2 サバイバル
赤い目がアレクのことをじっと見つめていた。
手を伸ばそうとすると、うさぎは逃げて行った。
「あれを食べることができればなぁ……」
だが、アレクにはもう追いかけるだけの体力は残っていなかった。
森の中に入ってから、何日が経過したのかも分からなかった。
もともと所持していた食べ物はいくらもなく、それを食べてしまってからまともな食事をしていない。
空腹に耐えかねて、その辺りに生えている草をそのまま食べたが、口に入れたとたんに舌がしびれ、その後、発熱と嘔吐に何日も悩まされた。
たぶん、毒草だったのだろう。森の中にある植物の何が食べることができ、何を食べてはいけないかの知識はまったくなかった。
ついにアレクは倒れて動けなくなった。
うさぎが去ると、ハイエナが少し離れたところから様子をうかがっていた。死んだら、アレクの肉を食おうと狙っているのだろう。
アレクは目を閉じた。
それにしてもお腹が空いた。
死ぬ前に、せめて何かまともなものを食べたかった。
だが、あたりには腹を下す毒草くらいしかなかった
意識が混濁してきて、手足の感覚がなくなってきた。
(いよいよ死ぬのか。そしてあのハイエナの餌になるのか)
すっかり痩せこけた今の自分は、たいして食べるところもないだろうなと思った。
だが、そんなことはもうどうでもいいことだった。
すると頭の中でピーという音が鳴った。
(なんだ? 死ぬ前には耳鳴りがするものなのか)
頭の中のピーという音が大きくなる。
「餓死寸前というスキル発動の条件をクリアしました」
どこかから声が聞こえた。
(死ぬときは幻聴も聞こえるものなのか)
突然、閉じたまぶたの奥にまばゆい光が輝いた。
(ついにお迎えがきたのか)
「スキル『究極の料理人』をインストールします」
その声とともに光の文字がまぶたの向こうで滝のように流れ落ち始めた。
(な、なんだ。何がおきたんだ)
アレクは思わず身を起して目を開けた。
森の景色の中に流れ落ちる光の文字が重なって見えた。
窓ガラスに落書きをして、その落書き越しに風景をみているような感じだった。
光の文字の流れが止まった。
「スキル『究極の料理人』インストール完了。スキルを起動しますかY/N」
なんのことだか意味が分からなかった。
「起動しますか?」
もう一度訊かれた。
(なんだか分からないが、どうせもう死ぬんだ。どうなろうと大差ない)
アレクは「起動」とつぶやいた。
すると目の前に「おめでとうございます。無事『究極の料理人』のスキルが起動しました。チュートリアルモードを開始します」という光る白い文字が現れた。
そしていくつかの文字が下に浮かんでいた。
一番先頭にある文字は【鑑定】という言葉だった。
(これは何だ)
アレクが【鑑定】に意識を向けると、その下に光の文字で説明文が流れ始めた。
「鑑定はすべての対象物の性質や属性などを鑑定します。これにより、食するに適しているかどうか、またその栄養素などを知り、どのように調理したらいいかも知ることができます」
アレクは試しに「鑑定」とつぶやいてみた。
すると、あたりに生えている草がいろいろな色で光始めた。
アレクはひときわ明るく輝く草をみた。
「リゲイン草。回復効果のある薬草。そのまま生で食べることができる。回復魔法や他の効能が特化した薬草には劣るが、これを食べると体力が回復し、傷の治癒、解毒などまんべんなく効果がある。とりあえずこれさえ食べておけば体は復調して元気になる。ただし、森の奥に生息しており発見は困難。また、見た目、匂い、味、食感すべてがリゲロという食べると3日3晩下痢と嘔吐を続ける毒草と酷似している。鑑定眼がないとリゲロとは判別できない」
アレクは試しにリゲイン草を口に含んだ。この味と匂いには覚えがあった。嘔吐と下痢で苦しんだあの雑草と同じだ。あまりの苦しさに、その味と匂いは覚えていた。
あれはリゲロだったのだろうか。
どうせ死ぬのだからリゲロでもリゲインでも同じだと思い咀嚼して飲み込んだ。
その一握りの草を噛み飲み込むだけが最後の力だった。
衰弱している体はそれを消化するだけの力もなく、このまま朽ち果ててゆく、はずだった。
だが、数分すると胃の辺りが何だか熱くなってきた。
それは不快なものではなかった。
前にリゲロと思われる草を食べた時は、数分後に胃の当たりに違和感が発生し、それから嘔吐と下痢で地獄のような苦しみを味わった。だが今回はそれとは違う感覚だ。
胃を中心に体がぽかぽかしてきた。そして少しずつ力が蘇ってきた。
(まさか、鑑定のとおりなのか。このリゲインという草を食べれば、体力が回復するのか?)
アレクはまわりを見回した。
リゲインはアレクを誘うようにピンク色に輝き他の草から簡単に識別できるようになっていた。
アレクは、回りにあるリゲインを片っ端から摘むと、口の中に放り入れた。
体がリゲインを取り込むほどに力が内から沸いてきた。
アレクは二の腕をみた。
それは猛獣に噛まれた傷だ。
傷は化膿して、それが原因で発熱した。リゲロと並んでアレクの体力を奪い餓死寸前に追い込んだ元凶と言ってもいい。
その化膿していた傷が綺麗になっていた。まだ傷跡はあったが、腐りかけていた傷口が治っていた。
(これもリゲインの効果なのか)
アレクは、さらにリゲインを食べた。
まるで生まれ変わったように力が満ちてくる。
(喉が乾いたな。でも近くには泉も川もないし、どうしよう)
すると、水が地面にしたたり落ちた。
(えー、何が起きた)
自分の右手の掌から水が流れ落ちていた。
その手を口にもってゆき、水を飲んだ。
(うまい。冷たくて、透き通った味だ。こんな良質の水は王都に献上された品でないとめったに飲めない)
アレクが水に止まれと念じると、水は止まった。
(水を自在に操れるのか?)
魔導士なら、水系の魔法を使い、水を出現させることができる。けれど、それには魔法のスキルを持ち、さらに詠唱を唱えなくてはならない。
魔法のスキルもなく、詠唱も唱えず、しかも良質の水を出せるなんて聞いたことがなかった。
(他にも何かできるのか)
するとまた光る文字が目の前に現れた。
『究極の料理人のスキル』という文字の下に項目が連なっている。
鑑定は既に試した。
その鑑定の下に、【食材調達】とあり、食材調達を念じると光のウインドウが開き、そのウインドウの一番上には【狩り】という文字が輝いていた。
その【狩り】に意識を向けるとまたもう一枚ウィンドウが開いた。
そこには【索敵】【追跡】【捕獲】【捕殺】とあった。
試しに索敵をしてみた。
すると、正面に透明な窓のようなものが広がり、そこに赤や青の色とりどりの点が点滅していた。
(赤い点は何かな)
すると赤い点からウインドウが開き、うさぎの映像が出た。
「鑑定」と叫んでみた。
「ワイルドラビット。動きはすばしっこいが防禦力は極めて弱く、攻撃力はゼロ。肉は美味。煮てよし、焼いてよし。ただし血抜きはきちんとすること。生食は不可」
空腹で腹が鳴った。リゲイン草で何とか体力は戻ってきたが、空腹感は満たされていない。
(よし、狩るか)
アレクは【追跡】を意識した。
すると足が軽くなったような気がした。前方に点滅する赤い点に向かって駆け出した。
(すごい。本当に自分か)
今までにない速度と敏捷さでアレクは駆けていた。
ワイルドラビットが見えてきた。
アレクはナイフを抜いた。
【捕殺】を発動させた。
念じるか、言葉を叫べばスキルが発動することは経験済みなので、今度はスムーズにスキルの発動をすることができた。
自分の体が勝手に右側から手を伸ばして捕まえるようなフェイントをかけて、素早く左側に飛んだ。
そして左に逃げようとしたラビットの首にナイフを一閃させた。
ラビットは駆けていた勢いのまま、草むらに投げ入れられたようにして崩れ落ちた。
アレクは【狩り】の窓を閉じた。
すると狩りの下に【解体】という文字があった。今度はそれを念じた。
ナイフを持った手が自動的に動き始めて自分でも驚くほどの手さばきで皮をはぎ、血抜きをし、内臓を取り出し、肉を切り分けていた。
解体し終わった肉を前にしてアレクは思案した。
(さて、どうしよう。さすがに生のままでは不味いだろう)
さっきの鑑定では生食は不可とあった。
ここまではよかったが火がないと肉を焼くことができない。
(どうやって火を起こせばよいのだろう)
アレクは火打石など火を起こす道具を持っていなかった。
(まてよ、水を出せたということは、もしかして火も出せるのではないか。火と水は調理には必須のものだから)
アレクは試しに地面に掌を向けた。
そして火をイメージした。
すると火炎がアレクの手から発して、地面の草が燃え始めた。
「うわああ」
思ったより大きな火だったので驚いて声を出してしまった。
水だけでなく火も無詠唱の火炎魔法のように出せることがわかった。
アレクはあたりに落ちてる枝を拾い集めると、その中心に火炎を放ち、焚き火をした。
そして、火の周りに解体したうさぎの肉を木の串に刺して並べた。時折、火炎を手から出して火加減を調整した。
(もうそろそろ食べ頃かな)
アレクは焼けた肉に塩をふりかけると、串刺しにした肉に口にかぶりついた。
「うまい」
肉は柔らかくてジューシーで噛むと中から肉汁が溢れ出てきた。こんなご馳走は追放されて以来初めてだった。いやこんな美味しい肉料理を食べるのは生まれて初めてだ。
アレクは公爵家の長男だった。出される肉料理はいつも冷え切って油が白く固まっていた。
貴族で、しかも領主なので、食事は専門の毒見役が先に同じものを食べてしばらく様子を見てから出される。だから料理はいつもすっかり冷めてしまっていた。
それに公爵が食卓について食べ始めるまで、アレクたちは料理に手をつけることは許されなかった。
さっきまで走っていた動物の肉をその場で捌き、口が火傷しそうなほど熱い焼きたての肉を食べるなんてことはなかった。
(この肉の旨さはいったいなんなんだ。肉汁とともに肉の油が熱々で滴り落ちる。口の中や唇をやけどしていいからかぶりつきたくなる)
アレクは焼肉を一気にすべてたいらげた。
食べ終わると自分の手から水を出して飲んだ。
久々に満腹感が押し寄せてきた。
アレクは焚き火の横に体を横たえた。
ちょっとだけ食休みをするつもりがそのまま寝てしまった。
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