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英雄の影  作者: 白石小梅
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『その目と髪……綺麗な黒だな。肌の色も、この辺じゃ見かけない』

 男が酒場に来たのは、一年前。若いくせに無精ひげを生やし、帝国民らしく肌も瞳も薄い色。よれたコートに大剣を帯びた、振舞いの軽い手合い。

『みんな、綺麗だって言ってくれるわ。驕ってくれるなら、もう少し見せてあげよっか?』

 褐色の肌のソーリャは、異邦人だとすぐわかる。きつく締めたコルセットで胸の谷間を強調して、隣の席から擦り寄った。

 自分の美を、疑う気はない。つんと尖った目にぷっくりした唇。きゅっと上がった尻。垂れる蜜のような胸。手足は長く、骨格は細い。生意気な強さと、軽く折れそうな華奢さの同居した姿。

 だが男たちの視線はいつだって、珍しいモノを観賞する時のそれ。あわよくば所有して、侍らせたい対象だ。

『トーム・ルシードだ。よろしく、おねーさん。是非ご鑑賞したい、が……実は西区に来たばかりで仕事を探してる。ここは酒場だろ? なんかないかな』

『その剣はお飾りなの? てっきり、魔物退治屋さんかと思ったけど』

『東区で同業とちょいと揉めちまって……ソイツを廃業したとこさ。で、こっちで、仕事を始めたいってワケ。ご存じない?』

『ちょうど良かった。マスターが、腕の立つ人を探してるの。皆、お給金がいいって兵隊になっちゃって……』

 それが、出会い。

 男は酒場に通い始め、その隣に座るのが日課になった。

 仲が深まったのは、半年後。

 買い出しの最中、兵隊に呼び止められた時だ。

『おい、そこの異邦女。荷物を見せろ』

 いつものことだ。そんな風に壁に押し付けられて体を弄られるのは。行き交う人々は眉を寄せて囁き、自分は禍が過ぎ去るのをただ待つだけ。もう、慣れた。

『おい。女の身体に勝手に触るもんじゃねえ』

 だが彼だけはそう言って、兵隊の肩を掴んだ。恐らく自分が殴られることで、こちらを庇う腹だったのだろう。

 兵隊たちが彼に唾棄して離れた後、ソーリャは下宿で痣の手当てをした。

 初めて抱き合ったのは、その晩だ。

『聞かないの? あたしが何処から流れて来たのか、とか』

『野暮はしないさ。誰にだって、ワケがある。……だろ?』

 互いにすぐ、のめり込んだ。

 仕事帰りの彼と酒場で会っては夜更けに愛を交わす日々。

 そんな生活が壊れたのは、一昨日のこと。

 出勤が遅れて店に入ると、一人の女がテーブルを叩いていた。

『やっと見つけたわよ……! 東区から逃げ出して、こんなところで飲んだくれてたのね!』

 ダブルのジャケットにブーツを纏い、魔導銃を腰に佩いた銃士。銀色の髪の、美しい娘だった。

『やめろよ。俺はもう、前の職場は辞めたんだ』

『仲間の信頼を、全て投げ出すって言うの?』

『俺は死んだ親父の伝手で、担ぎ上げられただけだ。柄じゃねえんだよ。後は、お前に任せたわ……』

『どう逃げ隠れしようってのよ! 私に見付けられておきながら!』

 ソーリャはさっと男の手を取った。

『この人、誰?』

 男は口ごもり、女は目を丸くした。

『信じらんない……! どこまで無責任なの? お姉さん、コイツと付き合うのだけは、お勧めしないから!』

『いいから、帰ってくれ……俺は、下りるよ』

 逆上して出ていった女を、男は眉間にしわを寄せて眺めていた。

 その夜、下宿で切り出されたのが……。

(「俺には、君を愛する資格なんてない……か。帝国への抵抗組織の筆頭だものね」)

 男の背負う宿命ワケを呑み込み、ソーリャは路地裏に飛び出した。

『……市街には、外出禁止令が出ております。許可のない外出は、治安維持部隊による拘束の対象と……』

 響き渡るこの声も、部屋の隅で幾度も聞いた。だが今は響く銃声を見失わず、回り込まなければ。

 石壁の迷路を駆け抜けて、大通りに繋がる細路地まで来ると、さっと親指の指輪に触れる。

「通りへの格子戸よ……鍵は?」


――右脇の植木鉢の下だ。さあ、彼らが来るぞ。この通信を、気取られるなよ――


 答える暇はない。鍵を取って格子戸を開け放つと、大通りに見慣れた男と先日の女の姿があった。背後に、無数の灯りが迫っている。

「二人とも! こっちに来て!」

「ソーリャ? 君が、どうしてここに……!」

 二人を路地裏に招き入れると、急いで格子戸に鍵を掛ける。

「一昨日の酒場のお姉さん? まさかアンタ、お姉さんを巻き込んだの?」

「違うわ。彼は何も言わずに、別れようって言ってくれた。あたしが勝手に来たの……えっと」

「ユーリエよ。ソーリャさん……よね? 私たちと行動するのが、どういうことかわかってる?」

 さっと身を隠すと、兵隊たちが奥の路地を見当違いの方向へ走っていく。それを見送ると、ソーリャは女に向き直った。

「わかってる。あたしはこの人と一緒に、どこか……別の街へ行くわ。だからもう、この人を闘いに巻き込まないで。代わりにユーリエさんも、案内する。街の外に逃がしてくれる人を知ってるの」

「おい、ソーリャ! 君は……こんな馬鹿なことに関わらなくていい」

 男が言うのを遮るように、女は前に出る。その目には、強い意志と決意が満ちていた。

「皇帝は、覇権を握る妄想に憑かれてる。抗うしかないのよ。征服戦争は始まってる。貴女の故郷も、もうないのでしょ?」

「ええ。あたしには……何もなかった。でも今は、違う。あなたも女なら、わかるでしょ? 留まっても、あたしには何も残らないの」

 女は、唇を噛む。迷う男に闘争を求めることはできても、ささやかな幸せを望む女に強要は出来ない。一瞬の沈黙が、彼女の信念と感情を物語る。

(「優しくて、強いのね。高潔な人……『英雄』に、相応しい女」)

 ソーリャは二人の間にわざと割り込み、男の手を握った。ちらりと女と絡んだ視線に、僅かな嫉妬と羨望を込めて。

「話してる時間はないわ。二人ともついてきて」

「おい、俺は……いや、わかった。俺も腹をくくる。一緒に逃げよう、ソーリャ。俺の解放闘争は、そこまでだ。いいな、ユーリエ」

「……勝手になさい。せめて、お相手くらい守り抜くのね。後ろは私。先行おねがい」

 女は銃を引き抜き、男は剣を構える。

 ソーリャを挟んで、三人は走り出した。

「いたぞ! 撃て!」

 兵隊たちの怒号と、閃光の飛び交う迷宮路地へ……。

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