかった。魔物がいる坑道にメイドが一人で入ってきていったい何ができるというのだ。
「そうそう、アレク様、これを」
「なんだ?」
「お父上が領地と当主の地位をアレク様に譲られることを正式に認める公文書です」
「そんなものをこんな場所で渡さなくても」
「いいえ、これをお渡しすることが私の使命ですの」
メイドのシルビアはアレクの手に巻いた羊皮で出来た書面を渡そうとした。
アレクが手を出すと、シルビアは巻いた書面ではなく自分の手を出してアレクの手を握りしめた。
「うっ」
アレクは急にめまいがした。
よろめくアレクをシルビアが抱きとめた。
そしてアレクに口づけをした。
「よせ」
力が抜けてゆく。
さらにシルビアはアレクの服の中に手を差し入れて身体をまさぐるようにした。
抵抗しようとするが、身体が動かない。
「ふふふふ」
妖艶にシルビアが笑った。
「な、なんで」
「これでお前は私の虜だ」
勝ち誇ったようにシルビアが言った。
その頭には角が、背中にはコウモリのような翼が見えた。
「ま、まさか、サキュバス……」
シルビアはそんなアレクを見て高らかに笑った。
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