20 月夜
「この鹿の燻製肉はいくらになる」
「試食してみてもいいかい」
「ああ」
店主はナイフで鹿肉の塊の隅をナイフで削いだ。
肉片を口に放り込むと、味わうようによく噛んだ。
「こいつは上等だ。しっとりとしていてなんとも言えない味わいだ。どうしたらこんな燻製肉を作ることができる?」
「それは商売上の秘密だ。それより幾らで買ってくれる」
店主が提示した額は予想を超える十分すぎる金額だった。
「よし、売った」
「取引成立だ」
アレクは金を手にすると店を出た。
(これだけあれば、もう少しこの町に滞在してあの店に行ける)
アレクは『青い百合』にすっかりハマってしまっていた。北の国から来て、この国内を転々として働いてきたというイザベルは、この国のことを何でも知っていた。各地の名産、名所、人々の生活、訊けば何でも答えてくれた。それにアレクはショーの歌と踊りも気に入っていた。
そこで、資金を作ろうと、これまで携行食として食物を何日でも鮮度を保って保存できる魔法の収納袋のような【食料庫】に入れていた燻製肉をバザールの商人に売ったところ、よい値段で売れたのだ。
「旦那いらっしゃい」
常連になったアレクをアオ百合のボーイが見つけると店内に案内した。
「ご指名は?」
「イザベルさんで」
「まいど、ありがとうございます」
ボーイが頭を下げた。
「アレク、今日もありがとう」
イザベルが笑みを浮かべてアレクの隣に座った。
乾杯をするとアレクはイザベルにさっそく海のことを訊いた。
「イザベルは海を見たことはあるのかい」
「ええ、この国に来て、すぐに行ってみたわ」
「どんなだった?」
「海がどんなって言ってもねぇ……。アレクは行ったことはないの?」
「ああ」
「話を聞くより自分の目で見るのが一番よ」
「どこに行ったらいい?」
「美しい海岸がある町と言えば……。カナルかな」
「カナル」
アレクはその名前を忘れまいと復唱した。
「カナルは港町で、沿岸部では一番栄えている町よ。町の建物も塀もすべて白色にするのが決まりで、コバルトブルーの海と空の間に白い建物の町があるのはとても綺麗なの」
アレクはそのカナルの町に早く行ってみたくなった。
「ここからどれくらい離れている?」
「男の人の足なら1週間もかからないわ」
「そうか」
「カナルに行くの?」
「ああ」
「じゃあ、もうお別れなの?」
「すまない」
「いいのよ、ここは国境の町だから、出会いと別れは日常よ。でも短い時間だったけど、アレクは素敵なお客様だったわ。アレクのような素敵なお客様に来ていただいて、私は幸せ者よ」
「いろいろこの国のことを教えてくれてありがとう」
「そんなこと。いいのよ。それより今夜はゆっくりしていってね」
「ああ」
アレクは延長して閉店まで店にいた。
帰りはイザベルが店の外まで送ってくれた。
「アレク! 頑張ってね。ありがとう!」
イザベルが手を振って言った。
アレクは歩き始めた。だが数歩歩くとなんだか気分が悪くなってきた。最後の夜だからとイザベルに勧められて飲み慣れていない酒を何杯も飲んだ。その時はなんともなかったが、こうして歩き始めたら急に胸のあたりがムカムカしてきた。
アレクは脇道にそれると排水溝がある場所に行き、そこで胃の中のものを全部吐いた。すべて吐くと気分が楽になった。
空を見上げると月が出ていた。
あたりを青白く月の光が照らし出していた。
(月ってこんなに綺麗だったのか。少しこの辺で月でも見ながら休んで、それから宿に帰るか)
アレクは草むらに横たわった。
すると男女が言い争う声が聞こえてきた。
「最近、俺を無視してなんだよ」
「無視って何よ」
「あの若い新しい客のところばかりに付いて」
「本指名なんだから当然でしょ」
「俺がいったいお前にいくら金を使ったと思う」
「そんなこと言われても……」
イザベルの声だった。アレクは身を起こした。イザベルと男性が路地裏にいた。
「お前は俺のものだ」
「よしてよ」
「そこまで言うのなら俺にも考えがある。さあ、こい」
男が懐から何かを取り出した。月明かりに刃が光った。
イザベルが悲鳴を上げた。
「おとなしくしろ」
アレクは飛び出した。そして、二人の間に割って入った。
「貴様」
「やめろ」
「お前か。お前が俺からイザベルを奪ったんだ」
男が刃物を突き出してきた。だがそれは素人の攻撃だった。単純で遅い。しかも激情にかられていて何も考えずに突き出した刃だった。
アレクはあえてギリギリで刃をかわすと、男の体に密着し、そのまま崩して足元に倒した。
刃物を持った手を踏みつぶした。
真っ直ぐに自分の体重を落とすようにして、真下にいる男の鼻の下の急所に拳を落とした。
「ぐええぇぇぇえぇ」
刃物を遠くに蹴り飛ばした。
男は立ち上がれないでいる。
「さあ、このすきに逃げろ」
アレクはイザベルを手招きして駆け出した。
数十メートル先で行く手を拒まれた。
「なんだ!」
アレクは飛びのいた。
パチパチパチと拍手する音が響いた。
「お見事でした。白馬の騎士どの」
新手の男がおどけた様子で言った。
(何者だ? 気配が全くしなかった。こいつはさっきのやつとは比べ物にならないほど強い)
「大事な商品を傷つけられては困るので、助けようとしたら、素敵な王子様がいたんですね」
「お前は誰だ」
「ディリンクと言います。娼館のオーナーです」
「それが何でここにいる」
「嬢を迎えに来たのですよ」
「嬢?」
アレクはイザベルを見た。
「でも、まあ今日のところはお取り込み中のようなので、明日にしましょう。ではまた」
そう言うとディリンクは消えた。
後ろから「うーん」という唸り声がした。さっきアレクがのした男が起き上がろうとしているようだった。
「ともかく、ここを離れよう」
アレクはイザベルの手を引いた。
「ここよ」
イザベルがドアを指差した。
結局、アレクはイザベルを家まで送ることにしたのだ。
「じゃあ」
いろいろ訊いてみたいことはあったが、あまり他人の生活に立ち入るのもよくない。アレクは無事に家まで送ったので立ち去ろうとした。
「待って」
アレクは上着の裾を掴まれた。
「よかったら、部屋に上がって一杯飲んでゆかない。助けてくれた御礼よ」
アレクは黙って立ち去ろうとした。
「行かないで……。こわいの」
アレクはイザベルの部屋にあがった。
あけましておめでとうございます。新年初投稿です。今年もよろしくお願いします。
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