29 私のヒーロー(その2)
「あなただったのね」
アレクが微笑んだ。
イザベルはすぐに状況を悟った。
(バラデロ草を採りに行こうとしたけど、諦めて戻って来て、律義に報告しに来たのね)
イザベルは安堵した。それにアレクのそういうバカ正直なところも嫌いではなかった。
「とにかく、無事でよかった」
「うん。一時はちょっとピンチだったけど、なんとか乗り切ったよ」
やっぱり本当に行ったのだ。だが逃げてきてくれてよかったと思った。それに今晩アレクに会えてよかったと思った。
(明日からは娼館に身売りをする身だけど、その前にアレクに一度だけでいいから抱いてもらえないかしら……)
突然、そんなことを考える自分に驚き頬を赤らめた。だが、デューサイルのような奴が客として来て、自分の最初の男になるのは嫌だった。
「どうしたんだい」
「うんうん。なんでもないの。それより今晩はゆっくりしていってね」
「そういうわけにはいかないよ」
「そうなの……」
イザベルはうつむいた。
「だって、妹さんを治さないと」
「治す?」
「決まっているだろ」
「そんなこと無理よ」
「どうして」
「だって……」
「バラデロ草なら大丈夫。完全な状態で保管しているから」
「えっ!」
こんな時に何の冗談を言うのだろうと思った。
「店は何時に終わる? 早帰りはできないかな。もしお店にペナルティを払わなければならないなら、その分は僕が出すよ」
「ちょっと待ってよ。あなた何を言っているの」
「だから、採ってきたんだよ。バラデロ草を」
「嘘でしょ」
「本当だよ」
アレクは当然のような顔をして言った。
「信じられない」
「僕もまだ本当に効果があるかどうか確信が持てないから、早く妹さんのところに行って、試してみようよ」
イザベルはテーブルのキャンドルを上にかざした。
「この店は、お金を払えばホステスを外に連れ出せるの。少し費用がかかるけどいい?」
「ああ」
店を出た後も、イザベルはまだ信じられなかった。アレクに質問したら、火炎を吐く魔物を岩壁で空を飛びながら氷の矢で倒したという話をしてくれたが、それは子供の頃に聞いたおとぎ話よりも空想的で全く現実味がなかった。
(もしかして、アレクは妄想癖のある狂人じゃないわよね)
言っていることがイザベルには理解不能だった。
もうすぐ家に着こうというところで、前方に誰かがいた。
「やれやれ、間に合った」
「デューサイル、あなたがなぜここにいるの」
「もちろん、アレクが持っているバラデロ草をいただくためだよ」
走って来たのか呼吸が乱れていた。
「なんでそれを」
「言ったろ。地獄耳だって。俺から強引に指名を奪った野郎は誰かと見たらアレクじゃないか。その後はお前たちの会話を盗み聞きした。そうしたらバラデロ草を採取したというから俺はすぐに冒険者ギルドに行って裏を取った。すると詳しくはまだ判明しないが、ミツメ火炎ガラスの残骸が見つかったという報告がちょうどギルドに届いていた。それから大変だったよ」
後ろから男たちが何人も来た。
「もし本物のバラデロ草なら一生遊んで暮らせるくらいの金になる」
「だから、仲間を集めて奪いに来たということか」
「そうだ。お前がどんなチートなスキルをもっているか分からないからな」
イザベルは集まってきた男たちを見た。
全部で7人いた。みんな裏社会の人間か、悪い噂のある冒険者たちだった。店の裏の控室に貼ってある要注意人物のブラックリストに載っている者ばかりだ。
「おい、地獄耳、本当にこのクソガキが持っているんだろうな」
「そう聞いた」
「女を口説くためのホラ話じゃないのか」
「そうかもしれないが、奴は金回りがいい。バラデロ草が無ければ、ここでこいつを殺して持金を奪い、女は俺達で回そう」
「そうだな」
「だが、注意しろ、あの魔物が倒されたのは本当のようだ」
「大丈夫だ。俺は鑑定スキル持ちだ。どれどれ」
後から来た男が笑い出した。
「こいつ本当に料理人だよ」
「料理人だといって油断するな。戦闘力はどうだ? 鑑定眼があるならある程度は分かるだろう」
「ひゃっははははは」
鑑定スキル持ちの男が腹を抱えて笑った。
「こいつの力は『?』だとよ。こんなの初めてみたぜ」
「どういうことだ」
「だからゼロ以下ということだ。だってハテナだぜ」
「なんだ。じゃあバラデロ草も持っていないかもしれないな」
「いや、やつの料理人スキルは本物だから薬草を見分けて採取する力はあるのだろう。きっと魔物同士が仲間割れとかして殺し合ったスキに、漁夫の利でバラデロ草を採取したのかもしれない」
「まあ、そんなことはどうでもいい。おい、小僧、死にたくなければバラデロ草と、有り金全部と女を置いてゆけ。そうすれば命だけは見逃してやる」
イザベルはアレクを見た。
するとアレクが困ったような顔をした。
「ねぇ、イザベル。この人たちをどうしよう」
「はあ!?」
体の一番大きなヤクザ者が言った。
「お前は馬鹿か? いまここで女にそれを訊いてどうする」
「コックは所詮、コックでしかない。戦いの場では無能丸出しだな」
男たちが武器を出した。
月明かりに刃物の刃が光った。
「困ったな。人は料理しても食べるわけにはいかないし……」
アレクは本当に迷っているようだった。
イザベルは足元から冷気が上がってくるのを感じた。
(私は恐怖のあまり失神するのかしら)
だが、本当の冷気だった。北国出身のイザベルには分かった。
(どうしてなの。ここは気候が温暖な国でしかも初夏なのに)
「死ね、小僧!」
次の瞬間、アレクは両手を前にかざした。
そして北国の吹雪のような冷気に包まれた。
思わず、イザベルは目を閉じた。
あたりは不気味なほど静かになった。
恐る恐る目を開くと、7人の男たちが真っ白になって倒れていた。
「どうしたの。何があったの」
「うーん。まあ、とりあえず冷凍保存しておいた」
言っていることの意味が分からなかった。
だが、北国育ちのイザベルには倒れている男たちは、真冬に行き倒れになって凍死寸前になっている人と同じだということが分かった。
「さあ、妹さんを治さないと」
アレクは何事も無かったかのように歩き始めた。
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