30 サラの神様
サラは満場の拍手を受けて舞台を下りた。
そのまま、アレクと姉がいるテーブルの席についた。
「素晴らしい歌声だったよ」
アレクが感動した顔で言った。
こうしてまた舞台に立てるのはアレクのおかげだった。
あの日、アレクは家に来て、まずリゲインをすりつぶしたものを口にたらして飲ませ、サラがものを噛んで飲み込めるくらいに口を動かせるようになると、凍ったままのバラデロ草をサラに食べさせた。
サラは、半信半疑だった。
(この凍った葉は何なの。これがバラデロ草なの?)
だが、サラはそのまま元気になり、普通に食事もできるようになった。
でも、サラには疑問があった。バラデロ草は売れば一生遊んで暮らせるくらいの金になる。それをどうして自分に使ってくれたのだろうかということだ。当然、相応の見返りを要求しないはずはない。
だが、あれからすでにだいぶ経つが、アレクはまだ何も要求してこなかった。
(おかしい。何か裏があるはずだわ)
姉と二人で雪国から出てきて都会で苦労をして、世の中が甘いものでないことは知っていた。ただの善意で命の危険を犯し、しかも一生遊んで暮らせるようなお宝を人に施す間抜けなどいない。
(きっと、何か恐ろしいことを企んでいるのだわ)
イザベルはのんきにアレクの横で頬を紅潮させて楽しそうに話をしていた。それに最近のイザベルは様子がおかしかった。アレクのこととなると盲目的になり、アレクを信用しているのだ。
「イザベルさん、指名が入りました。12番テーブルです」
「アレク、ごめんね。指名が入っちゃった。ちょっと行って来てもいい?」
「もちろんだよ」
「じゃあ、サラ、あとはよろしくね」
ちょうどいいチャンスだった。二人きりになったこの機会にサラはアレクの本音を訊こうと思った。
姉がいなくなったのを確認すると、サラはアレクの横に座り、耳に口を近づけて周囲には聞こえない声で話しかけた。
「お願い。姉のイザベルにだけは何もしないで。私なら何でも言われた通りにするから」
アレクから訝しげに見られた。何もアレクは言わなかった。
「私は、死んだも同然の状態から、あなたに助けられた。もし体が動けばあのままでいるよりも自分で死を選ぶつもりだった。だから何でも差し出す。娼館に売り飛ばしたいならそれでもいい。でも姉だけは許して。姉はずっと私のために苦労してきたのだから」
「なんのことだ」
否定するのでも交渉に応じるのでもなく、とぼけたふりをするなんて、厄介な相手だと思った。やはり自分だけではだめなのだ。姉も対価として差し出せと言っているのだと思った。
「私なら、本当に何でもするから。だからお願い。姉だけは……」
土下座してでもお願いするしか無かった。
サラはアレクを見た。善人そうな顔をして、キョトンとした表情を浮かべている。こういう仮面をかぶることができる人間が一番危険で凶悪なのだと思った。
(精霊神様。どうかお助け下さい。私はどうなっても構いません。私の命を取ってくださってもいいので、姉だけは、この恐ろしい相手から救って下さい)
サラは故郷のノースバニアで信仰されている世界を司る精霊神に祈るしか他に道は無かった。精霊神は世界が危機に陥り、貧しき善良な民が虐げられて滅びかける時、かならず救世主を遣わし、貧しき民を救うとされていた。
「どうしたの、具合が悪いの」
アレクの横で頭を下げて震えているサラにイザベルが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫。ちょっと疲れただけ」
「アレク、何かあったの?」
「いや別に」
アレクがポーカーフェイスで言った。
「そうだ。サラが疲れているのなら、二人を店外デートの名目で早帰りさせてあげるよ」
「そんな。余計なお金を使わせてしまうわ」
「大丈夫、鹿の燻製肉が今日も高く売れたから」
「じゃあ、お言葉に甘えてもいいかしら」
(違う、姉さん、こいつはきっと腹黒い奴よ。これ以上、借りをつくってはだめ)
心の中でそう叫ぶが、アレクを目の前にしては言えなかった。
そして姉はアレクに甘やかされて本当に嬉しそうにしていた。この先にきっと恐ろしい地獄が待っていることも知らずにだ。
店を早上がりして、前を楽しそうに話しながら歩いている姉とアレクの後をサラは歩いていた。
(もしかしてアレクは姉に気があるの? 姉のことが好きなの? だから私たちに良くしてくれているの?)
サラは心の中で首を振った。
(もし、そうならどうして姉に手をださないの。二人でデートすらしたことがないじゃない)
家の近くまで来たところで、いきなり黒のローブを着た男たちに囲まれた。
中央の男が前に出てきてローブのフードを下ろした。
「デューサイル!」
イザベルが驚きの叫び声をあげた。
「この前はよくもやってくれたな」
「元気そうで何よりだ」
アレクがのんきに言った。
「お前のせいで死にかけたんだぞ。それにこの鼻をみろ、命は助かったが、凍傷で鼻が半分無くなってしまった。治療費にも大金がかかった。このオトシマエどうつけてくれる」
「「「そうだ。そうだ」」」
「なんだ。この前の奴らか」
「お前、料理人のくせに氷結系の魔法が使えるらしいが、今度は前回のようにはいかないぞ」
「先生どうぞ」
紫のローブに杖を持った男に、ヤクザ者たちの視線が集まった。
「魔道士のロンブーゾ様だ。魔法防御と攻撃魔法の両方の使い手だ。既に俺達は氷結魔法の無効化の支援魔法をかけてもらっている。今度は前回のようにはいかないぞ」
サラは恐怖で体が硬直した。
アレクが困ったような顔をして言った。
「あれ、魔法じゃないんだけどな」
「魔法じゃなくて、どうして夏に人を凍結させることができる」
「で、どうするつもりだ。殺すのか」
「いや。お前たちは生かしておく」
突然、サラは両脇から二人の男に腕を掴まれた。
姉を見ると姉も同じように捕まっていた。
「ははははは。チョロイもんだ。女は人質だ。女を返して欲しければ、アレク、またバラデロ草を採ってこい! 今度は俺達にそれをよこせ」
サラはアレクを見たが、アレクは落ち着いた表情でその場から動かない。
「いいのか」
「何が?」
「見つかってしまったようだぞ」
「見つかった? 何に?」
「デューサイル、お前と僕はバラデロ草採取でミツメ火炎ガラスと闘っている。そして連中は仲間を3体殺られた」
「何の話をしている」
「3体だけじゃなかったようだ。それで僕らを探していたみたいだね」
「嘘だろう」
「索敵に引っかかっている。急速に接近している。来るぞ」
そう言うとアレクは、まずイザベルの両脇の男に当身を入れて開放した。そしてサラを掴んでいる相手も一瞬で倒した。
サラたちの手を引いて、建物の陰に隠れるように言った。
するとかん高い怪鳥音が鳴り響いた。
「なんだ」
「うあああああああああああああああああああああ」
男の1人が巨大な黒い鳥に咥えられて空に舞った。
鳥は上空で男を放した。
地面に男は叩きつけられ血反吐を吐いて絶命した。
「クワアア―」
巨大な黒い鳥が鳴いた。
赤い3つの目が光る。
「出たぞ。ミツメ火炎ガラスだ」
ミツメ火炎ガラスは降下してくると口から火炎を吹き出した。
男たちのローブに引火して道路の真ん中で炎に包まれていた。
「先生、あれを退治して下さい。氷結魔法が弱点です」
ロンブーゾという魔道士が詠唱を唱え始めた。
彼の正面に青色の魔法陣が出現する。
だが、魔法が発動する前にロンブーゾの眼球をミツメ火炎ガラスのクチバシが狙う。
「うああああああああああ」
ロンブーゾが飛び退く。
魔法陣は消滅し、伏せているロンブーゾに火炎が襲った。
断末魔が路上に響いた。
「ひ、ひぇー。助けてー」
デューサイルが悲鳴を上げた。
上空を旋回していたミツメ火炎ガラスが降下し口を開いた。
火炎が放射された。
その時、横から飛び込んできた黒い影が、剣で火炎を打ち消した。
「ギルド長」
デューサイルが救われたというようにその男に言った。
「みんな下がってろ。魔物め、ついに町にも出てきたか」
ギルド長は右目に眼帯をしていて、開いている方の左目を猛獣のように光らせ、長剣を両手持ちして構えた。
サラは手に汗を握っていた。横を見るとイザベルはいたが、アレクの姿はなかった。
(アレクは1人だけ、逃げたのかしら)
だが、ギルド長が来れば安心だ。ギルド長はこの町で唯一のAランク冒険者で帝国軍出身の歴戦の勇者だと聞いていた。この危機もギルド長が助けに来てくれればなんとかなるとサラは思った。
ミツメ火炎ガラスが再び火を吹いた。
ギルド長は火炎を長剣で薙ぐが苦しそうだった。
敵は空中にいて、剣の届かない距離から火炎で攻撃してくる。剣を振る風圧で火炎を散らしているが、ギルド長の露出している皮膚の部分が赤くただれてきはじめていた。
息を飲んでギルド長と魔物との戦いを見ていたら、魔物の赤い3目と目が合ってしまった。
(ウソ、どうしよう)
ミツメ火炎ガラスは弱ってきているギルド長に関心を失ったようで、サラたちが隠れている建物の方に飛んできた。
(もう終わりだわ。精霊神様)
サラは思わず祈った。
すると天から声が聞こえて来た。
「大丈夫だ」
見上げると人が浮いていた。
そして向かってくるミツメ火炎ガラスに片手を向けた。
一瞬でミツメ火炎ガラスの黒い大きい羽根が飛び散った。
バランスを失った魔物が落ちてきた。
その人はゆっくりと地上に降りてくる。
そして吹雪が起きた。
初夏なのにノースバニアの真冬のようだった。
魔物は氷結し、氷の彫像のようになった。
さらに氷の槍が飛んできてその彫像の心臓のあたりを貫いた。
赤く光っていた目が漆黒の闇に変わった。
(魔物を殺ったのね……)
その人はまだ中に浮かんでいた。
サラはハッとした。
(あの方こそ、精霊神の使いでは)
サラは精霊神の使いの前に出ると膝をついた。
そして顔を上げた。
声にならない叫び声を上げた。
目の前に浮かんでいるのはアレクだった。
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