143 出撃前夜(ソフィアとの夜)
「諸君、乾杯だ」
アメリア共和国大統領が杯を持ち上げた。
「「「「「乾杯」」」」」
「諸君らの武運を祈っている。出撃前に、ささやかだが宴を用意させてもらった」
「こんなご馳走、初めてです」
アレクの隣に座っている魔道士が震えながら言った。
唯一生き残っている魔法で天空の魔王城まで飛べる魔道士だ。
まだ若い女性だった。名前は聞いていなかった。
「君の名前は?」
「トリエスといいます」
「若いのに難しい飛行魔法が使えてすごいね」
「西の国の高等魔法院で魔法の研究をしていたんです」
「そうか」
「あのう……、こんなご馳走を振る舞われるなんて、私達生きて帰ることができないんですね」
トリエスは涙目になった。
「いきなり何を言い出すんだ」
「だって死刑囚は、死刑を執行される前に好きなご馳走を食べることができるんでしょ。これはそれと同じなんですよね」
ついにトリエスは泣き出した。
「トリエスさん、実戦経験は?」
「ありません。ずっと魔法の研究をしていました」
「それなら、出陣を前に不安になるのはしかたないことだよ」
「でも……」
「知っての通り今回のパーティには3人死刑囚が混ざっているけど、その3人はここにいないだろう。別に死ぬからご馳走を出されているわけじゃないよ」
勇者とソフィアとメイベルとトリエスとアレクの5人だけが大統領と会食をしていた。
「ほんとですね」
「だから、気にすることはないよ」
「案ずることはない」
テーブルの反対側でアレクとトリエスの会話を聞いていた勇者エドワードが言った。
「トリエスは、私を天空の魔王城に運ぶための専属魔道士だ。常にこの私と行動することになる。勇者である私がついているから何も心配はない」
エドワードは自信満々という顔をしていた。
メインデッシュのステーキを平らげると、デザートの氷菓子とお茶になった。
翌日に魔王城での決戦が控えているので、アルコールは乾杯の時だけで、メイベルもエドワードもそれ以上は酒には手をつけることはなかった。アレクは乾杯の時にグラスに口をつけただけで、ほとんど飲んでいなかった。
晩餐が終わると各自、部屋に戻った。
勇者パーティのためにアメリア共和国の首都で一番のホテルが貸し切りになっていて、アレクはホテルの最上階の豪華な部屋が割当られていた。
アレクの部屋の中には、さらにいくつも部屋があり、メインのベッドルームには巨大なサイズのベッドがあった。応接間の他にゲストルームまでついていた。
(ここで余裕で暮らせるな)
アレクは部屋を見回して思った。
これまで利用していた安宿とは雲泥の差だった。
するとドアが遠慮がちに叩かれた。
(こんな時間に誰だろう)
アレクはドアの向こうを【索敵】した。
(ソフィア?! 何の用だ?)
とりあえずドアを開けた。
「入ってもいい?」
「うん」
ソフィアは部屋に入るとチラリとドアの開いているベッドルームに目をやったが、まっすぐに応接間に入ると長椅子に腰掛けた。
アレクもその横に座った。
「どうしたの?」
「アレクがブリング公爵家から追い出されてから、ずっと2人きりでちゃんと話をする機会がなかったから……」
「だから話をしにきたのかい」
「ええ」
そう言ったにもかかわらず、そのあとソフィアは黙ってしまった。
なんとなく沈黙が気まずいのでアレクは口を開いた。
「こうして2人でいるのは子供の時以来だね」
子供の頃、ソフィアの父である男爵はよくソフィアを連れてブリング公爵家を訪ねてきていた。父親同士が話をしている間、アレクとソフィアは、屋敷の外に抜け出して草原でよく一緒に遊んだことを思い出した。
「ねぇ、草原で一緒に遊んだことを覚えている?」
「もちろんよ。アレクは私に野の花を摘んでプレゼントしてくれたわね」
そんなこともあったなあとアレクは思った。
「ねぇ、アレク、あの日の約束を覚えている?」
(あの日の約束……)
正直に言えば覚えていなかった。
(何か約束したっけ)
「花束を私にくれる時に、私がこれを貰うってことは『私がアレクのお嫁さんになるってこと?』って訊いたら、アレクは『うん』と言ったじゃない。だから私は『約束よ』ってアレクに言ったことよ」
そう言えば、そういうこともあったが、ごっこ遊びのつもりだった。
ちょうどその1週間前に親族の結婚式があった。アレクはその式に列席して花嫁が花束をもらい祝福されている姿を見ていた。その真似事のごっこ遊びをしていたつもりだった。
そもそも当時のアレクはまだ7歳で婚約の意味など分かっていなかった。
「思い出した」
「だから、アレクが追放された後、アレクのことを追いかけて冒険者になったの。私1人じゃ、暗黒の森に入ったアレクのことを追うことはできないから……」
どうしてソフィアが実家を出て、冒険者をしていたのか、アレクは初めて知った。自分を追いかけて来たのだ。
「アレク……」
ソフィアが突然抱きついてきた。そしてアレクの胸に顔を埋めて泣き始めた。
「ずっとアレクのことが好きだった。でも、明日の魔王城での戦いではどうなるか分からないから……。だからアレクの気持ちを確かめたかったの」
(どうしよう……)
アレクはソフィアのことはもちろん好きだった。幼馴染としてはだ。あのまま、何もなければ、周囲の勧めに従い結婚していただろう。
だが、ブリング公爵家を追放されて、新たな人生を歩み始めたアレクにとって、ソフィアは公爵家に置いてきた過去の自分の一部であるとも言えた。
アレクはソフィアを見た。
冒険者としてさまざまな経験を積み、勇者パーティの聖女となるまでに成長したソフィアは、一方で子供の頃に草原で遊んだ少女とは別の存在にもなっていた。
アレクは自分の気持ちを整理しきれないでいた。
ソフィアが、そんな戸惑っているアレクを下から見上げた。
「ごめんなさい。明日は魔王との戦いで、こんなことを言っている場合じゃないのに……」
ソフィアが涙を手の甲で拭った。
「ソフィア……」
「わがままを言って、困らせてごめんなさい」
か細いソフィアの肩を思わずアレクは抱きしめようとしたが、その前にソフィアが立ち上がった。
「もう遅いから、部屋に戻るわね」
アレクはドアまでソフィアを送った。
「アレク、死なないで」
「もちろんだ」
「もし生きて帰ってこれたら、この話の続きをしてもいい?」
「ああ」
「よかった……」
そう言い残してソフィアは部屋を出ていった。
さっき抱きついてきたソフィアの肌ぬくもりがまだ体にしみついていた。
もしソフィアが立ち上がるタイミングがもう少し遅れていて、ソフィアを抱きしめていたらどうなっていたのだろうと思った。
(そうしたら……)
アレクはそんな感情を振り払った。
(明日は魔王との対決だ。私情におぼれている場合ではない)
アレクは深いため息をつくとベッドに潜った。
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